身辺雑記を書き続けてきた理由――ブログとわたし(寄稿・「インターネットの備忘録」はせおやさい) - 週刊はてなブログ

身辺雑記を書き続けてきた理由――ブログとわたし(寄稿・はせおやさい)

ブログとわたし(寄稿・はせおやさい)

はてなブログ(はてなダイアリーの期間も含む)を使ってくださっている方に、ご自身とブログについて寄稿していただく企画がスタートします。その第1弾として、ブログ「インターネットの備忘録」のはせおやさいさん(id:hase0831)に、他の人の日記を読むこと・自分の日記を書く理由について、つづっていただきました。

インターネットを導入して、文章を書き始めた

ブログを書き始めて13年ほどになる。振り返ればよくもこんなに続いたものだと思うのだけれども、いくつかその理由に思い当たる節はある。子供の頃から作文が好きで、自分の考えていることを文章にまとめ、誰かに読んでもらうのが好きだったのだ。自分の考えていることはオリジナルで、他の人がまだ思いつきもしないことなのだろうと感じられていたから、中学生くらいまでは、それだけで楽しかった。

しかし思春期を迎え、本をよく読むようになると「自分の考えはさほどオリジナルなわけではない」ということに気づいてしまう。自分よりもっと洗練されている人、もっと論理的に考えを伝えられる人が、世の中にはたくさんいる。自分が文章を書いて考えをまとめる意味はあるのだろうか?と思い始めると、もう止まらなくなり、そもそも自分の存在とは何か? 何のために生まれてきたのか? など思春期らしい思いを巡らせたりもした。

それでもたくさん本を読んでいると、やっぱり自分でも書きたくなった。20歳前後で初めて自分のパソコンを手に入れ、インターネットというものが自宅に導入された。もちろんアナログ回線である。いろいろ見て回っていると、アナログの細い回線で自分を表現するのには、やはりテキストが手軽で最強のようで、文章を書いてウェブに公開することを始めた。手打ちでHTMLタグを書き、自分の言いたいことを見せたい形で見せられないか、四苦八苦した。もちろん電話代が跳ね上がり、親にこっぴどく怒られたので、23時のテレホーダイ*1タイムを待つようになり、夜ふかしが捗った。

当時は「日記ブログ」という感じで、思っていることを日々書き留めてインターネットにFTPでアップロードし、掲示板(BBS*2)で他者と交流をした。当時は日記サイトをつなぐサービスがあって、交流する相手もたいがい自分のサイトを持っていた。BBSのプロフィールリンクからその人のサイトに飛んでいって、その人の世界を覗き見るのが本当に好きだった。写真であったりイラストであったり、さまざまな方法で表現している人たちがいて、気が合う友人も見つかった。

SNS、ブログブーム……そして「はてな」との出会い

1995年のIT革命以降、多くの人の家にインターネット回線が引かれ、さまざまな人が自分自身で言葉を伝える手段を得たと思う。それから10年、テキストサイトの更新をほそぼそと続けていたとき、招待制のSNSというものが複数登場し、参加してみることにした。それまで自分の考えをウェブに公開したい人なんてごく一部なのだろうと思っていたのに、そこでは思ってもみなかった人が、思ってもみなかった言葉を持っていた。

招待制というクローズドな空間だったが、そこには「日記」という形で友人や上司や後輩がそれぞれの日々について更新していて、わたしは歓喜した。相手と接していて見える範囲というのはごくごく一部で、その向こうには果てしない世界が広がっており、それを同じフォーマットで閲覧して回れるというのは、なんと素晴らしいのだ、と思った。わたしは誰かの心のうちを覗くのが好きなのだ、ということをそのとき知った。

誰かの日記を読んでいると、それに触発されて自分の日々も記録したくなった。それ以来、飽きもせず日記を書く日々がまた始まった。テキストサイトを運営していることを隠していたわけではないが、おおっぴらにしてもいなかったので、SNSで日記を書くというのは新しい楽しさがあった。普段接している人と、普段話さないこと(時間がなくて話せないこと)をたくさん話したし、知ることができた。怒らせると怖い上司が意外な趣味を持っていたり、のほほんとしている後輩が思いのほか繊細だったりして、驚きがあった。

