今回は、もはや社会現象といってもいい話題を呼んでいるネット漫画『100日後に死ぬワニ』の感想記事です!
これほどまでに流行るとはなぁ
カエルくん(以下カエル)
「もしかしたら、ネットコンテンツとして漫画のあり方を変えるかもしれないくらいの大事件だよねぇ」
主
「今後出版社や編集がいらなくなるのかもしれない。
ただ、この作品が実はかなり周到に、多くの人の手が入っている可能性もあるから、なんともいえない部分もあるけれど」
カエル「それでは、早速ですが記事のスタートです!」
感想
今回はTwitterの短評はありませんが、どんな印象を抱いたの?
正直、毎日読んでいる時はそこまで面白くなかったかなぁ
カエル「あれ、そんな反応なんだ?」
主「自分はTwitterはよく見ているけれど、この漫画をフォローをしていないけれど、ほぼ毎日流れてきた。
それだけ多くの人に愛されているんだなぁ……と思いつつ、そこまで重要視してこなかったんだよ。特に最初は。
というのは、アニメ・漫画オタクだから……何人もの凄腕絵描きが毎日のように色々な作品をアップしているのを眺めているわけ。もちろん、中には既存の作品の二次創作も多いわけだ」
カエル「アイマスが大好きだから、アイマス関連の二次創作作品を毎日読んでいるものね」
主「他にもオリジナルで描いている人もいるし、それこそTwitter発のオリジナル漫画なんて今時珍しくもないから、そこまで注目していなかった。
特別絵が上手いとも、キャラクターが上手いとも思わなかったしね。
それがここまで話題になるんだから……マーケティングの巧さを感じたよ」
『毎日でぶどり』とか『犬と猫どっちも飼ってると毎日たのしい』とか、Twitter発のコンテンツも多いし……
その中で、Twitterで読んでいる時は特筆するモノは感じなかったんだよ
カエル「それでも、これだけヒットしたじゃない」
主「だから、それがちょっと意外だったというか……
で、1度通して全話読んだら、毎日読んでいるときよりは面白かった。
特別優れているとは感じなかったというのが嘘のようだった。なるほど、これはヒットするのも納得だわ……と一気に読む面白さを感じた。
ただし、苦手な部分もあって……それは後述だね」
マーケティングの巧さで勝負した作品
なんでここまでヒットしたと思うの?
繰り返すようだけれど、やっぱりマーケティングの巧さだよね
カエル「100日後が3月20日という、学生が春休み中であり3連休の初日の金曜日という部分からして、思いつきで始まった作品ではないと感じさせるよね……」
主「この”100日”というのが、絶妙だよ。人の噂も75日という言葉もあるけれど、100日というのはキリが良くて、しかも話題性も持続する……飽きられずらく、盛り上げる期間としても適切な期間だった。
これが10日でも、50日でも、150日でもここまではヒットしなかったかもしれない。100日だからここまでヒットしたのではないだろうか?」
カエル「しかも、日常的な話だから数日分読み逃してもOKであり、途中からでもついていけるんだよね……Twitterでのリアルタイムの投稿だから、共感することもできるし。
多くの模倣作品が生まれたということが、このフォーマットの優れているポイントを示しているよね」
このやり方は漫画版の『この世界の片隅に』の現代版と言えるかもしれない
カエル「漫画版の『この世界の片隅に』は、平成20年8月に終戦の日の描写が載るなど、日数を調整し、昭和と平成がリンクするような工夫がされています。さらに、歴史的事実であるために、その後の広島や呉がどうなるのか、歴史に興味がある人であればわかるようになりながら連載されていました」
主「『この世界の片隅に』の雑誌連載版の試みは、平成20年のあの時でしかできなかっただろう。
その後の日本の苦境を知っていると……ある意味では死よりも強烈な展開に向けて物語が展開している点も似ている。
違いがあるのは、連載するのがTwitterか誌面か。そして大きな苦難が死か、原爆かということだろう」
