今の気持ちに集中する瞑想をマインドフルネスというのだそう。
今までも、私は、その『今』の気持ちを感じることが苦手であると書いてきた。
『今』は、すぐに雑念にすり替えられる。感じるのではなく、考える脳になっちゃう。
つまり、『今の気持ち』は、秒で『今直後の思考』に。
わがままに育ちたかったなぁ。
『わがまま』は『我がまま』
つまり、
『わがまま』は、『我がありのまま』
だから、マインドフルネスがいくらいいとわかっていても、できない。
60年以上、今の気持ちをスルーする癖がついている私が、自力で『今』を感じられるはずがない。
まじ、子どもはわがままに育てよう!
最近、しみじみ、育児のコツは、
早起き・生活リズム・ルーティンというけじめのある生活
そして、わがままに
カラダにけじめを。ココロに自由を。
ココロにしつけではなく、カラダにしつけを。
いい子にしたら、『今』を生きられなくなる。
『今』を生きられない人は、まだ、人生がスタートしていないかもしれない。
昔、あるカウンセラーに、あまり怒ったことがないんですけど、ある時、〇〇されたとき、なぜだか、わなわなと抑えることのできない怒りが湧いてきて、落ち着くまでに30分くらいかかったことがあったとお話ししたことがあった。その時、カウンセラーが、一般的な傾聴ではなく、具体的にその怒りについて質問をしてこられて、ぐいぐい感を感じ、たじろいでしまった。
傾聴というと、『そうなんですね。』『つらかったですねぇ。』などど、言葉を繰り返したり、気持ちに共感したりという感じだと思う人が多いかと思う。
でも、カール・ロジャースのいう積極的傾聴は、聴き手が、話し手の話す言葉を、そのまま受け取って返すだけではなく、もし、そこに、よくわからない違和感を感じたら、『それはどういうことですか?』と質問することも、その人を理解しようという気持ちの表れだと言われている。
あの時、普段、イライラすることもない(車を運転していて、前の車が時速50キロの道路を40キロくらいで走っている時は、イライラという感情が湧いてくるけど)私が、わなわなと抑えることのできない怒りを感じ、治まるのに30分もかかったなんて、一生に一度か二度の貴重な体験だった。だからこそ、怒りの感情が未分化ですとおっしゃったそのカウンセラーは、私の唯一無二の怒り爆発体験を分化せんと突っ込んでこられたのだと思う。
だから、質問は、傾聴の中でも重要な技術なのだと思う。
特に、我がままに生きてこなかった人にとっては、『今』を取り戻すために必須な傾聴じゃないかと思う。自分を大切にするってどういうことかわからない私が、真剣に自分を大切にするためには、積極的傾聴のできるカウンセラーみたいな人が必要だと、最近、腑に落ちている。
私のその怒り爆発事案は、そこまで怒ることもなかったような、よくある腹の立つことだった。
月曜日に当番だった後輩が、金曜日に私が当番で、うっかり洗い忘れていた出がらしのお茶っ葉の入った急須をそのままにしていたようで、私に『洗ってませんでしたので、そのままにしときました。』と他のスタッフも5~6人いる中で、当然のように言い放った時、怒りが抑えられなくなった。
普段の私なら、ぷんぷんと誰かに愚痴は言っても、怒り爆発なんてしないのに、な~ぜ?
それくらい洗ってくれてもいいのに。
洗ってなかったので、洗っておきました・・でもいいのに。
いやはや、それも言わなくてもいいのに。
私より、一回りも年下なのに。
どうして、こんなに人のいる前で言わなくてもいいのに。
言うなら、一人の時に言えばいいのに。
この人、デリカシーにかける。
おそらく、当時の感情は、こんな気持ちの総和だったと思う。
普通、洗うでしょう?
普通、一人の時に言うでしょう?
でも、一番怒りの元となったのは、一回り年下の人から、上から目線で言われたからだったかなぁ。
私の心には、まだまだ、〇〇すべきという不自由さがあるのだろう。
おそらく、普段、あまり言い返せない人や怒らない人、優しいと言われている人、不安になりやすい人、眠りが上手でない人などは、『今力』が弱い。
今のホントのホントの本当に気持ちを感じ取りにくい。
今を生きにくい。
人生を生きにくい。
世の中、カウンセリングってよく耳にする。
でも、意外ときちんと話す側の『今』の気持ちに向き合ってくれているだろうか?カウンセラーの勝手な思い込みでスルーされていないだろうか?
きちんと向き合ってくれる=聴く側が?と感じた時に、『よくわからなかったので、〇〇と感じたのは、△△だったからということですか?』と、質問をする・・・そんなカウンセラーに出会えたら、『今力』がアップして、過去のことにくよくよしたり、未来に対して不安で眠れなくなったりすることが、減っていくような気がする。
ロジャースの積極的傾聴を学んでから、はや20年。
やっと、腑に落ちた。
私みたいに、周りに気を使って、たとえ、頑張って、いやなことをいやだと言っても、相手の反応次第で罪悪感を持ってしまう『今力』の乏しい人間には、本当の意味で自分(の奥底にある気持ち)を大切にできない人は、積極的傾聴のできる人こそ、人生に最も必要な人だと思う。
しかし、そうそういない。
たいがい、自分の思い込みが私の話に侵入してしまう。
もちろん、私もそうかも。
まずは、日記か。
その日一日を振り返り、感じた喜怒哀楽を洗い出し、少しでも、怒りや悲しみの気持ちをキャッチしたら、なぜ、そう感じたか・・・を絞り出す訓練をしていき、感情を味わう。
まずは、書きたくなる日記帳を買おう。