そうしてまた日記にハマったわたしが、当時やってきたブログブームに乗らないわけがなかった。日記サイトと何が違うのかよくわかっていないまま、さまざまなブログを読み漁った。ブログを書いている人たちは自由闊達で自分の主張をはっきり打ち出しており、ものすごく勉強になった。そして仕事の情報収集としてソーシャルブックマークを知り、はてなと出会う。

ここがインターネット文化へさらにハマる分岐点だったように思う。自分以外の人が、面白い記事やブログを見つけてきて教えてくれ、しかも自分が興味のあることもシェアできる。そんなサービスがあるのか!と驚いた。しかもそのサービスは、「はてなダイアリー」という名前でブログサービスも提供しているのだという。わたしにうってつけじゃないか、と思った。

当時の「はてなダイアリー」には、エンジニアが知性で殴り合いをしている雰囲気があり、わたしはそれに強烈に憧れた。仕事の関係で技術的な知識を得たいと思って探したときも、本当に助けられた。そこには建設的な議論があり(そうでない議論もあり)、牧歌的な空気があった。その流れにわたしも参加したい。そう思ってアカウントを取ったはいいものの、技術的な記事を書けるわけではもちろんない。ここでもまた、わたしは自分の日記を書き始めることになる。

自分の書いた日記を誰かが読み、リアクションしてくれることがうれしかった

SNSと「はてなダイアリー」を並行し、自分の日記を開かれた世界にまた公開し始めたとき、新しいサービスが日本へ到来した。Twitterだ。もちろん知ってすぐに登録した。Twitterには日記にするほどでもないことをつぶやきはじめ、誘われるままオフ会に参加していくと、どんどんフォローとフォロワーが増えた。当時は「マイクロブログ」と呼ばれていたような気がするが、要は短文日記が大量に、毎日流れてくるのだ。他人の心のうちを覗きたがるわたしにとって、ハマらない理由がない。大いにハマり、だんだんインターネット上の人格というのもできあがってきた。

Twitterにハマりながら「はてなダイアリー」も続けていたので、自然とTwitterに更新情報を流すようになった。ぽつぽつと、しかしちゃんと読んでくれた人からの感想が届き、本当に励みになった。当時はブラック企業に勤めていたけれど、寝る間も惜しんで日記を書いていた覚えがある。日記や身辺雑記を書き留め、公開する。それを読んでくれたTwitterの友人がレスをくれたり、会ったときに感想をくれたりする。もちろんポジティブなものばかりではなかったし、からかわれることもあった。が、それでも読んでくれたことに変わりはないので、うれしかった。

そうしてコツコツと書いていると、ニュースサイトに取り上げられるようになった。お名前を出していいかわからないので、「カリスマニュースサイト管理人」で検索してほしいのだけれど、そのサイトで取り上げられるようになると、さらに新しい人がブログを読んで、コメントをくれるようになった。ニュースサイトで付けてもらえる一言コメントも、本当にうれしかった。顔も見えない誰かがわたしの考えたことを読み、リアクションしてくれているのだ。取り上げられるとうれしくて、さらに日記を更新し続けた。

ニュースサイト経由で読者がどんどん増えると、ネガティブなコメントも増える。自分の知らない人から、ちょっとしたことを指摘されるというのは、意外と破壊力があるものだ。いま振り返ると大したことは言われていないのに、心が折れそうになるときもあった。更新するのが怖くなって、しばらく書かなくなる時期もあった。それでもまた戻ってきてしまうのは、もはや人生の半分は日記を書いてウェブで公開しているので、その楽しさが体に染み付いているからだろうと思う。

自分の人生まるごとをブログに書き残す

では、ブログを書くのがなぜそんなに楽しいのかと問われると、「誰かがそこにいることがわかる」からだと思う。自分が更新した日記を、見知らぬ誰かがパソコンやスマホの画面で開き、目で文字を追い、何らかの感情を得てくれている。それだけで、自分が生まれてきた意義のようなものがあるのではないか。

