今回は矢口史靖監督の最新作である『ダンスウィズミー』の感想と参りましょう!
夏真っ盛りであるが、注目度が高いのか低いのかわからん作品じゃの
カエルくん(以下カエル)
「『ウォーターボーイズ』が大ヒットしてテレビドラマ化も果たしたし、この手の……なんというか、動きも派手に見せる映画であればお手の物ってイメージもあるかなぁ」
亀爺(以下亀)
「今作もだいぶ前から予告編を見ておるしの。
もしかしたら昨年の段階ですでに映画館で予告が流れていたのではないかの?」
カエル「それだけ力を入れている作品なんだおるね。夏休みの大作映画目白押しのこの時期にぶつけているし!」
亀「……その割にはなかなか厳しい興行成績になりそうじゃな。
この魅力的な大作があまりにも続きすぎるこの時期では、ちょっと弱いのかもしれんの」
カエル「……ま、まぁ、それでもいい作品かもしれないんしね?
それでは、早速感想記事のスタートです!」
作品紹介・あらすじ
『ウォーターボーイズ』『ハッピーフライト』『サバイバルファミリー』などの脚本・監督を務めた矢口史靖監督作品最新作。
今作も脚本・監督を務めるほか、今作を彩る音楽では『タイムマシンにお願い』などの懐かしの名曲が多く流れる。
主演の三吉彩花がスラリとした長身を生かしたダイナミックなダンスを披露するほか、やしろ優、chayなどがダンスと歌で作品を盛り上げる。そのほか三浦貴大、ムロツヨシ、宝田明などが脇を固める。
一流商社に勤務する鈴木静香(三吉彩花)は、ある日怪しげな催眠術師のショーに出演した際に”歌を聞くと踊らざるを得ない体”に変化してしまう催眠にかかってしまった。仕事先にいってもふとした隙に音楽が流れると体を動かさざるを得ない事態になり、一般生活を送るのも困難に。病院でも手の施しようがなく、催眠術師に解いてもらう以外に手がないのだが、すでに夜逃げしたあとだった……催眠術師を探し出して体を元に戻してもらうために旅が始まる!
映画『ダンスウィズミー』本予告【HD】2019年8月16日(金)公開
感想
では、Twitterの短評からスタートです!
#ダンスウィズミー
— 井中カエル@物語るカメ/映画・アニメ系VTuber(初書籍発売中!) (@monogatarukame) 2019年8月17日
やりたいことはわかる
でも矢口監督はやっぱり脚本作りが下手なんだよなあ…シャバシャバに薄まっている印象を抱くし物事は唐突だし結局は力技の連続にしか見えず
好きな人がいるのも分かるけれどミュージカル映画とは言いづらいし…せっかくのシーンもカット割りすぎじゃない? pic.twitter.com/BDhsPCDzgH
う〜む……悪い作品とは言わんが、色々と問題の多い作品じゃな
カエル「え〜っと……まず、音楽面とダンスは面白かったんじゃないかな?
世間評価もそこまで悪くはない作品だよね?」
亀「ただわしには徹頭徹尾合わなかったの。
そもそも、今作は”ミュージカルコメディ”と宣伝しておるが、それが合っているかは非常に難しい部分がある。というのも確かにミュージカルシーンはあるし、それはそれで面白いのであるが……むしろメインはもっと違う物語じゃからの」
カエル「どちらかというと”女2人を中心としたロードムービー”の方が印象が強いよね。
これは『サバイバルファミリー』が停電した現代社会の中でいかに生活するのか? という作品だと思ったら自転車で鹿児島まで目指すロードムービーだったというのと同じようなものかなぁ」
亀「過大広告とまでいったら流石に言葉がすぎるじゃろうが、まあ、これをミュージカル映画として認めるかは難しいところじゃの。
それに……いってはなんじゃが矢口監督の悪い部分が多く積み重なってしまっていた印象も強い。
それを見過ごすほどの音楽とダンスの力に楽しむことができるのか? という点で評価が割れるのではないかの?」
音楽が豊富で楽しい映画! ではあるのだが……
でもさ、音楽シーンもたくさんあって楽しい映画でもあるじゃない!
もちろん、その意見には反対しないぞ
カエル「特に今作の主役である三吉彩花の長い手足をフルに使ってさ、しかも歌声も美しいし、彼女のこの先のキャリアを考えると様々な可能性があることを示したんじゃないかな?
