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ベイシックインカムは革命後の社会だ。

2024-11-28 04:30:59 | Peace Cafe


 ベイシックインカムは考え方として、やってみる価値が十分にある。資本主義を乗り越える考え方と言えるだろう。能力主義を否定できる希望のある社会の実現がそこにはありそうだ。能力があるものも、ないものも人間が生きる意味は変らない。

 特にコンピュター革命後の社会は、能力主義と向かい合わなければ、生きづらい社会になることが見えてきている。能力で言えば、コンピュターが人間を上回ることは目に見えている。人間の意味が問われることになる。人間は楽しく生きる事ができると言うことが尊い。

 ベイシックインカムの基本的な意味は、生きて行く最低限のお金は何をやっていようと、人間として生まれてきた以上、その存在の意味が生活費を貰うことが出来る社会システムのことだ。例え働かないとしても、一定額は国から支給される。

 それは人間をダメにするだろうという批判的な考え方がある。例えば、貰ったお金をすべて、飲んでしまう人。パチンコをやってしまう人。薬物中毒になる人。おそらくいると考えて間違いはない。そういう人が今より減るのでは無いかと言うことなのだ。

 結論を先に書けば、おそらく人間は大丈夫だと思う。生活費が支給される社会では、むしろそれぞれのやりたいことを見付けて、健全に生きて行く人が増えるはずだ。能力主義に於いて脱落してダメになる人の方が、はるかに多いに違いない。人間を信じて良いと私は判断している。

 具体的にベイシックインカムの社会を想像してみる。日本ベイシックインカム学会理事白崎一裕氏の説明をまず見てみる。
1. 定期的な現金給付
支給単位は、毎月という場合が多いですが、規則的・安定的に配当されます(現在想定されている金額は、月ひとりあたり8万~15万円程度)。コロナ禍で実施された10万円給付金のような一回限りというものではありません。また、クーポン券や商品券でもなく、あくまでも現金です。

2. 個人単位
生活保護制度のような「世帯単位」ではありません。

3. 無条件
生活保護制度にあるような「資産調査」(資力調査、ミーンズテスト)や働くことができるかどうか(ワークテスト)などの条件は必要ありません。福祉制度は、福祉給付を受けられるかどうかの選別的判断を行政がおこないますが、ベーシックインカムではそういうことはまったくなく、「どこでも・だれでも・いつでも」という普遍的な制度です。

 第一印象は随分有り難い社会である。一体それで社会が聖津するとは思えないのだが、と言うのがたぶん大方の人の第一印象である。ベイシックインカムは社会保護制度ではなく、人間として生まれてきた事による権利として受け取る給付金である。

 ベイシックインカムの社会はよりよい社会システムだから取り入れられると言うよりも、あまりに能力主義が行き過ぎて、行き詰まり取り入れられるのだろう。「ここまでくると労働と所得を切り離してしまって、労働とは別の回路で所得を配当したほうがいいのではないか」「そのほうが市場も安定するし、貧困対策にもなり、社会正義としても合理的ではないか」ということで、注目され始めたのがベーシックインカムなのです。 

 ベイシックインカムの社会の良さが羅列されている。そうかなと思うところもあるが、一応転記しておきたい。

●不愉快なブラック企業につとめなくていい!
●パワハラ・セクハラをがまんして嫌な仕事を続けなくていい!
●生活の心配のある不安定な仕事をしなくていい!
●小規模でも、自分のやりたい仕事を起業するチャンスをつくれる!
●お金に関係のない芸術やボランティア活動に従事できる!
●経済的理由のみで、家族をつくったり、パートナーをつくったりしなくていい!
●いつでも怠けてボーッとしている時間をもてる!

 要するに自由に好きなことが出来る有り難い社会と言うことになる。経済力による差別がなくなると言うことだろう。

 そんなうまい話があるはずがないと言うのが財政面だろう。もし国民一人当たり月々8万円支給したとすれば、年間100兆円になる。当然財政破綻になり、政府が持たないだろうという話だ。消費税の総額はは24兆円ぐらいにしかならない。

 まず、いはゆる労働をしない人が増えると思われている。労働意欲の衰退である。働くのは仕方がないからやらされている意識がある。これが資本主義社会の大半の労働者の意識だ。ところが、一部の上層階層にいる人達は、働くことを無上の喜びと感じて、限界まで働いている現実がある。

 しかし、未来社会ではこの価値観が変るだろうとされている。多くの人が、資本主義社会で競争に勝ち抜いた人が働くことに意欲的なことと、同じように働くことに生きがいを見いだすようになるというのだ。好きなことを好きなだけする社会だからだ。この点では私も好きなことで生きてきた人間として共感できるところだ。

 働かないでも働いても良い社会では、大半の人が好きな仕事を見付けて喜んで働くようになると見て良いだろうと私は思う。現実に実証実験が行われた国では、そういう希望のある結果が出ているという。今のところにわかに信じがたい人が多いだろう。いやいや働いている人の実感ではないだろうか。

 実際に経済がどうなるかを明確に示したものはない。あれこれ探すがどうも安易すぎて、経済の全貌を見ていない。ベイシックインカムはこの考えが出来てから20年も経つにもかかわらず、空想的なものとしてしか受け止められていない。

 やはり財政的にどういう構造になるのかを誰にでも分るように説明されんければならないだろう。日本人の人口を1億2千万人、国民1人あたりに10万円のベーシックインカムを支給するとなると1年で144兆円の予算が必要です。

 現在の社会保障費を廃止をまずしなければならない。簡単に言えば生活保護費がなくなるのは分りやすいだろう。そういう形で年金などもなくなるのだろう。結局の所、人口が今の半分位に減少し、GNPは今よりも倍くらいに増加しているような社会にならなければならない。

 コンピュター革命により、労働人口が減少して行くとしても、日本全体としての生産性が今の倍になるという事だろう。つまり、2040年くらいまで、行くとそういうことが起こる可能性が現実化してくる。能力主義が限界に達し、耐えがたい社会になる。

 多くの人が社会の仕組みから離始める。そうなると8万円か10万円を貰い。中山間地の消滅した地域で暮らし始める人が出てくる可能性がある。本当の人生を生きようとする。医療も社会インフラも不足するだろうが、そうしたものより、自由に生きる方を臨む人が多数派になり始める。私はその可能性が高いとみている。

  

 
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