★所在地:高市郡明日香村大字越
★墳形:方墳
★埋葬施設:両袖式横穴式石室
★出土遺物:不明
★築造年代:7世紀中葉~第3四半期
★被葬者:斉明天皇(但し初葬墓として)・・・白石太一郎氏 吉備姫王説
飛鳥を代表する古墳の一つで、飛鳥駅から5分程度の越の集落にある。
国史跡という事もあり、保存状態は良好ですが、以前(時代は不明)から墳丘西側の土が宅地造成や開墾の為、削られて元々の墳丘の半分以下になっている。石室は「岩屋山式」だけあって素晴らしい。切石タイプの石室。
★所在地:高市郡明日香村大字越
★墳形:方墳
★埋葬施設:両袖式横穴式石室
★出土遺物:不明
★築造年代:7世紀中葉~第3四半期
★被葬者:斉明天皇(但し初葬墓として)・・・白石太一郎氏 吉備姫王説
飛鳥を代表する古墳の一つで、飛鳥駅から5分程度の越の集落にある。
国史跡という事もあり、保存状態は良好ですが、以前(時代は不明)から墳丘西側の土が宅地造成や開墾の為、削られて元々の墳丘の半分以下になっている。石室は「岩屋山式」だけあって素晴らしい。切石タイプの石室。
東大寺 戒壇院戒壇堂(国宝)
756年に鑑真和上が大仏殿前に戒壇を築き、聖武天皇・光明皇后など440余名に戒を授け、翌年に戒壇院が建立された。創建時は金堂・講堂・僧坊・鳥居などがあったと資料に残されている。その後度重なる火災により創建当時の姿は完全になくなった。現在の戒壇堂は1732年に建立され、場所も大仏殿前だった以前とは違い大仏殿から離れたところに移された。
戒壇とは受戒の行われるところで、受戒とは僧侶として守るべきルールを仏前に誓う儀式であり、従い戒壇は神聖な場所。鑑真が戒を授けたことで正式な僧侶が日本に誕生した。
●四天王像(国宝)塑像
四天王は仏法の守護神として我が国においては飛鳥時代から信仰があり、奈良時代に最盛期を迎える。
創建時の四天王は銅像であったが失われ、現在の四天王像は寺内の中門堂から移されたものといわれている。
この四天王像は一具のなかで静と動で忿怒を表現し、天平彫刻の傑作として知られる。身にまとう甲冑は遠く中央アジアの様式がみられ、当時の文化の広がりを物語っている。
●多宝塔
享保17年(1732年)、戒壇堂とともに再建。塔内には釈迦、多宝の二仏像(木造)を安置
これとは別に鑑真和上将来といわれる釈迦、多宝の二仏像(銅像)が伝わっており、受戒の際にはこの二仏を安置する。
霊山寺
所在地 | 奈良県奈良市中町3879 |
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山号 | 登美山鼻高 登美山 鼻高山 |
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宗派 | 霊山寺真言宗 ← 高野山真言宗 ← 法相宗 |
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寺格 | 大本山 |
本尊 | 薬師三尊(重要文化財) |
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創建年 | 天平8年(736年) |
開山 | 行基・菩提僊那 |
正式名 | 登美山鼻高靈山寺 |
文化財 | 本堂(国宝) 三重塔、木造薬師如来及両脇侍像、木造十二神将立像ほか(重要文化財) |
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●由緒
千三百余年の昔右大臣小野富人(おののとびと)(通称鼻高仙人)が、湯屋に薬師三尊仏を祀り、薬草風呂にて諸人の病を治したのが遠因である。
後年、聖武天皇の皇女(のちの考謙天皇)が病に伏せた際に、天皇の夢枕に鼻高仙人が現れ、湯屋の薬師如来に祈念すれば良いとのお告げがあり、皇女の病が全快した。
天平八年(736年)聖武天皇の勅命で、行基菩薩が伽藍を建立。印度婆羅門僧菩提遷那は地相がインド霊鷲山(りょうじゅせん)ににているので霊山寺と名づけた。境内に菩提遷那の墓がある。
●本堂(国宝)
薬師三尊像(重要文化財)秘仏
●三重塔(重要文化財)
三間三間の桧皮葺、総高17メートルの小塔で弘安6・7年(1283・1284)頃の建立と推定される。鎌倉期の純和様式で、各重中の間板扉、両脇の間連子窓、組物もよく整ったその姿勢は華麗である。初重内部全面に巨勢金岡(こせのかなおか)筆と伝わる極彩色の壁画(非公開)がある。
大和国鹿島香取本宮
所在地 | 奈良県奈良市中町2238番地 |
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主祭神 | 武甕槌命 経津主命 |
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由緒:元々、郡山城の鎮守として祀られていたが、明治になって、当地の人斬山頂上に遷されたようだ。 祀られていなかった小祠があり、さわりに行くと祟りがあったようだが、社家の祖先が祀って来たと言う。 宅地開発の波に飲まれてその小祠も住宅地の中になってしまい、戦後人斬山の南側に新たに社殿を建設し、遷しかえたと言う。
鬱蒼とした人斬山の南端に東を向いて鎮座、二の鳥居の手前に馬場と厩舎があり、白馬が二頭飼われている。 七五三では子供達が乗馬出来るように台が置かれている。
氏子と言う存在はなく、参拝者のみで成り立っている単立神社である。
秋篠寺
●本堂(国宝)
所在地 |
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山号 | 阿陀縛狗山 |
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宗派 |
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寺格 | ||
本尊 | 薬師如来(重要文化財) | |
創建年 | 伝・宝亀7年(776年) | |
開山 | 伝・善珠 | |
開基 |
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文化財 | 本堂(国宝) 木造伝・伎芸天立像、木造地蔵菩薩立像、木造大元帥明王立像ほか(重要文化財) |
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奈良時代末期776年 光仁天皇の勅願によって創建。開基は善殊と伝える
平安時代1135年に兵火により講堂を残して金堂・東西両塔・南大門・東大門・真言堂・鐘楼などのほか鎮守の八所御霊神社など消失。
講堂を本堂に転用
奈良県を代表する「苔の寺」
伎芸天立像(重要文化財)
そのしなやかな立ち姿は「東洋のミューズ」(Muse・ミューズ=ギリシャ神話の女神たちの総称)と称えられる。
伎芸天とはヒンドゥー教のシヴア神の髪の生え際から生まれた天女
技芸修達、福徳円満の神様として芸術家や芸能人らの拝観も多いのが特徴。
頭部:奈良時代末期 脱活乾漆造り 体部:鎌倉時代 木造 彩色
●大師元堂(通常非公開)特別開扉6月6日
本尊:大元師明王立像(秘仏)(重要文化財)
一面六臂。憤怒の形相。胸、臂、腕、腰、足首に蛇を巻き付ける
●香水閣(通常非公開)6月6日公開
かつて、常暁(じょうぎょう)というお坊さんが、秋篠寺の香井戸(現在の香水閣)で、水面に映る自分の姿を眺めていたところ。
自分の後ろに、ものすごく大きくて怖い顔をしている存在が重なるのを目撃。
非常に不思議に思って、その姿をスケッチし、身に着けていた。
後日、常暁さんは、唐に留学するのですが、そのときに大元帥明王の存在を知り、「秋篠寺の井戸に表れたのはこの方だ!」と知り、日本に修法(御祈祷)を持ち帰ったという伝説がある。
秋篠寺の井戸のお水は、朝廷での御祈祷(大元帥御修法)のときに献上されてきた。明治4年(1871年)まで1000年余り続いた。