邦画でこれだけ音楽シーンが豊富な映画も珍しい印象だなぁ!」
亀「音楽映画であっても3曲も演奏すれば多い方な印象じゃし、しかも同じ曲を使わずに様々な楽曲を次々に繰り出し、また違う味を出そうと努力する姿勢が伺えたしの。この点に関しては評価するポイントであるし、好きな人はここが好きなのかもしれん。
が、しかし……」
カエル「えー? 何か文句があるの?」
亀「楽曲が古すぎる上に必然性を感じなかったかの。
ミュージカル映画において、なぜその楽曲をそのタイミングで流すのか? というのは重要じゃ。
例えば……うちが最近ハマっておるインド映画の『バジュランギおじさんと小さな迷子』という作品ではインド映画らしいド派手なミュージカルシーンが当初にあるが、そこでは主人公のおじさんの性格を説明するのと同時に、作品のテーマである宗教について語るシーンになっておる」
もっと一般的に有名な作品を例にあげたら?
では『ラ・ラ・ランド』を例にあげよう
亀「あの作品も最初にハイウェイの長いミュージカルシーンから始まるが、そこでは”映画について語る映画”として意義がある。つまり”楽曲””シュチュエーション””ミュージカル(ダンス)”ではないと、表現できないものがあるのじゃ。
詳しい解説は該当記事を読んで欲しいが……残念ながらこの作品では強烈に意義を感じることはなかった」
カエル「それってないとダメなの?」
亀「ダメとは言わんが欲しいの。というのも、その楽曲の意味がなければ変な話アイドルが歌って踊るライブと同じじゃろ?
では、なぜそれを映画にするのか? そこには全てに意義があるようにする必要性があると考えておる。
その意味ではわしには懐メロの繰り返しというのは観客でその世代を呼ぶためのものにしか思えなかったし、少なくとも強い意義を感じることは……0とは言わんが少なかったかの」
物語の甘さ
それとあまり受けれ入れない理由が、この物語の甘さ、という部分らしいけれど……
矢口監督らしくはあるんじゃがな
カエル「えっと……矢口監督作品は流石に全部は見れてないけれど、とりあえず『ウォーターボーイズ』『スウィングガールズ』『ハッピーフライト』『サバイバルファミリー』を見ているけれど、どれも監督脚本を担当しているよね。一応『歌謡曲だよ、人生は』に関しては監督のみのクレジットらしいけれど……」
亀「わしも少ししか見てはおらんが、正直上記の4作品に関してはやはり作品の甘さが目立った。
しかもどれも不満点が同じであり……だからこそ、特に『ハッピーフライト』は『ウォーターボーイズ』のような面白いシンクロシーンがある訳でも無いので、残念ながら半分しか見ないで視聴をやめてしまった。
今作の不満点も実は上記の作品と同じなのじゃな」
カエル「はぁ……Twitterの短評だと『シャバシャバに薄まっている』ってあるけれど……」
亀「そのまんまの意味じゃな。1つ1つのシーンを作るのはいいのじゃが……食事で例えるならば、水で薄めすぎたスープや味の薄いメインディッシュを食べているような気分じゃった」
各シーンの作り方が弱いってことなの?
全体のつながりの甘さなどを強く感じてしまったの
亀「例えば、コース料理で考えてみよう。
簡単に表すと前菜→スープやサラダ→第一メイン(パスタなど)→第二メイン(魚や肉)→箸休め的なもの→デザート、という流れになるとするじゃろう?
味の薄いものから濃いものへ、そして徐々に重いものにしていき、最後は軽くして甘いもので舌を休ませる、などの流れがある。
その全ての流れこそがコースの重要性であり、たとえメインディッシュが美味しいものであっても、その前にカレーやら何やらが出てきて、重くて濃い料理ばかりだと肝心のメインが辛くなってしまう」
カエル「映画で例えるならば、全部山場で重いシーンだと観客が作れるから、あえてダレ場などを作って少しお話を落ち着かせる……みたいな話だよね」
亀「それでいうと本作はアラカルト料理の連続じゃな。
1つ1つの味は薄味ながらも悪く無いかもしれんが、通してみるとボヤけてしまっておる。
例えば伏線の貼り方と回収が強引であったり、物語の都合がよすぎる。その粗は一貫してあるのじゃが……ここは監督の技量とでもいうのじゃろう、音楽シーンなどの力技でごまかし切ってしまう。
今作に関してはその力技が、わしにはあまり通用しなかった印象もあるかの」
今作の意義
え〜、じゃあ酷評ってこと?
