>自分が理解でき、納得できていることが "自分の真実" であり、
いま信じていることも将来変わることがあり得るのです。
ああ、これこそが真実だと思いますねぇ。
暑さ、寒さ、時間の長さ、短さなどなど、
日常的に主観は違います。
政治の世界も同じ。
政治家によって解釈が変り、世論の期待や人気度によって
微妙に違うように感じます。
個人的には「選択的夫婦別姓(氏)」を望みます。
夫の姓に属するのではなく、個の自立(権利の)は、
平等でありたいと思うからです。(^_^;)
いま流行りの「多様性」は真理か。
長年わたしは「真理(真実)は一つである」と思い込んでいました。
というのも、物理学や数学などの科学の分野では一つの事実が「真実」として普遍的に認められることが多いのと、以前は聖書だけが真正な神の言葉で「真理」だと信じていたからです。(ヨハネ17:17)
しかし「真実」とは主観的に捉えらえるものであり、それゆえに善悪・正邪の規準は、国や人種、文化、時代の変化により、そしてまた一人ひとりの思想・宗教により異なっているものです。
つまり自分が理解でき、納得できていることが "自分の真実" であり、いま信じていることも将来変わることがあり得るのです。
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真理は一つではない具体例はあるでしょうか。
4種のチャットAIに尋ねたら、幾つかの意外な事例も挙げてきたので、それをまとめました。
1.日常生活における例: ある季節の朝、気温が27度だったとします。寒がりの人は「今朝は寒かった」と感じ、暑がりの人は「今朝は暖かかった」と感じます。
2.歴史の解釈: 戦争では、勝者の側は「正義の戦争」と言い、敗者の側は「侵略」と言います。ある国では英雄とされる人物は、別の国では侵略者と見なされます。
3.文化や価値観の違い: ある国では牛肉を食べることは健康や栄養に良いとされる一方、別の文化では牛が神聖な動物と見なされ、食べることは禁忌とされます。
4.文化間の差異: ある文化において「正しい」とされることが、別の文化においては「間違っている」とされることがあります。一夫多妻や死刑制度がそうです。
5.目撃証言: ある人は赤信号で車が進んだと証言し、別の人は青信号だったと証言することがあります。偽証の場合もありますが、早とちりの場合もあります。
6.芸術作品: 同じ芸術作品でも、芸術だ、いや猥褻だと異なる解釈がなされます。これは芸術作品が鑑賞者の主観や経験によって評価されるからです。
7.医療診断: 同じ症状を持つ患者に対して、異なる医師が異なる診断を下すことがあります。これは、医師の経験や知識、診断方法の違いによるものです。
8.相対性理論: 時間と空間は絶対的なものではなく、観測者の運動状態によって相対的に変化するそうです。時間の長さは、つらさや楽しさによっても変わります。
9.光の性質: 光は粒子性と波動性の両方の性質を持つことが知られています。観測方法によって、光は粒子としても波としても振る舞います。
10. 宗教間の差異: 宗教はみな、それぞれ独自の宇宙観や倫理観を持っています。一つの宗教または宗派が「絶対的な真理」を独占しているとは言えません。
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では、真実は一つではないなら、多様性の尊重は正義、でしょうか。
このたびの自民党総裁選では「選択的夫婦別姓(氏)」の法制化が焦点の一つになっています。
積極派は、1)個人のアイデンティティが尊重できる、2)男女平等の権利が維持できる、3)結婚後も同じ姓で仕事ができる、4)結婚と離婚の事実を周囲に知られずに済むなどのメリットを挙げます。離婚率の高い欧米では広く採用されているとのことで、小泉氏はその熱心な積極派です。
慎重派は、 それでは、1)生まれた子供をどちらの姓にするかで悩んだり、場合によっては法的な争いが起きる、2)子供が混乱し、夫婦や家族の一体感が薄れる、3)各種の法的な手続きなどで不便が生じ、コストと時間が掛かる、4)正式の夫婦でも同棲と勘違いされる恐れもあるなどのデメリットを挙げ、戸籍制度を変えないでも現行法に少しの修正を加えるだけで「夫婦別姓」は可能だと言っています。
