Amazon Kindle『WBC 球春のマイアミ』より一部を抜粋。開幕戦の中国戦を振り返る。
3月9日(木曜)16時、試合開始3時間前でも飽和状態。ギュウギュウ詰めで歩が進まず、会場内の移動だけで小旅行。こんな東京ドームは見たことがない。グッズ販売は午後4時前に強制終了。いちばん空いているホットドッグの売店でも30分以上かかる。熱気でドームの天井がいつもより膨張しているように見えた。異空間に迷い込んだようだ。ようやくレジの前に立ったらホットドッグ500円は売り切れ。
買ったのは東京ドームチーズバーガーにアメリカンソーセージ、ドデカサイズのコカ・コーラ。岡本和真のプロデュースグルメ『よくばり和真のテリチキエッグドッグ』920円よりは安いが、全部で1,670円の豪華ディナー。天井は低いが値段は高い。大谷翔平のユニホームが多いが、佐々木朗希や山本由伸などパ・リーグのファンが目立つ。
侍ジャパンの練習が始まった。選手たちは赤いジャパンのTシャツに身を包み練習。戸郷翔征の『小さな恋のうた』、伊藤大海の『Emotions』。スタジアムをライブハウスに変える。
三塁側の1階席から眼に入ったのがサードの守備練習をする岡本和真。ルーキー時代の8年前、2軍のジャイアンツ球場で観たときは動きが鈍かったのに、まったくの別人。華麗すぎるグラブさばき。70センチに迫る太もも、100センチを超える巨ケツは「象」と呼ばれるが、ファーストの守備が頼もしい。
視線をショートに移すと源田壮亮。背番号2は愛知学院大学時代と同じで源田の好きな数字。フィールディングに無駄が1ミリもない。氷の上を滑る動き。侍ジャパンの守備はグラブひとつで心を鷲掴みにする。
外野では戸郷が第二先発に備える。菅野智之に「金がとれる」と言わしめたキャッチボールで強肩を披露。背番号12は前回大会で秋吉亮が背負った。先輩の侍は6試合に登板し、2安打無失点に抑えた。戸郷も続けるか。
背中が最も頼もしいのは吉田正尚。山川や村上のフリーバッティングの直前に外野に現れ、実践に近い球を捕ろうとした。
しかし、アグー山川が規格外のパワーを見せつける。何本スタンドに放り込んだのかわからず、村上も看板直撃弾を打ち込んで場内を沸かせる。2人して吉田正尚の守備練習の計画を壊した。これが令和の侍ジャパン。
日本人メジャーリーガー全員が辞退した2013年は、KIRIN一番搾りのビールの看板で微笑むイチローが何度も映し出された。それが余計に寂寥感を漂わせたが今年は違う。メジャー始動年にして代表入した吉田正尚のような頼もしい仲間がいる。
バッティングゲージを見れば怪力が柵越えを連発し、グラウンドでは華麗なフィールディングが流れ、外野を見れば強肩投手のキャッチボール。ラグジュアリーな視覚体験。練習だけで金を払う価値があるのがWBC。
日本と中国の練習が終わり、セレモニーの準備に入ると、ついに現れた。東京ドームでこの日いちばんの大歓声。ニューバランス社の新しいグローブを着けライトスタンドへ。ボディビルダーのような筋骨隆々のTシャツ姿と違い、黒のアンダーシャツ、縦縞のピンストライプのホームユニホームは193センチのスラリと伸びた長身を際立たせる。胸の「JAPAN」は黒字にゴールドで縁取られ、神聖な儀式に向かう白装束。メジャーリーガーの威圧感を想像していたが、そこにいるのは孤高を纏った侍だった。超一流の投手だけが纏う光と影。
ルーティンである壁当てを黙々と行う。捕手ではなく壁が大谷翔平の魂を受け止める。バックにナインがいるとはいえ、ピッチャーは孤独。鈴木誠也が「世界一」と脱帽する大谷のバッティング練習は観客をドカンと沸かすエンターテイメントショーだが、壁当ては静粛な儀式。バッターは打てばポイントが貯まるが、投手はゼロに抑えるか点を奪われるしかない。ピッチャーはいつも”負”を背負っている。
明治時代にベースボールが伝来した頃は「打球おにごっこ」と呼ばれたように、バッターが打って点が入ることを前提としている。打者はアウトになってもマイナスがないが、ピッチャーは点を奪われると「自責点」がつく。負け投手の刻印はあるが、負け打者はない。投手は敗北を委ねられ、エデンの東へと追いやられる。マウンドは墓場でありゴルゴダの丘。生き残るか死ぬかの登山。同じ野球でも打者と投手はまったく違う。19時になれば背番号16に世界中の眼が注がれる。大谷翔平という名の「ひとりワールドシリーズ」がはじまる。
