■いまの中学生の方が当時の僕よりも全然上手い
——小中学校時代はずいぶん長閑な環境で野球をされていたそうですね。
小学校時代の練習は毎週日曜の朝6時から8時までの2時間、それだけでした。指導者も大学とかノンプロでやっていたような野球歴があるわけでもなく、子ども達に野球を教えたいという地域のお父さん達が教える感じで、ピリピリした感じもない伸び伸びやらせてもらえるチームでした。
——週に2時間だけの練習だとちょっともの足らないとか、もっともっと野球をやりたい、全国大会に出たいとかそういう気持ちにはなりませんでしたか?
勝つことにこだわってやっていたというよりも、仲間と一緒に捕って、投げて、打ってということが楽しいなぁという感じで野球をやっていましたね。きつい練習、辛い練習もやったことがなかったですし「バットを100回振れ!」「こういうふうにやれ!」みたいに無理矢理やらされたこともなかったですし。
ネットもSNSもない時代でしたから他のチームがどれくらい練習をしているか、どんな練習をしているかも分かりませんでしたから、自分たちのやっていることが普通だと思っていました。
——中学の野球部はずいぶん弱かったそうですね。
弱いということは先に入部していた兄を通じて知っていましたけど、近くに硬式クラブもなかったですし、そもそもシニアとかボーイズリーグという存在も知りませんでしたから、地元の中学で軟式野球をやるという選択しかありませんでした。
——弱い野球部に入ることで小学校時代に抱いた「プロ野球選手になる」という目標、夢が遠ざかってしまう不安や葛藤はなかったですか?
プロ野球選手になりたいとは思っていましたけど、漠然と「なりたいなぁ」と思う程度で、そのために具体的にどうするのかということまでは考えていなかったですね。なりたいのはなりたかったですけど「絶対無理なんだけど」とどこで思っているところがありました。
——高校時代も弱かったそうですね。
県大会へ進むための地区予選を何年も勝ち上がれないようなチームでしたね。同級生も2人だけでしたし、1年の夏は初戦敗退、2年の夏はくじ運に恵まれたこともあって3回戦まで行けましたけど、最後の夏も初戦敗退でした。
——そんな環境から最終的にプロ野球でも活躍されたことを考えると、聖澤さんの生まれ持った野球の才能とセンスがそもそも凄かったようにも思えます。
全く下手だったということはないと思いますけど、どのチームにもいる「ちょっと上手い選手」くらいのレベルだったと思います。いわゆる「スーパー小学生/中学生」みたいなことも全くなかったですし、同年代で甲子園に出場して活躍したり、高卒でプロに進むような選手達に比べると、野球のレベルは雲泥の差があったと思います。
いまは楽天アカデミーで子ども達を指導していますけど、当時の自分を客観的に見ても特別上手いとも、光るものがあるとも思わないと思います。いま通ってくれている中学生のほとんどが当時の僕よりも全然上手いですよ。