高市氏はその一人で、総務相時代、住民票やマイナンバーカードに、戸籍上の姓に加え、旧姓を通称として併記されるようにしてきました(多くの銀行では通称での口座開設に対応しています)。
小泉氏は「旧姓では不動産登記ができない」と言いましたが、高市氏は「4月から不動産登記は旧姓でできる」とその間違いを指摘しています。
ちなみに、石破氏は「(夫婦別姓を)やらない理由がよく分からない」と述べ、「東京と平壌に連絡事務所を開設しよう」と言っています。
(私の場合は、物心がつく前に親が離婚したので父親の顔を知らず、以来ずーっと母子別姓[母親は旧姓に戻り、子供だけ父親の姓のまま、養育費なし)でしたが、だいぶのちに母が再婚したので私も相手の姓になり、数年後に離婚したので元の姓に戻りました。子供としては一生、実の両親と同じ姓のままがよかったですね)
LGBT法の成立のときも同じような問題が起きました。
ほぼ間違いなく、権力者(バイデ〇~エマニュ〇〇~岸〇)の指示により、議員連中はほとんど議論せずに、ごく一部のトランスジェンダーの人権を護ると称して強引にLGBT法を成立させましたが、そのために その他の大多数の女性の益が損なわれやすくなりました。
マイノリティの人権は尊重すべきですが、そこに目が行き過ぎるとマジョリティの人権を傷つけます。
「人権」や「平等」「平和」を叫ぶのはいいのですが、個人的な正義感や思想、良心という "自分の真実" (や議員なら党利党略や私利私欲打算)のために、大多数の益が損なわれないか、社会の秩序が破壊されていかないかをよく考えてほしいものです。
※画像はMicrosoft BingのImage Creatorによります。
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COMMENT FORM
バーソ様
おはよう御座います。
真理は一つではない具体例として10例をあげておられますが私の実感としては6.の芸術です。
猥褻論以前に人によって価値観がまるで違います。
夫婦別性の話を政治家にさせるのは良くないと思います。彼らは選挙の票を集めるための言葉しか言いませんので真理が違うどころか真理そのものがありません。LGBT法にしても然りです。
Two-Pen
風子さん、コメントありがとうございます。
人間は、自分の見聞きしたこと、また親しい人や尊敬できる人の言葉を信じる傾向がありますね。それは真実だとしても、一部の真実かもしれないのですが、つい全体の真実のように受け取ってしまいます。
最近の世の中では NHKや大手民放や著名なコメンテーターの言うことを信じてしまいがちなのもそうですね。
私は以前は政治に関心がなかったので、『サンモニ』をよく見ていて、その影響をかなり受けていました。マスコミは中立な報道をするものだと思っていましたが、じつはかなり左のほうに偏向していることを知りました。これは世界的な流れだそうです。資本主義の欠点が大きくなってきたので、その反発でしょうか。
政治家は政治屋が非常に多いですね。二階とか小沢という人はその典型のようです。日本を良くすることより党利党略自分第一の政治屋のように見えます。
多少まともな政治家がいても、考えなしに欧米の一部の政策を取り込もうとして得意になっている人がいます。埼玉県議員のように、親がちょっとゴミ捨て場に行っただけでも子供を放置したとして取り締まるという法案は、あまりに日本の実情に即していないので、いい大学を出ているだろうに、頭が悪いなあと感心します。
風子さんは夫婦別姓を望みますか。風子さんほど才能があればそうでしょうね。ちなみに聖書の教えは「妻は夫に従順に従え」ですが、なんでもかんでも女性は男性に従属せよという考えはおかしいと私も思います。
ただ、夫婦別姓だと子供が嫌がったり困ることもあるでしょうから、結婚したら夫は妻の姓になるのもいいのじゃないでしょうか。ただ、因習の強い地方だと近隣の年寄りから、あのうちは、かかあ天下だ、夫が妻に牛耳られているなどと陰口を叩かれそうですが。
Two-Penさん、コメントありがとうございます。