18時。いよいよ侍ジャパンのWBCが始まった。東京タワーではWBCロゴの4色(黄・青・緑・赤)が風車が回るようにカラーチェンジを繰すライトアップ。日本中が侍ジャパンの初陣を祝福する。返西岡剛が「やっていて楽しくなかった」と語る17年前の東京ドームとは真逆の人口密度。閑古鳥は鳴いていない。場内が暗転し、41,616人が一斉にフラッシュをたくとカクテル光線のような美しさが広がる。ここにいる選手はスターばかり。東京ドームの天井はプラネタリウム。チームは一瞬の期間だけ花を咲かせ、大会が終わると解散する。儚さと美しさ。それは東京ドームに咲く満開の桜。いよいよ1ヶ月間かけて熟成させた初陣のスターティングラインアップが発表される。
1(中)ヌートバー
2(右)近藤 健介
3(投)大谷 翔平
4(三)村上 宗隆
5(左)吉田 正尚
6(一)岡本 和真
7(二)牧 秀悟
8(遊)源田 壮亮
9(捕)甲斐 拓也
120点満点のオーダー。今年の侍ジャパンにおいて、これ以上のオーダーはない。1番は切込隊長のヌートバー。初球から強振するガッツとペッパーミルでチームを勢いづける。2番は出塁の鬼・近藤健介。クリーンアップにつなぐリンクマンとして驚異の出塁率を見せつける。3番に大谷翔平。栗山監督は最強打者を3番に持ってきた。メジャーの主流である2番最強ではなく、日本の野球で戦う。4番に村上宗隆。5番は吉田正尚。ヒットゾーンにボールを運ぶ技術が卓越したバットコントロールでランナーをホームに返す。6番に岡本和真。宮崎キャンプでは山川穂高の控えだったが、練習試合、強化試合で結果を残しスタメンを勝ち取った。7番は牧秀悟。国際大会にめっぽう強い山田哲人を下剋上する躍進。8番は源田壮亮。ミスが命取りになる国際試合で攻める守備で日本を救う。9番はキャッチャーの甲斐拓也。キャノン砲で盗塁を許さない。日本で700万人を超える野球の競技人口の中から、30人しか選ばれない世界。東京に住む者にとって身近にある東京ドームが聖域に変わる。
足をピタッと揃え、ミズノのオレンジのグラブを胸に当て、右手で帽子をとって観客とグラウンドに深いお辞儀。WBCがどれほど崇高で厳粛な場所か、村上宗隆の姿勢に濃縮されている。声出しの担当を決める清水雅治コーチは今後の侍ジャパンを背負う期待を込めて開幕戦の円陣の声出しに村上を指名。ホットコーナーと呼ばれる三塁は熱い男が似合う。
今回のWBCが違うのは最後の最後までスタメン争いをしたこと。選手たちは今日の時点で多少なりとも疲労があったはず。巨人の4番にして代表入りの当落線上に立ち、2年連続でゴールデングラブ賞に輝きながら本職のサードは村上に明け渡した。ファーストは山川穂高の控えとなり、万が一のときの外野の予備としても参加。そこから1試合も手を抜かず最後の最後でスタメンを勝ち取った。試合前に岡本和真がコールされたときは涙が出た。「巧」の刺繍が入ったミズノのファーストミットは井端弘和が2013年WBCで使用したもの。侍ジャパンの魂は10年経っても生きている。1つの道具を大切に使い続けるのも岡本和真の野球。
1回表
念願のマウンドに立つ大谷翔平が指揮者ように指差しでナインを出迎える。侍ジャパンというオーケストラを奏でるマエストロ。いよいよWBCに二刀流の1ページが刻まれる。日本と中国は06年の第1回大会から欠かさず一次ラウンドでぶつかってきた。侍ジャパンの歴史は日中戦でもある。今年の2月、アリゾナにいるときに大谷翔平は取材に対し、一番大事な試合に「中国戦」を挙げた。初のWBCにして、この一戦の重みを理解している。
大谷の緊張感は観客にも伝染する。アイドルたちの披露宴であるオールスター戦を観に来たように浮ついた空気が一変、静寂に包まれる。「WBCで一番印象に残ったのは中国戦。4,1616人のお客さんが入って、第1球があれだけ静かなのは不思議な感じがしました」と大谷は語る。宮崎キャンプから日本の4番は不調に陥り、合宿を終える日には主砲・鈴木誠也の欠場が決まった。全国お祭りムードの上空には不安の雲が覆っていた。背番号16のエースは日本中の期待と願いを背負っている。4,1616人の沈黙に、その重力がすべてのしかかっていた。
グラウンドの大部分が芝生である東京ドームにおいて、直径5.4864メートルの円形のマウンドはすべて土。今シーズンから使用するニューバランスのスパイクで踏む大谷翔平は、独り月面に立つコスモナウト(宇宙飛行士)のようだった。
193センチの長身、長い脚を高く上げた美しいテークバック。そこから放たれるファーストピッチは、外角低めに大きく外れる157キロの直球。侍ジャパンの戦いはエースの全力投球で幕を開けた。この瞬間、WBCは二刀流の第一歩を踏み出した。
昨年から取り組む「ショートアーム」を披露。腕を伸ばさず、曲げた状態でテークバック。球威は落ちるがコントロールが良くなり、ケガのリスクも減る。しかし、ブルペンでは1球もストライクが入らなかった。