いやいや、今作の意義ややりたいことは伝わったし立派じゃったよ
カエル「意義ねぇ」
亀「つまり、監督は『ラ・ラ・ランド』がやりたかったということじゃろうな。
あの作品は”映画とは何か?”ということを自己言及するような作品であったが、今作にも共通するテーマを強く感じた。日本でもヒットしてから2年が過ぎておるし、そろそろこの影響下にある作品もさらに増えてくるじゃろう。1シーンをに限れば『SUNNY 強い気持ち強い愛』などもあったがの」
カエル「映画を語った映画かぁ」
亀「そう思えるシーンも山ほどあった。当然ながらハリウッド作品と同じスケールは不可能ながらもしっかりと作り上げることに成功しておった。
しかし……残念ながらその試みが成功したとは、わしは思えない。
失敗したとも言わないがの。
この先のネタバレありパートでは、そこも含めて語っていこう」
以下ネタバレあり
作品考察
本作最大の疑問点
では、ここからネタバレありで語るけれど……まずは1番の不満点からなんだね
わしには今作はあまりにもミュージカル映画を愚弄しているように感じられたの
カエル「えー、このようなツイートもしています」
というか、ダンスウィズミーもドラクエもやってること同じじゃん
— 井中カエル@物語るカメ/映画・アニメ系VTuber(初書籍発売中!) (@monogatarukame) 2019年8月17日
自分はドラクエは手法とともにやる意義が感じられたけれとダンスウィズミーはただただイラっとしただけだった
世間評とは真逆だろうけれど
カエル「あんまり別記事で他作品の重要なネタバレをするのははばかられますが、今ある映画が激しい賛否を呼んでいますが、うちはどちらかといえば有りだと思っています。
『ダンスウィズミー』も描いていることは同じなんじゃないの? って話なんだよね?」
亀「言ってしまえばどちらも”嘘が嘘であることを暴く”という作品でもあるんじゃよ。今作に関していえばミュージカル映画というのは、嘘そのものじゃろう。そして今作はその嘘を軽々と暴いたが……それにイラっときたの」
カエル「あの映画にはイラっとしていないのにね」
亀「わしには手法と共に意義があるように感じられたからの。別に嘘を嘘として暴くこと自体が悪いとは思わないが……それこそ押井守のお得意のパターンと言えるかも試練しの。あれは物語の嘘を暴くのではなく、物語世界に嘘を暴いているのかもしれんが……まあ、それはいいとしよう。
だが、わしにはやはり受け入れがたい描写になってしまった。
あれは野暮だと思ったし、そこをコメディとするには物語の必然性なども弱すぎる。
だったらみんなで楽しんで踊るミュージカルシーンではなく、周囲が困惑するミュージカルシーンを1つでも入れるべきだったのでは?
やり方が中途半端な印象を抱いてしまったの」
カエル「映画としてはあの”楽しい!”ってなるミュージカルシーンで正解だったと思うんだけれどねぇ……個人の趣向って難しいなぁ」
細かい物語の問題点
さっきもあれだけ語ったけれど、ネタバレありでまた語りたいことがあるんだね
より詳しく述べて行くとするかの
亀「まず不満点として抱いたのが……そもそもとして物語の主軸が弱い!
もちろん鈴木が催眠術を解いてもらわねければいけないのは大いにわかるが、その途中で発生するトラブルの数々が”物語のための都合”のように見えてしまったのが最悪じゃな」
カエル「う〜ん……そこまで非難することなの?」
亀「例えば中盤から女2人旅になるが、ここがあまりにも唐突になってくる。あの2人はあの日まで面識もなく、仲良くもないのでなぜあそこまで友情を交わしているような描写になるのか?
”共通の目的の達成”が2人の最終目標であろう」
そこは最後までぶれなかったと思うけれど……
ぶれなければダメなんじゃよ!
カエル「……えぇ、単なるクレーマーじゃん」
亀「ロードムービーやバディものであることを見せるのであれば”最終目標よりも大事な仲間”を演出する必要がある。今作の場合で語れば、流石に催眠術は無理だとするならば2人が執着するお金を捨ててでも、車を捨ててでも相手を取る、守るべき仲間という選択肢があれば話が変わる。
あの流れではバカなことを繰り返してバカな結果になっただけではないかの?
2人の関係性の変化や深化を描くにしては、やはり弱すぎる」
カエル「車がパクられたらすぐに見捨てたし、そこまで深い関係じゃなかったんじゃ?」
亀「だったらあのロードムービー要素はいらん!
他にも車が帰ってきたのもご都合感あったし、また中盤増える3人目のご都合キャラっぷりはないの。この辺りが”木を見て森を見ず”な脚本になっていると感じるポイントじゃな」
肝心のミュージカルシーンについて
でもさ、肝心のミュージカルシーンはよかったんじゃないの?