子供の頃に思っていた「わたしの考えはオリジナルだ」という価値観は、思春期に一度否定されたけれども、一周まわってまた「アリ」になった。自分の考えそのものにオリジナリティはさほどないかもしれない。でも、そこに至るまでの過程であったり、そこから導き出される結論は人それぞれあり、そこに面白さがあるのではないか。わたし自身の人生とまったく同じ人生を歩む人がいないように、プロセスには物語があり、その物語は誰かにとって価値があるかもしれない。そう思うようになった。

30代の頃は失敗だらけだったので、「この失敗を書き残して、誰かの糧にするまでは死ねないぞ」と思って書き続けていた。半ば意地になっていたかもしれない。書く以上は何らかの責任を負っているのだと思って、読んでくれる人とフェアでありたかった。結婚すればその良さを書き、結婚生活の楽しさを書いたので、離婚したときそれを書かないのはフェアではないと思った。そう考えて離婚したことを公開すると、「ここまで書く必要があるのか」「自己承認欲求の塊だな」と揶揄された。

心は折れたが、励ましのメッセージもたくさんもらった。感想のメールや、人生相談のメールはすべて取っておいてあり、たまに読み返す。どんな感想でもすべてありがたいし、また書こうという力になる。驚いたことに、職場で出会ったインターン生から「ブログを読んで励まされました! 内容を読んで、きっと○○さんだと思ってメールします」と連絡をもらったこともあった。恥ずかしいとか、照れくさい気持ちを、喜びが上回った。

30代の失敗を書き残したことで、今のわたしがあると言っても過言ではないかもしれない。ブログをまとめた本を出せたし、こうしていろんな媒体に寄稿して、自分の考えを掲載してもらえる。それってとてもすごいことだ。もっと何かに特化した、有益なブログを作ることもできたかもしれない。でも、そうしなかったことで、自分の人生まるごとを書き残せたのは、わたしにとってとても有益だった。

遺言としてブログを書き続けている

「なぜブログを書き続けるんですか?」と聞かれることがある。シンプルに「楽しいから」と思っているし、今もその気持ちはあるけれど、もう1つ目的がある。わたしは遺言としてブログを書き続けているのだ。わたしが死んでいなくなったとき、わたしの失敗や、失敗を通じて考えたことを書き記して公開しておけば、いつか誰かが見つけてくれる。

そしてわたしのブログを読んだその誰かが、何かの役に立ててくれればいい。それはもしかしたらわたしの友人かもしれないし、娘になるかもしれないが、とにかく自分以外の誰かに、わたしが生きて考えたことを伝えたい。オリジナルでなくてもいい。洗練されていなくても、論理的でなくてもいい。とにかく思ったことを言葉にして、自分がなぜそう思ったかを書き残したい。

40代になり、人生の折り返し地点を意識するようになって、その思いは深まりつつある。あと何年ブログを書き続けるのかわからないし、書くことのメリットをデメリットが上回ったら、すぐやめようとも考えている。いつか突然リセットしたくなって、すべてを削除してしまうかもしれない。だが、公開されている間は少なくとも誰かの目に触れ、心に触れることもあるだろう。それで十分だと思う。

なんだかこの文章自体が遺言のようになってしまったけれども、そんな思いでわたしはブログを書いている。うまくいけばまたあと10年、20年と書き続けていけるだろうし、それまでサービスも残っていてくれるといいなと思うけれども、それもまた誰にも分からない。あれもこれも、ひとつの縁なのだ。こうしてこの文章を読んでくれているあなたとも、きっと何かの縁があるのだろうと思うと、また書いていてよかったなと感じるのだ。

生きていつか会いましょう。

著者:はせおやさいid:hase0831

はせおやさい

会社員兼ブロガー。仕事はWeb業界のベンチャーをうろうろしています。
一般女性が仕事/家庭/個人のバランスを取るべく試行錯誤している生き様をブログ「インターネットの備忘録」に綴っています。
ブログ:インターネットの備忘録
Twitter:@hase0831

*1:1995年からNTT東日本・西日本が提供しているサービス。23時から翌日8時までの間、指定した電話番号について通話料金が一定となる。

*2:電子掲示板のこと。英語の「Bulletin Board System」の略。