調子のバロメータはわかりやすい。2回表、5人目の打者に投じた160キロのストレート。剛腕から100マイルの豪球が発射されたとき甲斐拓也のキャッチャーミットが「バチーーン」と物凄い音をドーム中に響かせる。野球観戦で外野席に近い場所まで捕球音がはっきり聞こえることはない。大谷の威力、甲斐のキャッチング、そして固唾を飲む観客の沈黙が織りなす三重奏。
そして電光掲示板を見た観客からどよめきが起き、直後に大歓声の交響曲に変わる。たった1キロでも159キロと160キロでは球威がまったく違う。大谷翔平の背後で見守っていたヌートバーは「呼吸をするのも忘れるくらい素晴らしい瞬間」と恍惚した。
投球の中心はスライダー。斜めに落ちる「スラーブ」に加え、「スイーパー」も披露。30年前、ヤクルトの伊藤智仁がルーキーにしてプロ野球を震撼させた魔球。定義は人によって異なるが、落差が10センチ未満で横への変化が25cm以上ある直角に横滑りする変化球を指す。
大谷が自身の「軸」と語るように、スライダーよりも大きな弧を描く。しかも大谷の曲がり幅はホームペースの横幅より大きい。内角ギリギリに投げた球がキャッチャーミットに到達するときは外角のボール球になる。この"異次元の逃亡者"にバットは空を切る。打者にとって、珈琲をフォークで飲むようなもの。
中国代表のディーン監督が「やられた」と語ったのが、体にぶつかるコースに投げ、そこから曲がってストライクになってしまうフロントドア。1回表・3番バッターの真砂勇介も思わず腰が引ける。三塁ベンチに投げた球が壁に跳ね返って身体に向かってきたと錯覚するほど。
そして真砂への2球目は158キロのツーシーム。昨年9月に披露し、全米を震わせた「ターボ・シンカー」。この組み合わせにボールを引っ掛けるのがやっと。直球、変化球、魔球。初めて対戦する中国打線にとってはナスティ・ボール(手に負えない球)となった。
メジャー移籍後、大谷の代名詞だったスプリットは3回2アウトから捕手の李に投じた1球のみ。WBC開幕前のアリゾナキャンプではスプリットのキレが良かったが、大きく縦に割れるカーブは1球もなし。
キャッチャーが1試合でピッチャーに要求する球数は90〜200ほど。これは将棋の棋士が1回の対局で指す数に等しい。キャッチャーは棋士が王手をかけにいくように配球を考える。WBCの一次ラウンドは球数が65球と決められており、省エネで投げなければいけない。大谷のスプリットはストライクからボールになる球なので、打者に見逃されるとボールになり、球数制限を圧迫する。だからファストボール(ストレート)とスピンをかけて変化させるブレイキングボール(スライダー)の2球種を織り交ぜて配球を組み立てた。
大分県大分市で生まれ育った甲斐拓也は小学生の頃からキャッチャーに憧れていた。両親は2歳のときに離婚し、兄の大樹さんと拓也の兄弟を母の小百合さんが1人で育てた。昼間はタクシードライバー、夜はパチンコ店の清掃をしながら兄弟ふたりの学費や野球の道具を捻出。値段が高くて買えないプロテクターは、甲斐が自分でダンボールを切ってガムテープでグルグル巻きにして代用した。中学時代はセカンドだったが、ある日、監督に呼ばれて念願のキャッチャーをやることになった。甲斐の野球人生は常に何かに導かれている。
斎藤佑樹や6球団指名の大石達也が話題となった2010年ドラフトの入団。ただし、即戦力ではなく育成を目的として指名される育成ドラフト。その最下位である6巡目指名。同期の育成5巡目に侍ジャパンの牧原大成、辞退しなければ代表入り確実の育成4位・千賀滉大がいる。それもソフトバンクに3軍制度が導入されたことで指名された強運の持ち主。今や日本を代表するキャッチャーだが、甲斐にとって野球ができることは当たり前ではない。
大谷と甲斐がバッテリーを組むことが決まったのは宮崎キャンプ後半。村田善則バッテリーコーチは「初めて受けるピッチャーのデータを上手く拾って引き出せるタイプ」と評価。来日が遅く練習期間の限られる大谷と組み合わせることに決めた。ただし、開幕前に甲斐が大谷を球を受けたのは強化試合1試合目の3月6日のみ。球数は30球未満。その準備で中国打線を1安打に抑えた。49球中26球がスライダーを要求したのは点差が1点しかなく、ベストボールのスライダーで攻めることを意識したため。横、縦、ホップする3種類のスライダーを投げ分け、そのあとに放るストレートで一気にギアを上げることができる。100マイルの直球が唸っていたのは、そのためだ。村田バッテリーコーチの読みどおり、甲斐リードが大谷の豪速球を引き出した。
