今週の主役は山田裕貴 演じる本多忠勝ですね
生涯かすり傷一つも負わなかったと言われている
忠勝が、槍で指を切ってしまいます
忠勝自身が老いを感じた瞬間でしたね
「老いには抗えん。無念だが、我らはここまでの
ようじゃ。役目は終えたのだ」と言う康政を、
「わしは認めん!!殿を守って死ぬのがわしの夢じ
ゃ、老いなど認めん。」と意気込みを語る忠勝で
すが、どうやら引き際が近ずいている見たいです
晩年の忠勝は、目を患っていたと言われています
が、殆ど見えていない山田裕貴の演ずる忠勝の演
技にも引き込まれるものがありました
流石、役者ですね
関ケ原の戦いも呆気なく終わってしまいましたが、
家康に内応していた小早川秀秋が、大垣城主・伊
藤盛正を松尾山から退かせ、松尾山を占拠してし
まったのが戦いの始まりだったのかも知れません。
最近の説では、秀秋は開戦と同時に大谷吉継隊へ
攻撃したと言われています
開戦前日に毛利輝元は本領安堵を条件に家康の調
略を受け入れたらしいのです
この事は毛利秀元や安国寺恵瓊には知らせていな
かったと言われていますが、時間的に無理だった
のか?? それとも意図的だったのか?
何れにしても、決戦の前日に西軍の総大将が家康
と和議を結んでいたのですから勝てる筈がありま
せん
関ケ原の戦いは開戦前に決着していたと言っても
良いのかも知れませんね
遂に家康は征夷大将軍になります
征夷大将軍に就任するという事は、武家に対する
軍事指揮権を持つと言う事になります
征夷大将軍になる事により、いまだに秀頼の臣下
となっている大名達を自分の指揮下に置く事が出
来るのです
しかし、征夷大将軍になっても家康による天下平
定が為された訳ではありません
秀頼を中心とした豊臣政権が存在し、家康による
軍事指揮権に大名達が従っているという少しやや
こしい構図です
家康のほうが秀頼より位階と宮職は上ですが、嫡
男・秀忠よりは秀頼のほうが上でした
この状態は、将軍職が秀忠に譲られたのちも続き
ます。
徳川としては、この状態を打破したかったのかも
知れませんね
その事が大阪の陣の一因であった事は間違いなさ
そうです
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