黄檗宗大本山 萬福寺 - 古今東西のアートのお話をしよう
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古今東西のアートのお話をしよう

黄檗宗大本山 萬福寺

今月(2024.10)、宇治の黄檗山萬福寺の伽藍三棟(法堂・大雄宝殿・天王殿)が重要文化財から国宝へ格上げされました。
総門 重要文化財

JR奈良線の黄檗駅から徒歩5分の萬福寺。

江戸初期(1661年)に創建された伽藍は焼失等を免れ当時の姿を今に伝えている。主要建物二十三棟、回廊などが国の重要文化財に指定されている。


しかし、京都、奈良のインバウンドの喧騒はなく、広い境内にすれ違う人も稀である。


ほとんどの伽藍が国の重要文化財


隠元隆琦像 喜多元規筆 1671年

隠元隆琦(いんげんりゅうき∶1592〜1673)は、1654年に中国福建省から臨済宗黄檗派の名僧として招聘される。後水尾法皇徳川家綱の尊崇を得て、寛文元年(1661)に黄檗宗大本山萬福寺を開創。日本三禅宗(臨済宗、曹洞宗、黄檗宗)の一つとなった。

『隠元禅師と黄檗文化
隠元禅師とともに伝来した中国の先進文化は、建築、文学、 音楽、書道、絵画、彫刻、さらに印刷、医学、飲食に至る まで多岐にわたり、これらは「黄檗文化」と呼ばれています。 インゲン豆・スイカ・レンコン・ナス・タケノコ(孟宗竹)・ 落花生といった新しい食材、煎茶やダイニングテーブルを 使った食事形態、明朝体文字や400字詰め原稿用紙、木版 印刷など、江戸期の町人文化の基となり、現在の日本人が あたりまえに使用しているモノが伝えられました。』萬福寺パンフレットより

石條(せきじょう) 
中央の石は住職のみが歩ける

天王殿 国宝
✕の勾欄(こうらん)は中国様式


弥勒菩薩(布袋)坐像 中国人仏師
范道生(はんどうせい∶1637〜1670) 作 1663年

大雄宝殿 国宝
チーク材で作られた伽藍

釈迦牟尼仏 脇侍 迦葉、阿難


十八羅漢像 范道生作

羅睺羅(らごら)尊者
羅睺羅尊者とは十六羅漢の一人で、釈迦の出家以前の実子である。のちに出家し十大弟子の一人となる。両手で胸を開くと、胸の中に仏様の顔が現れる。

法堂 国宝
勾欄は卍と卍くずしの中国様式

開山堂 重要文化財
勾欄は卍と卍くずし

桃戸 不老長寿、魔除けの意匠

桃のタペストリー

桃の意匠は萬福寺のアイコン🍑
開梛(かいぱん)日常の行事や儀式の刻限を報じる


「売茶堂」の石柱

売茶翁像 伊藤若冲画 売茶翁賛(高遊外) 1757年

売茶翁(ばいさおう:1675〜1763)は肥前(佐賀)生まれ、11歳で出家し、肥前黄檗宗龍津寺に入り化霖禅師を師とする。
1686年13歳の時、師の師である萬福寺の独湛禅師より偈(げ:禅の境地を詠んだ漢詩)を賜る。若い売茶翁の才能を見抜いていた証といわれる。
龍津寺での修行、諸国行脚を行い、化霖禅師が遷化すると57歳の時に上洛し、61歳で東山に通仙亭を開き、煎茶道具を担ぎ、京の街なかで、売茶を行い客と清談(禅問答)を交わしたという。ゆえに売茶翁とよばれ、煎茶中興の祖でもある。客は、相国寺、南禅寺の住持大典禅師や文人墨客で池大雅や伊藤若冲らがいた。若冲は、「動植綵絵」を売茶翁に「丹青活手の妙、神に通ず」と激賞され、『丹青活手妙通神』の印を造り、「動植綵絵」に捺印している。

萬福寺といえば普茶料理が有名
(ネット画像借用)
中国風精進料理で、肉や魚の「もどき」料理が有名です。

超俗人たる私は、花見小路🍑でお昼をいただきます🤗
続く
黄檗宗大本山 萬福寺
お勧めします

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