4回1安打49球。世界に侍ジャパンのエースを見せつけた。状態はよくなかったが、指揮官は「修羅場をくぐってきた」と讃える。次は日本ラウンドの最大の山場。16日の準々決勝。
1回裏
侍ジャパンの進撃はヌートバーから。大股でバッターボックスに向かう。ブロック体で書かれたユニホームの「JAPAN」が勇ましい。兵庫県丹波市にあるミズノの氷上工場で手作業で縫われた。紅と濃紺が螺旋状になった縦縞のピンストライプ。紅は勝利への情熱、紺は鎌倉時代から侍が纏ってきた勝色。襟と袖には過去2回の優勝を象徴するゴールドの円環。何より目を引くのがメインの色である真白(ましろ)。それを日本野球の痕跡がないヌートバーが着用している。最高峰の舞台であるWBCに過去や未来もいらない。真っ直ぐに今を楽しめばいい。ヌートバーがまとう純白は歴史や大人の事情などの余計な重力を脱色している。もはや歴代の侍ジャパンとは別次元のチーム。
兜である漆黒のヘルメットには日の丸レッドで「J」の文字。黒染めのバットを構える姿は合戦に立つ侍そのもの。右腕だけに装着したロングサポーターの純白が一途な憧れを、赤と白の日の丸カラーのバッティンググローブが侍ジャパンの一員である意志を表している。14年前、イチローの劇的な一打に日本代表への想いを熱くした青年は、同じく侍ジャパンのリードオフマンを担う。
データがない中国の投手を何球か待って見極めるかと思いきや、中国の左腕・王翔(ワンシャン)の初球を強振。わずか0コンマ何秒で判断する"閃球眼。侍ジャパンの掛け声である「さあ行こう!」を証明する一打は、センター方向へ抜ける。試合はこの一発で決したと言っていいほど侍ジャパンを発奮させた。栗山監督もWBCを通して最もうれしかった瞬間と語る。「魂にスイッチを入れるには物語が必要。チームの推進力にはドラマがいる」。だからこそ反対意見が多い中でヌートバーを日本代表に選んだ。その成否は初打席で見事に証明された。
国際大会の初戦は初ヒットが待ち遠しい。一本が生まれるまではベンチが重い空気に包まれる。ヌートバーはたった一球、一撃で重い霧を払拭した。かつてイチローのバットは日本を導くマエストロの指揮棒だったが、ヌートバーは初参戦にして、イチローと同じ役割を感じさせた。
ベンチも沸き立ちペッパー・ミル。これが侍ジャパンのバイキルト。大谷に勝るとも劣らない着火力。
カージナルスで評価が高いのは初球から共振できることと言われてきたが、正直この舞台でも己を貫けるとは思わなかった。19歳のピッチャー王翔(ワンシャン)は完全に萎縮し、近藤健介、大谷翔平、村上宗隆と12球連続でストライクが入らなくなる。フォアボール3連発を誘発したのはヌートバー。
4回裏と7回裏の攻撃では、一塁ゴロに引っ掛けながらも二度とも出塁。野球において一塁ゴロはアウトになる確率が高く「全力で走る」という誰でもできることが実は一番難しくもある。白井一幸ヘッドコーチは「ヌートバーは一歩目から全力で走る。そこから感動が生まれる。我々が目指していたスタイルで、侍ジャパンの在り方を体現した」と絶賛。
7回の出塁の直後には果敢に盗塁。プロ野球に来る「助っ人外国人」は大砲のイメージが強いが、日系人のヌートバーに関しては塁に出ることで侍ジャパンを勢いづける。
3回表
3回の守備、8番の羅錦駿(ルオ・ジンジュン)が打ち上げた打球がフラフラと宙を舞う。ポテンヒットと思われた打球に、鹿児島でつくられたウィルソン社のグラブが伸びる。ヒット性の当たりにヌートバーがスライディングキャッチ。大谷も前回大会の開幕戦(対キューバ)でもセンターの青木宣親が難しいフライをダイビングキャッチし、相手に流れを渡さなかった。かつて城島健司が言ったように「守備で攻める」のが侍ジャパン。外野守備走塁コーチの清水雅治は本職のライトを推したが、栗山監督はヌートバーのセンターを固辞。両翼のカバーが必要なセンターはコミュニケーションをとる必要があるが、栗山監督には見えないものが見えていた。この配置が日本を救うことになる。
キャッチの瞬間、舌を出すのは同じ背番号23を着けたマイケル・ジョーダンと同じ。スーパースターの素質。侍ジャパンの1番打者といえばイチローだが、たっちゃんのリードオフマンも日本野球に刻まれる。WBCは新たなヒーローを生み出す母胎である。
大谷翔平の第1打席。今年からバットをアシックスからチャンドラー製に変えた。木の材質もバーチからメープルに。漆黒のバットの光沢、それ以上に美しい構え。大谷が打席に立つと、バッターボックスが眩いサンクチュアリに変わる。
構えるということは待つことだ。野球は不思議なスポーツである。攻撃する側が最初にすることが待つこと。ピッチャーが投げるのを待ち、それを打ち返す。サッカーやバスケットのように攻撃する側がボールを運ぶのではない。