そうですね。猥褻かどうかでは、最近では若い女性の作品が問題になりました。面白いのは男性ではなく、若い女性にそういう「芸術」と称する作品を創るひとがいるということで、時代が変わってきたなあと思います。
まあ、芸術とかモラルというのは時代により地域により年齢により変わるもので、日本もそのうち北欧のようにもっとオープンになっていくのかもしれないですが、いまのところは猥褻を売り物にして世に出ようとするのは良くないと思ってしまいますね。
芸術と言えば、音楽も人によって好みが違いますね。ロックが好きな人もいれば演歌が好きな人もいます。日本の音楽は欧米に劣ると思っていましたが、最近はそうじゃなく、和製ポップスが世界をリードしているという話もあって、日本人のカルチャーも捨てたものじゃないなと思うようになりました。
夫婦別姓は、そうしたい人がそうできるように現行法を修正すればいいだけだと思います。夫婦と親子の姓が違うのは、すぐ離婚しやすいとか仕事をしやすいという利点はあるかもしれないですが、どちらかの親の都合で気軽に別姓にされると、子供がかわいそうです。
バーソさん\オハヨウゴザイマス!/
先週のことですが宇宙は多様性に満ちているのを実感されられました。
それは、僕はうな重は問答無用で最高に美味しいのが真理であり、誰でも大歓喜して食べると思っていたところ、コメント欄でバーソさんはうな重は「食べない」というのです! 僕は自分の了見の狭さをいたく反省したものです(笑)。
この前たまたまテレ朝のモーニン愚証を見ていたら原理左翼の玉皮徹がこんなことを言っていました。「保守の人間はなんで夫婦同一姓にこだわるのかさっぱりわからない。欧米では夫婦別姓が認められているが、それによって家族の絆が破壊されてますか?そんなことないでしょう。(そして暗に高市さんを指して)保守派は様々な対策によって旧姓でもまったく不便が生じないようにしてきたと言う、それなら最初から夫婦別姓を認めるようにすれば根本的に解決するじゃないですか!」と言っていました。
玉皮の言うように実質は旧姓使用において何の不便もないのに、また世論調査でも夫婦別姓が総裁選の論点にすべきという意見は1%だっけな?非常に少ないのに、なんで進次郎はこんな公約をぶち上げたのか?
はい、アメリカ様に言われたからですね。親父同様アメリカ左翼の犬なのですね。アメリカ内部の左翼は、家族を単位とする日本独自の戸籍制度を潰したいのでしょう。今回のはエマニュエルの指図による「LGBT運動第二弾」だと思います。
※夫婦別姓運動は間違いなく文化破壊運動になりますが、それは日本限定なのかもしれません。外国じゃ別姓でもいいのかもしれませんし、宇宙人は姓すらないかもしれないし、単性生殖かもしれないし。
「子供としては一生、実の両親と同じ姓のままがよかった」・・本当にそうですね。夫婦別姓の議論ではもっと子供の繊細な立場を考えるべきですね。僕も姓の問題とはちょっと違いますが子供が成人するまで離婚するのを20年以上ガマンしました。子供には辛い思いをさせたくなかったですね。
さて僕もバーソさんが記事冒頭に書かれたように「真理(真実)は一つである」と長年、いや今も思い込んでいます。中学の頃から空飛ぶ円盤や精神世界っぽいことに興味があったのも隠された真実を探したいという動機があったからみたいです。
でも「一つ」なのは本当に大元のしくみのところだけであって、あとは無限の多様性でできていると思ったりします。生物の無限に分化していくサマ、文化や考え方の多様性、なども大元の真理なんでしょう。ヨーロッパで発祥した現代芸術の最初は便器のオブジェだったらしいですがああいうのは多様性じゃなくてタダの感性の破壊です。LGBTとか夫婦別姓「運動」は多様性じゃなくてタダの政治謀略ですね(笑)。
考えてみれば自分が思い込んでる真理はほんとに真理なのか?
光より速いものはないのか?
ある科学者の言、
「長年私たちが真理だと思っていたことが、ほとんど全部といっていいくらい、
その後の発見によって誤りまたは不正確であることがわかった。
事実、私がいま確信をもって言えることは、ただ一つ、光の速度よりも速いものは
絶対にない、ということぐらいのものだ―ただし、これもたぶんという条件付きで」
妄言であっても繰り返し繰り返し主張すれば真理となるのか?