すんごい大雑把な比較かもしれないけれど……
そう考えるとさ、Twitterて今や巨大な漫画誌でもあるんだろうね
主「原稿料はもらえないけれど、読者はどんな漫画雑誌よりも多い。
で、基本的にはきちんと19時という、最も注目を集めるであろう時間にアップし続けている。
そして最初から”100日”という期限を設けることで、明確に終わりがある物語であることを印象付けることができるわけだ。
あとは……当たり前のようだけれど、きちんと100日間を途切れずに更新続けたこと。そして完成させたことは、最も称賛されるべきことではないだろうか?」
本作を褒めるポイントとしては
- ”100日”という明確な時間設定
- 100日間投稿を続けたこと
- 死というショッキングな物語のラストの提示
- 日常的な”いつでも””どこからでも”読んでも問題ない物語
- Twitterという巨大なデジタル誌面での連載・宣伝の効果
この辺りの評価になる
カエル「この辺りの周到な計画性はすんごいね……」
主「本作を語る上での肝は作品の出来不出来ではなくて……もっと外側の、プロデュースの問題だろうと思っている。
マーケティングや仕掛け方が抜群にうまかった。
このあたりは自分も学ぶものが多い。作品の出来不出来よりも、もしかしたら大事かもしれない。
読まれなければ、どんな名作も意味がないからね」
ストーリーの構成について
だけれど、それだけ考え抜かれているのに、最初はあんまりハマらなかったんだね
……ストーリーが甘すぎる気がしたんだよ
カエル「そもそも、日常系の物語がそんなに得意じゃないってこともあるのかもねぇ」
主「日常の物語だから、劇的なことが起きないという意見もわかる。だけれど、失恋とかあるいは転職とか、日常の中ではそこそこの転機を描いているんだよ。わずか100日だけれど。
その意味ではストーリーとして成り立っているとも言える。
だけれど……最後に明確なゴールがないこともあって、全体として語りたいことがぼやけているようにも感じられた」
それは”ワニが歩んだ日常”と”誰にも訪れる唐突な死”ではないの?
そうだとしても、ダラダラとした物語にしか感じられなかった
カエル「そのダラダラ感を楽しむもんだと思うけれどなぁ……日常の一喜一憂に共感するというか」
主「そして改めて全部読み返してみると、全体の構成が面白かったんだよ。
自分の考えでは、10話ごとに物語は移り変わっているようにも見受けられる。
- 1話〜10話……ワニの日常や性格の紹介・親友ネズミの紹介
- 11話〜20話……恋の描写
- 21話〜30話……告白できないワニの日常・待つ日々の記録
- 31話〜40話……恋の悲劇と別れ ←1番の谷場
- 41話〜50話……失意からの脱却と新たなる転機
- 51話〜60話……新しい職場での日常
- 61話〜70話……ワニの恋再び・他の人の進む日常
- 71話〜80話……恋に躊躇するワニと勇気を振り絞る日々
- 81話〜90話……恋の成就 ←最大の山場 そして別れの気配
- 91話〜100話……変化する日々とその終わり
簡単にまとめると、上記のようになっている
主「また上手いのがさ、この作品の肝となる恋愛の話を12話で描く前に、物語のスタートとなるワニの日常を描く。そして恋愛の成就を描いた後に、その後のエピローグではないけれど、彼らの終わるかもしれない日常の予感を描いている。
いくつか言われていたけれど、ネズミの存在は読者と同じ気持ちになるように設定されている。
つまり、読者はワニが後何日で死ぬかを知っているけれど、ネズミも同じような気持ちを抱いているように描くことで、より共感性を増しているわけだ」
カエル「ふむふむ……」
主「何気ない日常で物語を語ることも忘れていない。
例えば29話の映画を見る回、あるいは30話のカップラーメンを待つ回では告白できない、もどかしい自分の心情を端的に描いている。
また79話のゲームの大会に出る話では、告白する勇気が出ている様子を表している。