快音は聴かれなかったが、吉田正尚といいWBCに選ばれる打者の構えは武士の居合いのような美しさを持つ。昔と比べて体幹の強さが進化したのかもしれない。ある映画メディアの編集長は「時代劇に最も必要なものは姿勢の美しさ。いくら顔が良く、長身でも姿勢が美しくなければ武士に見えない」と言った。今大会の日本代表の構えは、真の侍にふさわしい。バッターの構えは、そのまま「心構え」「気構え」といったメンタルにつながる。構えは打撃に大きく影響する。
そして侍ジャパンの強さが出塁率。その代表格が5年連続で出塁率4割を超えている近藤健介。背番号8は第1回大会の今江敏晃、第2回大会で出塁率.417を叩き出した岩村明憲と同じ。この試合の打率は.250だが2つのフォアボールを出させて出塁率は5割。野球には「バットを振らない」技術もある。
ベースボールで四球による出塁が導入されたのが1889年。1845年9月23日に制定された世界初の野球ルール「ニッカーボッカー・ベースボール・クラブ規則」は20条。当初は「ボール」のルールがなく、9ボールで一塁へ進む時代もあった。日本で大学野球の第1回早慶戦が行われた明治36年(1903年)は四球ではなく五球だった。
バッターはストライクとボールの微妙な境界線を見分け、投手を追い込んで自分が打てるコースに投げさせる。打撃センスは打ち方とボールの「待ち方」の合計値。
今大会、日本は安打の数より四球で出塁した数のほうが多い。ヒットは1球で済む場合があるが、フォアボールは最低でも4球投げる。球数制限があるWBCでは四球は大きなダメージ。また、ピッチャーは四球を出すと次はストライクを入れようとしてコースが甘くなる。次のバッターにとっても有利になるのがフォアボール。
球場に快音を響かせることが仕事のバッターにおいて、"バットを振らない"2番打者の近藤健介は貴重。トップバッターが出塁した際に盗塁を狙える。現代ベースボールでは2番に長打力のあるバッターが立つ傾向にあり、初球からガンガン強振していく。しかし近藤健介はボールを見ることができる。これがバッターにおいて何より難しいことであり、打線が"線"になるためには重要。そして近藤が出塁することで、三塁をガラ空きにするなどの極端な守備シフトができなくなる。次の打者が打ちやすくなる。MLBの実況は近藤健介を安打製造機ではなく「ベース・マシーン」と称えた。
今回、近藤健介の置かれた状況は他の打者と違っていた。鈴木誠也がいれば代打の起用が多くなる。バッティングの機会は少ない。その一打一打に集中し、結果を残さなければいけない。これがスタメンであれば1試合に4打席は回ってくるので、試合の流れを見ながら勝負所に集中する。近藤の場合、急遽フルスタメンすることになったが、すべての打席をピンチヒッターのような心構えで臨んだことが好結果につながった。
4回裏
バッター大谷翔平の第1打席はフォアボール、第2打席は満塁のチャンスでショートゴロに倒れる。フルスイングで空振りするだけで響めきが起こるのが今の大谷翔平。
やはりSHO-TIMEはバッターとしてもやってきた。4回裏、膝より下のインローをアッパーカット。もはやストライクゾーンもへったくれもない。チームメイトに悪戯を仕掛けるイタズラ小僧は悪球打ちも得意。
あわやホームランのレフトフェンス直撃2塁打。ヌートバーがホームに生還し、近藤健介は笑顔全開のヘッドスライディング。弾道、打球速度がありえない。すくい上げた打球が瞬く間にフェンスに到達。バリー・ボンズでも打てるかどうか。それでも本人は「ホームランにできた」と二塁ベースで悔しがる。
ひとりジュラシック・パーク、ひとりフライボール・レボリューション。
8回裏の2アウトで最終打席が回ってきたときは、メジャーに行く前の最後の打席で回ってきた松井秀喜を彷彿させた。センターフライに倒れたが、この回は大谷ではじまり大谷で終わる。侍ジャパンも大谷のピッチングで幕を開け、打撃も大谷で終わる。大谷を中心に侍ジャパンは自転していた。
5回表
5回から大谷の後を継いだのは巨人の戸郷翔征。昨年はリーグ2位の12勝、154の最多奪三振で菅野智之からエースの座をもぎ取った。戸郷という苗字は全国で40人しかない。巨人の若きエースは肘を曲げず、腕を伸ばしたまま肩の力で投げる「アーム式」の投球フォーム。187センチの長身から槍投げのようにボールが飛び出していく。