妄言が真理になり、あるいはなりつつある例は、竹島、北方領土、尖閣です。
宗教や文化面での誤った真理(「戒律」)ほど人を不幸にするものはない。
女性差別、ウシは神聖で食べちゃいかんがスイギュウは食べていい。
イヌは不浄だから飼っちゃあいかん・・・・わけわからないです。(笑)
戒律の厳しい国から訪日する外国人が驚くのは日本人の民度の高さらしいです。
殆ど無宗教にもかかわらず高い道徳性をもつ日本に接して、
棄教すら考えている人も散見します。
夫婦別姓に関しては、面白いもので左翼の陣営は賛成で、日本人の7割の人は反対かこのままでよいと考えています。
高市氏は、別姓に対処してきた経験を持つだけに政治討論での凄みをも感じました。
他の候補たちの中身の薄っぺらいこと!
このコメントは管理人のみ閲覧できます
Dr.HEEさん、コメントありがとうございます。
「うな重」を食べない理由はコレステロールが多いからです。一度軽い脳梗塞になったので、以来ご法度になっていますが、コレステロールが関係なくても食べないでしょう。なぜなら高いからです。ですから食べるなら、たぶん身は同じ分量で値段は少し安い「うな丼」を食べます。同様に蕎麦のザルはほとんど注文しません。もっぱらモリです。ちょっと海苔が振りかけてあるだけで、あるいは重箱に入っているだけで、値段が跳ね上がるのは、親の遺言で、否、性分として駄目です。性分というのは俗に貧乏性といわれるエコ系合理性です。(笑)
夫婦別姓にしてもそんなに大勢の人が望んでいるとも思えないのに、そして欧米はモラルが日本よりだいぶ低いのに、なぜ欧米を真似ないといけないのか。LGBT法もそうでしたが、そんな大多数が困る馬鹿なことを、アメリカの指示によってやって、何がうれしいのか、情けない議員だなあと感歎します。保守は古臭いが、リベラルはかっこいいと思い込んでいるのでしょう。
世の中を変えるというフレーズは、新しくて、世の中が良くなりそうで、カッコよさそうですが、良く変えるのはまだしも、悪く変えてなにがうれしいのか、その気持ちがよくわかりません。リベラルの人々は大抵チャイナやコレアやドイツが大好きで日本は嫌いです。結局は日本を良くすることには関心がなくて、要は自分が目立つことに関心があるのでしょう。
真理は一つしかないと思い込むのは、特に宗教の場合、恐ろしいことになります。自分の宗教の教えが、あるいは教祖が教えることが一番正しいと信じこんでしまうと、最高の自己犠牲を表したいと思うようになり、自分の人生を破壊し、名誉の死を遂げたいと思うようになり、とんでもないテロを起こすことにつながります。国のために自爆すれば天国で何人かの処女が待っているとか、誰かを暗殺すれば社会のために役立つとかいった思い込みは非常に危険です。
宗教はとかく唯我独尊なのですが、ではそうではない包容力のある宗教がいいかといえば、何でも許容する宗教は言い換えると特に自分の宗教でなくても救われるわけですから、その宗教にこだわる必要がなくなり、存在する意味も意義もなくなります。なので日蓮のように、真言亡国、禅天魔、念仏無限、律国賊と言っているぐらいが、自信があっていいのかとも思えますが、はたから見るとその信仰は狂信ないしは盲信のように見えますね。
この地球上では雑多な考え方があるのが当たり前ですが、真理は一つというのは、究極のところではそうなのでしょう。その真理をぜひ知りたいものですが、人の一生ぐらいでは分からないほど壮大な知識なので、何回も生まれ変わって悩むのだろうと思います。
エリアンダーさん、コメントありがとうございます。
考えてみれば、人は皆と言っていいぐらい、自分の考えが正しいと思い込んでいるところがありますね。ちょっと批判されると怒るのはそのせいもありそうです。何かの是非を議論した際、いくら正論を述べても相手に理屈や論理が通じないのは、お互いに自分が正しいと思い込んでいるからと、その他には頭の柔軟さと謙遜さがない場合も相手の意見を受け入れがたくなるようです。
光より早いものはない。どうしてかと思って、だいぶ前に調べたら、質量を持つ物体は光速に近づくにつれて必要なエネルギーが無限に大きくなるからだとありました。E=MC2で、質量と光速は掛け算ですから、なるほどと思ったことがあります。