三吉彩花はきれいじゃったの
カエル「すごく長くてすらっとした手足を生かして動き回っていたし、おもしろおかしいものだったんじゃないの?
それに歌唱シーンも歌声がきれいで、3人が合わさると絵面だけでも楽しかったし、そりゃミュージカルじゃない! って不満もあるかもしれないけれどあれはあれでありなんじゃないかな?」
亀「悪いとは言わんよ。
しかし……カット割りが細かすぎるのが気になったの」
カエル「……またよくわかりもしないのに、細かいことを……」
亀「あの手の映画は役者さんのダンスをしっかりと魅せることが大事だと何度も語ってきたし、現にミュージカルではないが『ウォーターボーイズ』ではちゃんとした、お金の撮れる男子シンクロで魅了してくれた。あの映画は虚構であるが、あの体つきなどを見てもそこに虚構性はないとわしは思ったほどじゃ。
しかし、今作はせっかくの美しいダンスを細かいカット割りで全て潰してしまっておる。
本来ならば役者さんの一挙手一投足をしっかりと、長く撮って映してあげるべきじゃろう」
カエル「それはほら、書類を片付ける踊りとかのタイミングもあるし、アクロバティックな動きもあるし……」
亀「それがあるからこそ一気に見せるべきじゃろう?
レストランのシーンのテーブルクロス引きからバク転、シャンデリアまでをノーカットで見せてくれたら、それだけで満足度が高い。
それから……これは少し酷な意見かもしれんが、三吉彩花のダンスが若干ばたついているように見えた。もっとキレやトメを意識されたダンスの方がよかったのではないかの?
ミュージカルシーンは不良のバックダンサーなどがキレキレだっただけに、シーンごとにばらつきが大きかった印象じゃな」
今作が示した”映画を語る映画”としての意義
うちが1番語りたい部分である、映画を語る映画としての本作です
よく語るテーマではあるがの
カエル「2か月に1回くらいは出てくるテーマじゃないかなぁ?」
亀「今作のスタートからそれは始まっており、催眠術というのは”映画という空間”というメタ的な意味を含んでおる。テレビ画面の向こうの世界は作られたものかもしれんが、我々はそれを理解した上で深く楽しんでおる。
この映画の催眠術というのは、いわば”現実の世界に映画の登場人物を召喚する、あるいは憑依する”という儀式である」
カエル「……はぁ。まあ、なんていうか……キャラクターを作品物語に召喚するというか」
亀「”物語内の物語の世界(ミュージカル世界)”と”物語内の現実の世界(鈴木のいる現実の世界)”の2つの世界が乖離しているからこそ生まれてしまった悲劇を描いたのが今作なわけじゃな。
そして最後に成功したミュージカルの舞台になった場所……それは文字通り舞台の上である。
これは”物語内の現実の世界にある<物語の世界>”ということじゃな」
カエル「すっごいややこしいけれど、舞台っていうのは現実に存在している。だけれど、そこで上演されているのは嘘の物語であるから、ミュージカルであっても観客は素直に受け止められて問題ないってことだね」
本作が伝えたのは”ミュージカルは舞台の上だからこそ輝く”というものと言えるじゃろう
カエル「えっと……つまり、現実の場でいきなり歌い出しても困惑するだけだけれど、舞台の上ならばみんなが特別な場所と認識するから問題ないってことだよね」
亀「わしが語っているのはすごく当たり前のことじゃ。しかし、この当たり前のことを描くことを選んである。
本作は中盤でミュージカルを否定している部分もあるが、それでも”物語”や”映画”という表現そのものは肯定しておる。そのこと自体はとても素晴らしいことであり、わしも評価する。
しかし……そのミュージカルの見せ方や物語の作り方があまりうまくない。だからこそ、わしはノレなかったの」
まとめ
では、この記事のまとめです
- 楽曲などの楽しいシーンが豊富な映画!
- ただし物語の粗が大変目立ってしまう形に……
- ミュージカルシーンも細かいカット割りなどの違和感が強い……
- 映画としてやりたかっこと、意義は理解できるだけに……
邦画でもミュージカルでこれだけできるというのは意義が大きいかもしれんの
カエル「日本だとなかなか量産されづらいジャンルではあるけれど、できればもっともっと色々なミュージカルが見たいよね」
亀「それこそアニメでは今はアイドル・バンドアニメが隆盛じゃ。これに邦画も続き、ミュージカルや音楽映画が増えて欲しいの」