3月3日の中日との強化試合ではWBC球に苦労し、中日のアキーノに一発を浴びた。本番ではどうか。蓋を開けると初のピギーバック(第2先発)も3者連続の空振り三振、わずか10球で仕留める。だが、あまりのスピード交代に打者がリズムを崩したのか、裏の攻撃では源田が見逃し三振。甲斐がフォアボールで出塁するが、ヌートバーが併殺打。
重たい空気がドームを支配する中、6回には戸郷が6球で2アウトをとる。打者5人で4奪三振。これぞセ・リーグの奪三振王。しかし、なにか胸騒ぎがして安心して見ていられない。日本生まれ日本育ち、東海大菅生出身のトップバッターであるリャン・ペイにフルカウントからの直球をレフトスタンドに運ばれる。甘く入ったとはいえ、バッターが上手く腕をたたんで捉えた。第1回大会の開幕戦で巨人の先輩・上原浩治が王偉(ワン・ウェイ)にホームランを打たれた光景がフラッシュバックした。野球のマウンドは相撲の土俵と同じく土でできている。力無き者は押し出される。
世界で初めて野球のルールが制定されたのは1845年の9月23日。「ニッカーボッカー・ベースボール・クラブ規則」。まだフォアボール(四球)のルールがなかったときも、ファウルゾーンは存在した。ただし、一塁、三塁の線外に出てファウルになるのはノーバウンドのときだけ。バウンドして出た場合はフェア。野球の先人たちは180年近く前からファウルフライを追いかけてきた。ファウルゾーンで試合を左右するプレーが繰り広げられるのも、他の球技にはない野球のアイデンティティ。
7回裏
打撃の主役は牧。野手では村上宗隆の23歳に次ぐ24歳と2番目に若い年齢。背番号3は第1回大会の4番・松中信彦、第3回大会の伝説・井端弘和、そして第4回大会の松田宣浩が背負った熱男の証。「ハマのムードメーカー」と呼ばれる牧は、自身の打撃が振るわなくてもベンチに戻るとすぐに大声を張り上げ味方を鼓舞する。長野県中野市出身の牧は故郷・善光寺の龍と鳳凰がデザインされた「勝守」をチームメイトに配布。ベイスターズの若きハマの4番が下位打線の7番を打つ。しかも、山田哲人が不調でなければ控え選手。オーダー表を見ただけで凄さがわかるのがWBC。大学時代にショートから二塁手に転向。好きな言葉と語る「努力」の守備練習で、2年間で8個だったエラーをゼロにした。中央大学3回生では大学日本代表に選出。4番を務め、野球に対する気持ちの入り方が変わる。
ベイスターズのチームメイトが驚くスイングスピードの持ち主は一番の強みを「勝負強さ」と語る。WBCに照準を合わせ、大学時代から契約を結ぶ野球ブランド「シュアプレイ」製のバットの先端部分をくり抜いた。外国人投手の速球や、微妙に動く球に対応するため、従来より10グラム軽い860グラムにマイナーチェンジ。操作性を実現したメープル材の新刀で挑んできた。
その成果が早速発揮され、侍ジャパン唯一のホームランを打ったのだから、野球の神様はロマンチストだ。スタメンを奪われた山田哲人も大喜び。
東京ドームの外野スタンドにそびえる日本最大級の横幅125m越えの大型リボンビジョンに「HOME RUN」の文字が躍る。牧がベースを一周し、東京ドームにダイヤモンドの軌跡を描く。たった一本、されど一本。全47試合が行われるWBCにとっては数ある1本にすぎないが、侍ジャパンにとっては大きな一歩。
山田哲人も強化試合まで14打数無安打という関越トンネルのような長さを抜け8回1死満塁からレフトへのタイムリー。特にノースリーから強振してファウルにしたのは驚く。野球選手としての躍動感が桁違い、山田哲人がグラウンドにいるとチームが一気に華やぐオリンピック、プレミア12、WBCと国際大会の経験が豊富な山田は、スタメンであろうと控えであろうと、その役割、その場面に応える”便利屋”になり切ることができる。それが山田哲人の強みであり、こういう選手がいるチームは強い。
山田に続き、開幕戦のマスクを託された甲斐拓也もダメ押しタイムリー。第1回大会の開幕戦と同じく球速の遅いピッチャー陣になれず、序盤は苦労した。普段やっている野球のタイミングよりワンテンポずらす必要があり、自分たちの野球ができない。バッティングはタイミング。太鼓の達人と同じである。おまけに17四死球という草野球なみの荒れ試合にリズムも狂った。
侍ジャパンの躍動に負けず中国ナインも健闘。ビジターユニホームは国旗の基本カラーと同じ。ベースは紅蓮の赤色で革命を表し、黄色で「China」の文字。Cが龍のデザイン、「i」の字の丸部分を野球ボールにした抜群のセンス。ホームユニホームは白を基調にしているため、赤と黄色が映えるビジターユニホームに愛国心を感じられる。75歳のディーン・リロイ監督はマイアミ・マーリンズでブルペンコーチを務め、15年間アメリカのマイナーリーグでコーチ経験がある大ベテラン。円陣で「世界を驚かせよう!」とナインを鼓舞。点を取られても6投手をつぎ込んで最後まで戦い抜いた。