宇宙が膨張しているなら宇宙の端っこの銀河は光速を超えるはずですが、これは銀河が光速を超えているわけではなく、空間が拡がっているために銀河間の距離が増えているのだそうで、これはハッブルの法則として知られているそうです。
私もこういう宇宙の物理的な話が好きで、中学生の頃は天文部に入りましたが、これに宇宙の霊的な話が結びついて統一論理が成立できればいいなあと思っています。
しかし繰り返し主張すれば真実になるというのは本当ですね。その点、日本政府はだらしないです。慰安婦問題でも歴史の事実ではないことは証明されているのに、歴代の政府はずーっと謝罪し、金を出し、少女像を建てられ、その結果、世界では慰安婦問題はあったことにされています。もちろん日本の左のメディアや左の教授、反日弁護士らも悪いのですが、韓国の嫌がらせを撥ねつけてこなかった政府が一番情けないと思っています。
靖國神社の参拝の話にしても、9人の総裁選候補者の中では高市さんだけが行なっています。保守側の産経新聞でさえも、このたび立候補者の紹介記事では、高市さんを保守のタカ派だと書いています。タカ派ではなく、保守の中道派です。
女性初の総理で有能で信念があることをもっと大手マスコミがアピールすれば、総理になれそうで、というより、なってほしいですね。石破と進次郎の頭では、政策のディベートで高市さんに到底及びませんから、もっとディベートをしてほしいものです。
しかし政策リーフレット送付の件も高市潰しが露骨で、ひどいもんですね。
あ~~名字については正直なんの拘りもないですね。結婚するときもカミさんにどっちの名字が良い?って聞いたぐらいだし。まあ、結局、カミさんの方が自分の名字だと色々勘ぐられるのが面倒くさくなるってことで、私の名字になったんですけど。
ってか、名字が自分のアイデンティティの一つっていつの時代の話ですか?って個人的には思うのですけど。。。そりゃあ、戦国時代にみたいに偉い人から与えられて自分の力で獲得した名字!!っていうのがあれば愛着があるんでしょうけど、そうじゃない名字も名前にも何の愛着なんて湧かないんですけどね。。。
そりゃあ、名前は記号として必要ですけど、今使っている名前じゃないと嫌だってわけじゃないし。。。
多分家族全体がそんな感じで、親からも姉からも結婚するときに「どっちの名字にするの~~?」って感じで聞かれましたから、多分、家系的に名字になんの拘りのない家系なんだと思います。
LandMさん、コメントありがとうございます。
そうですか。夫婦別姓についてはそんなにこだわってないのですね。というか、LandMさんはあまり古い伝統や慣習に縛られたりしないで、合理的にそしてシンプルに自分の信念で生きていくタイプのようですね。
私のときはそんな別姓なんて話題にもならなかったですが、もし妻の家のほうから姓を自分のほうにしてくれと言われたら、別にそれでも私は構わなかったと思います。実際、妻の姉の夫は姓を妻の姓に変えています。私の家は全然たいした家系ではないですし、多少たいした家系だとしても、跡継ぎは弟に任せます。
本文で私はずっと同じ姓のほうが良かったと書いたのは、子供としてはそう思った、つまり家庭環境が世間一般の家庭と同じように普通だったら良かったのに(ずいぶん貧乏して苦労しましたから)、という意味です。なんせ生まれた時から父親がおらず、途中から母が再婚して父親が出来たとしても、子供としては母の夫をなかなか父親とは思えないものですから。
> 親からも姉からも結婚するときに「どっちの名字にするの~~?」って感じで聞かれました
そうでしたか、LandMさんの家族は意識が進んでいるのですね。最近はだんだんそうなってきているのでしょうか。
私は夫婦別姓にしたい人はそうしたらいいと思います。現行法でもそうできるそうですから、それで十分のような気がします。
というより、法律で定めると、同棲と勘違いされたり、旅館に泊まる際も、宿の係の人が「奥さま」と呼んでいいのかどうか、ちょっと逡巡するのではないかなどと心配します。
いつも毎回コメントをありがとうございます。申し訳ありません。