Archive2016年09月 1/3
まだ足が痛い
日曜日に縄文杉に行ったけど、まだ少し足が痛い。特に右足のふくらはぎ。無意識に右足を酷使していたんだろうなぁ。以前熊本にある3,333段の日本一の石階段を上った時に一週間以上足が痛かったので、今回縄文杉挑戦した夜から活躍しているのが「バンテリン」(^^)これのおかげで日本一の石段を挑戦した時ほど痛みが続きません。効き目があるんだなぁ、いやもしかしたら自分が若返ったのか?(^^;さて3週間のリフレッシュ休暇...
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屋久島の名物「とびうお」
屋久島の名物は、柑橘類では「たんかん」。そして海のものは「くびおれ」と「とびうお」。「くびおれ」は屋久島で一本釣りされるゴマサバのことで、釣った後にすぐ首を折って血を抜き鮮度を保つことから、こう呼ばれています。なんか残酷・・・。でも脂身が少なく、身が締まっていて弾力がありとても美味しいのですが、今回は宿の料理に出なくてもう一つの名物「とびうお」が出されました。唐揚げにすると広がった羽が印象的で今に...
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屋久島の農家御飯
屋久島でランチに何を食べようかと走行していたら「食事処」ののぼりが見えたので立ち寄ったのが「屋久島 農家の食卓 食彩なからせ」。いただいたのは、「屋久島農家のうちごはん」。入店してメニューを見たら、 日替りの「おまかせ定食 屋久島農家のうちごはん」1500円のみでした。料理が出てくるまでちょっと不満だったのですが・・・。ところが飛び込みで入った店でメニューが一つしかないことに不満だったのだけど、なんとと...
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樹齢7200年 感動しました!
昨日、縄文杉に会ってきました。朝4時30分に宿を出発し屋久杉自然館へ到着が5時。そこから荒川登山口行きのバスに乗るのだけど、大混雑で到着後3便目の5時40分発のバスに乗車。そこから登山口までバスに揺られ約30分。縄文杉へ登り始める前までに時間が・・・。登り始めて5時間(途中休憩を結構とって)、なんか霊気が漂っているようでなんともいえない空間で、感動のご対面でした。感動したなら、また行くか?早朝出発...
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縄文杉挑戦のためブログ休みます
実は昨日から鹿児島に来ています。これから指宿に移動して「とっぴーろけっと」に乗船し屋久島へ移動。そして明日「縄文杉」へ挑戦です。明日の朝は4時?5時?とかの早朝出発で午後6時頃に戻り、さらに身体がガタガタと思うのでブログの更新を休みます。多分明後日も無理かも(^^;台風が発生したけど今回は北上しないようなので安心です。天気は晴れの予報!でもそこは「一ヶ月に35日雨が降る屋久島」と呼ばれるようにどうだ...
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島原名物といえば
島原名物といえば「具雑煮」です。これじゃ何のことか分からないですね。ふたを取ると・・じゃじゃ~ん!餅で覆われていますが、この餅の下には、かまぼこ3種類、アナゴ、ごぼう、卵焼き、シイタケ、凍豆腐、れんこん、鶏肉、餅、しろ菜、春菊の13種類の具が隠れています。これらの具から出てる旨味が溶け込んだ出汁が最高の真夏でも美味しい具雑煮。「具雑煮」は島原半島地域で正月やお祝いの席で食べられる雑煮のことです。「具...
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鯉が泳ぐ町「島原」
ちょっと島原記事が続きます・・・。長崎県島原市は「鯉が泳ぐ町」なんです。でも商店街は閑散としています。どこの観光地もそうだけどアーケード街が寂しいとなんだかなぁです。ちなみに写真は金曜日の午後です。でも鯉は元気に泳いでいます。そして島原観光の拠点としてあるのが「鯉の泳ぐまち 観光交流センター」の『清流亭』です。この施設は、市内観光の拠点として観光情報を提供してくれたり島原の名産品を販売しています。...
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島原湧水庭園 「 四明荘」
長崎県島原市は「水の都」といわれ、湧き水が豊富で 市内に約60ヶ所の湧水ポイントがあります。その湧水量は、1日に22万トン! すごいですよね。その湧水を使った庭園、 湧水庭園 「四明荘(しめいそう)」があり無料で見学ができます。 昏々と湧き出る大小の池が3つあり、 1日約千トンの湧水量を誇ります。庭園には松や楓などが植栽されていて観ているととても癒されます。無料で提供されるお茶をいただきながら 縁側に座って大き...
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島原武家屋敷はリアル
島原城の近くに武家屋敷が残っています。島原城が完成した1624(寛永元)年ごろ、外郭の西に接して扶持取70石以下の武士たちの住宅がかたまって建設され、戦いのときに鉄砲を主力とする部隊の住居でした。そのためこの界隈を鉄砲町と呼んでいます。鉄砲町は最初、下の丁・中の丁・古丁の三筋だけでしたが、新たに上新丁・下新丁・新建の三筋が作られ、さらに幕末に江戸丁が造られたそうです。現在保存されているのは「 下の丁」の...
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長崎県島原市にそびえ立つ島原城
島原城は1618(元和4)年から数年の歳月をかけ「松倉重政」(悪政を行なった領主)によって築かれた城です。安土桃山様式を取り入れた壮麗な城でしたが明治維新に取り壊されてしまいました。石垣と掘は当時のまま残っていて、そこに昭和の時代になって築かれたのが現在の城です。青い空に白い天守閣がよく映える城館内は資料館になっていて、島原といえば「島原の乱」を代表するように「キリシタン史料」をはじめとして「郷土史料...
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