マウンドでは『スラムダンク』の安西先生ばりに「私だけかね?まだ勝てると思っているのは」と励ましたに違いない。
7回表
7回も戸郷が続投するが、先頭の真砂勇介に二塁打。この日、大谷翔平の次に拍手喝采を浴びせていた観客もようやく目を覚まし、東京ドームに緊張感が走る。試合の直前に韓国が負けたことで「野球の怖さをみんな感じている」と栗山監督は語ったが、その通りの展開に。しかし直後に源田が三塁ファウルボールに猛然と突っ込み背面キャッチ。2013年の台湾戦で同じくショート坂本勇人がチームのピンチを救ったバックキャッチと同じく悪い空気を一掃した。
ショートのポジションを遊撃手と名付けたのはベースボールを「野球」と訳した中馬庚(ちゅうまんかなえ)と言われているが、さすがにファウルゾーンまで源田アイランドに変えてしまう守備力は中馬庚も驚いているだろう。真偽は定かでないが、ベースボールの草創期、ショートは外野手からの送球を受ける中継としての役割だっという。また、打者によって二、三塁間や、一、二塁間など守備位置を変えたとも言われる。他のポジションに比べて短い距離を処理するから「ショートストップ」だが、自由気ままにグラウンドを駆け回る源田壮亮には「遊撃手」が似合う。
源田は3回表にもファインプレーを生み出している。先頭打者の7番寇永康(コウ・ヨンカン)が大谷のストレートを引っ掛けると、力のないボールがショートへ。するとイレギュラーバウンドが少ないはずの人工芝でボールは不規則なダンスを起こした。それを源田は何事もなかったかのように捕球しアウト。ZETTのグレーのグラブにボールが吸い込まれるようなキャッチング。嫌な跳ね方をしたと気付かなかった観客が多いほど、何でもないようにボールをさばいた。このとき先頭打者が塁に出れば試合の流れは変わったかもしれない。涼しい顔をして難しい仕事をこなす源田の超一流の守備が光った。
源田がショートにいることで安心感が内野全体に伝染し、逆に相手打者はショートに打つまいと力む。源田1人がいることで試合をの勝利をグッと引き寄せることができる。半年以上を戦い抜くレギュラーシーズンは長距離走であり、約2週間のWBCは短距離走。フルマラソンでつまずいても挽回のチャンスはあるが、100メートル走でつまずけばその時点で勝負は終わる。失策をいかに防ぐかはもちろん、攻めの守備で好守を生むか。それが勝利へのルート。侍ジャパンはショートの源田壮亮を筆頭に、ファーストの岡本和真、セカンドの山田哲人と内野は守備の名手が固める。ピッチャーの正面にはキャッチャーしかいないが、背中には7人の野手がいる。これほど心強いバックは世界中を探してもないだろう。
源田のファインプレーのおかげで戸郷も踏ん張り、レイ・チャンは四球で歩かせるが、その後は2者連続で空振り三振。最後の打者ヨンカン・コウを内角低めのフォークで討ち取ると、甲斐と同時に大きくガッツポーズした。
8回表
8回からは湯浅京己。京己と書いて「あつき」と読む。「己の力で京(みやこ)を築く」という想いが込められた23歳の若虎は、タイガースや侍ジャパンの先輩・藤川球児の背番号22を受け継ぐ。リリーバーを任されるにあたって自ら希望した。
1999年7月17日、熊野古道とリアス式海岸の熊野灘に面した三重県尾鷲(おわせ)市の生まれ。一度降り始めると、どしゃ降りになる「尾鷲の雨」と同じく、183センチの長身を活かした大きく投げ下ろすダイナミックなオーバースローは球場で見ると、その美しさに惚れ惚れする。
福島の聖光学院高校を卒業したあとは大学進学ではなく独立リーグを選び、BCリーグの富山に入団。当時監督を務めた伊藤智仁の指導もあり球速が大幅にアップ。2018年にドラフト6位で阪神に指名され、入団後は歴代最年少の23歳で最優秀中継ぎのタイトルを獲得した。シーズン前に実績がなかったにもかかわらず、契約を結ぶザナックス社にオールスター用のピッチャーグローブを発注したほどの強気。紫の特注仕様は有言実行で球宴の舞台にてお披露目された。
その意志の強さはリリーバー向き。独立リーガー出身で初のタイトルホルダー。念願の侍ジャパン入りを果たす。この日もWBC仕様のグローブで挑んだ。侍ジャパンをイメージしたネイビーのボディに赤色の締め紐。左手を入れる部分には日の丸と座右の銘である「雲外蒼天」の刺繍。気合十分の中、最速154キロの直球とフォーク、スライダーを織り交ぜ、中国打線を3者連続の空振り三振に斬った。
9回表