”何気ない日常を描いた”と語られているけれど、実はストーリー漫画として、フィクションとして細かい描写や、全体の構成もしっかりと練った上での作品でもあるわけだ」
現代に蘇った”携帯小説”のフォーマット
そして、このフォーマットそのものがネットで流行する作品に共通するものではないか? という話です
自分が初見の際、この作品が苦手だったのは、携帯小説に苦手意識があるからだろうな
カエル「それこそ10年ちょっと前かな……『恋空』などの純愛ブームも巻き起こした、携帯小説ブームってものがあったんだよね」
主「あの頃の作品が本当に苦手で……今でも自分は類似作品が大嫌いな部分がある。
携帯小説の頃はレイプ、妊娠、エイズ、突然の死……そういったものが多かった。
近年の恋愛作品でも”難病もの”はうんざりするんだけれど、さらに”突然の死”とかのモチーフは怠惰だとすら思う。
死というモチーフを乱発し、それが物語のゴールや感動の元になるような作品は否定したくなる。
だから、近年の映画でもそういう展開をする作品は全く合わない。
ただし、そういう極端な部分が流行するというのもわかる。
わかりやすいんだよ」
大好きな〇〇が死んじゃって可哀想……とかってこと?
誰だってわかるでしょ、そういうの。
主「普段物語を見ない人って結構多い。そういう人にも通じるんだよ。
また”作者の実体験を基にした(可能性がある)”と受け取れるような描き方、作品のバックボーンの描き方も携帯小説ではよくあったものだ。
そういう形で死が簡単に消費されていく姿……そこに強い違和感と懸念がある」
こんなツイートもしているもんね
ワニの消費のされた方を観ると携帯小説っぽいし、作品というよりは商品に見えてしまう
— 井中カエル@物語るカメ/映画・アニメ系VTuber(初書籍発売中!) (@monogatarukame) 2020年3月20日
お金儲けは悪いことではないとはいえ、発表のタイミングがあんまりよくないよなぁ
主「マーケティングの巧さもあって、やっぱり作品というよりは商品、という感覚を抱いてしまった。
そこの違いはなんともいえないけれど……単なる消費で終わってしまう作品になってしまったな、という印象は拭えない。
ちなみに金儲けは悪いことではないよ。
正当な対価は絶対に必要だ。
ただ、そのタイミングが”これから死ぬよ!”と、まるでワニの死を狂喜乱舞しているように見えてしまうこと、またそれまでTwitterで無料で楽しんでいたことに対して、結局は経済活動に一環だったことに対する重いもあるのだろう。
それはまあ、わからなくはない。
その辺りも含めて、死を前面に押し出すことでエンターテイメントとして消費しているような違和感がある。また、自分のような意見が出ることを考慮しているはずだし、それを含めて宣伝と考えていると思うんだよねぇ。
で、話を戻すけれど……本作が携帯小説と明らかに違うもの……それは、本作は明確に創作であるということだ」
カエル「あの時代に流行した作品は、表向きだけかもしれないけれど『衝撃の実話』という触れ込みがセットだったもんね」
主「ネットの掲示板などで読む分には、それが納得できた。
今作の場合はTwitterというコンテンツで漫画として、ワニをキャラクターとして生み出すことによって、より虚構性は増している。
明らかに現実のことではない。
だからこそ、共感性が増したのかもしれない」
現代の物語で1番大事なのは共感性だ、という意見も見受けられる
主「『これは自分の物語だ』と思わせられるかどうか。
それを物語の質や語り方ではなく、Twitterというフォーマットに最も合う形で描いたことで、成功を収めたと言えるだろう。
でも、だからこそ……ネットで流行る作品の、この死などの極端なことを消費する流れには、違和感がある。
ネット広告の漫画でもデスゲームものなどがあまりにも多すぎるようにも感じている……もしくは、エロ案件か。そういうのがキャッチーなのはわかるけれど、自分としてはそういう反射に頼ったものではない物語を期待したいね」