クローザーは伊藤大海。「北海道日本ハムファイターズ」が誕生して17年、初めて北海道ゆかりのドラフト1位指名選手。子どもの頃から憧れたダルビッシュと同じユニホームを着てチームメイトとなった。函館市に隣接する鹿部町の出身。温泉が湧く人口約3800人の港町で小学2年生の伊藤は野球を始めた。
高校時代は甲子園に出場したが、進学した駒澤大学ではレベルの高さに打ちのめされ、1回生の10月に中途退学。半年間の浪人生活を経て地元・北海道の苫小牧駒澤大学(現・北洋大学)へ再入学。1年間も登板できなかったが大学2、3年時の侍ジャパン大学代表ではクローザーを務めた。
いつでもボールを投げたくて仕方ない野球小僧タイプ。直前の日本ハムのキャンプでは、腕の高さを3段階に変えて投げ込みも行った。「もともとフォームを固めるという概念がない」と語るように、変化に臆することがない。「どんな場面でも投げられる万能な投手、ブルペンにいて使い勝手のいい投手になる」とWBCに挑んだ。
東京ドームにロジンのホワイトスモークが舞う。伊藤は試合前のキャッチボールからロジンバッグを使うほど一蓮托生。今大会からアメリカ製と日本製のロジンを選べるようになった。大会前に栗山監督がMLBに100個ほどの注文を入れた中で、数少ない通った要望が日本製のロジンの使用だった。過去はローリングス社製のロジンのみの使用だったが、今大会はミズノ社製のロジンも使用可能。アメリカ製は滑り止めが効きすぎてボールが引っ掛かる。もちろん伊藤は日本製を選択。その成果もあってか、強化合宿からパーフェクトを継続。サッカーやバスケットなど他の球技と大きく違う野球のアイデンティティが、ロジンバッグと滑り止め。ピッチャーはどれだけバッターを抑えてもプラスの点にならない。いかにミスをしないか。それが仕事であり宿命でもある。生命線は失投をしないこと。投手にとって、ロジンバッグは孤島のマウンドの相棒なのである。
開幕戦も強心臓の男には関係なかった。テークバックは目いっぱい右腕を伸ばし、左腕を顔の高さまで上げる。北海道の広大な大地のように全身を使った伸び伸びとしたフォーム。。176センチより遥かに大きく見える。フィニッシュのフォロースルーは歌舞伎役者が見栄を切ったような千両役者。
2番の上位打線から始まる中国打線を完封。最後は4番サードのチェン・チェンを150キロのストレートで空振り三振に斬ってゲームセット。
中国代表は16四球と1死球で計17四死球。3つの失策にもかかわらずコールドゲームを防いだ。16残塁という負けても不思議でないゲームに栗山監督も「1点差で逃げ切った感覚の試合だった」と語るように日本に国際試合の意味、怖さを教えてくれた。
大谷翔平がいなければ敗戦の可能性もあった。7回ノーアウト2塁の時点で3-1。源田のファインプレーがなければ同点の可能性もあった。相手が中国だから大谷の活躍は当然に思えるが、データがまったく無く、勝って当たり前の状態で臨む試合こそ足元をすくわれる。当たり前のことが出来なくなる国際大会で当たり前の活躍ができる凄さ。
国際大会という身を締め付ける舞台で投打の2つで軌跡を残した。将来、大谷の後を追うプレーヤーが現れるだろう。3年後は大谷自身が自分を追いかける。
大谷翔平は野球の過去の記録や、現在のルールを塗り替えるだけでなく、ファンやプレーヤーの野球観そのものを変える。単なるアスリートのパフォーマンスだけでなく、世の中の価値観を変える。バッターとピッチャーでトップクラスの成績をあげるという芸当だけではない。「リスクが高いからやめておけ」「無理に決まっている」「野球を舐めている」。大谷翔平の豪速球や猛スピードの打球は、常識や先入観など否定の壁を壊す。大谷は数字においてベーブ・ルースと比較されることが多いが、その挑戦は有色人種への道を切り拓き、メジャー全体で背番号42が永久欠番となっているジャッキー・ロビンソンに近いものがある。野球に限らず他の競技でも、それまで不可能と思われていた常識に挑戦するものが現れる。大谷翔平は世界を変える。
令和5年の3月9日は歴史に刻まれた。3時間41分、東京ドームという湯船に41,616人でつかっていたかのような空間。ペナントレース143試合分の密度があった。野球の試合はタイムリミット(寿命)がない。今日の試合の意味も、時間が経つにつれ熟成されていく。1ヶ月間ずっと追いかけてきたが、この感覚は現場に行かないとわからない。WBCの試合は選手交代も多く長くなるが、球場にいると時間を忘れる。そして外に出たとき、見える景色が変わっている。WBCは竜宮城。野球において言えることは一つ。
すべての道はWBCに通ず。
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