孤独とは哀愁があり、人恋しくなり、知的になれるものである。

「バーソは自由に」

考え方はいろいろあるから面白い

 孤独とは哀愁があり、人恋しくなり、知的になれるものである。 


 電車内で、公園で、街角で、歩きながら、皆、一心にスマホを見ています。
 スマホは人込みの中でも孤独になれ、また、孤独から簡単に逃れられる魔法の玩具になっています。現代人のハートの核芯は "孤独" なのでしょうか。

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 スティーブ・カッツ氏(1979年生まれ)の作品。ホームページ → http://www.stevecutts.com/

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クマ「ご隠居。人間はなぜ孤独を嫌がるのでせう? 現代人がスマホ中毒になっているのは、本質的に孤独なせいですかね」
隠「おや、熊さん。『でせう』と来たか。今日はずいぶん哲学的じゃないかい
クマ「へい、俺っちは、女房と子供にも邪険にされる天涯孤独の身。悩み多かりし年頃で・・・」
隠「お前さんは『子』に『毒』のほうだからな。だが、孤独は悪いものではない。トルストイは、『孤独なとき、人間はまことの自分自身を感じる』と言っている。人間、孤独になれば自分と向き合える。自分と向き合えば、自分は何者か、何者になろうとしているのかを知ることができる
クマ「俺は自分を熊五郎だと知っていて、たまに名前の意味を考えますが、熊が一頭二頭だと寂しいせいか、六頭だったら、七頭だったら、八頭だったら、と百頭まで考えたら大抵眠ってます。ご隠居は、ひとりで居るとき、寂しいって思うことはねえんですか」
隠「うむ、お前さんがいるから寂しくない。いつも感謝しとるよ
クマ「あはは、俺もです。横町のバーソさんもいつだったか、『ブログのおかげで孤独じゃない』って言ってました」
隠「熊さんや、人間、年取ろうと若かろうと、いまこの瞬間を全力で生きられれば最高だ。誰にも頼らず、自分が納得できることを一生懸命にやる。そんな生き方がいい
クマ「うーん、『誰にも頼らず』と言っても、ひっそり孤独死する人がいて、かわいそうですね。大原麗子は『長ーく愛して』って言ってたのに」
隠「うーむ、山口小夜子もかわいそうだったなあ。ただ、まわりはそう思うが、孤独死の当人は自分が死んだことさえ分からんかもしれん
クマ「ぴんぴんコロリと、ひっそりコロリか」
隠「認知症も、まわりは心配するが、当人は記憶が薄れて、恨みつらみ悩みもなくなって、案外楽なのかもしれんな

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クマ「ご隠居、人間はどうして寂しさを感じるのでせう?
隠「また『でせう』と来たか。そうだな、聖書的に言えば、神が人間をそう造ったからではないかな。聖書の創世記を見ると、神は最初の人間アダムを造ってから、『人がひとりでいるのは良くない』と言って、女を造っている
クマ「男のあばら骨からですね」
隠「正確には、おそらく骨に肉が付いたスペアリブで、男の骨と肉から女の肉体を造った。結婚すると一心同体になると言われるのは、元々は同じだからだよ。神は最初の男女に、『産めよ、増えよ、地に満ちよ』と命令した。だから人間は仲間の人間と一緒に暮らすように出来ているのだろうな
クマ「じゃあ、山奥にひとりこもって隠遁生活なんてのは勧められてねえんだ」
隠「そうだ。だが、しても別に悪いことではない、したかったらすればいい。アンドレ・ジイドの『狭き門』では、アリサという娘さんがカトリックの信仰を持っていて、彼氏との恋より神に仕えるほうが『ハギオス』――『清い』とか『聖なる』という意味だが――になれると純粋に思い込んで修道院に行って、最後は病気で死ぬ話になっている
クマ「社会から疎外されたカルト信者でも、『神様との交わりがあるから至福だ』と思ってるんですかね。・・・でも神はただひとりでしょうから、ひっとしたら神様自身は孤独なんじゃねえですか」
隠「うむ、いろんな意見がある。神は唯一の神だが、唯一と孤独とは相容れない。天国は光の世界であり、暗い要素は一切ない。ユダヤ教とキリスト教とイスラムなど世界人口の半数近くから崇拝されている神がどうして孤独なのか。愛があふれるほどあれば孤独ではない。孤独とは相対的なもので、宇宙ができる前は神一人だけだから、孤独という概念さえ分からないので孤独感は感じない、とか

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クマ「全能といえば、全能者は四角い球形を造れるか?という問題はどうですか」
隠「それは造れる造れないという『能力』の問題ではなく、四角とか球の『定義』の問題だ。いくら全能といっても、言葉の定義とか宇宙の法則は崩せない、のではなく、崩さないのだよ。スポーツもルールを壊したら、そのスポーツは成り立たんだろう
クマ「神は本当は孤独で寂しいので、だから人間の世界に絡んでくるんじゃねえんですか」
隠「いや、神を信じる人間は、善行をすればご褒美があり、悪行をすれば神罰があると思っているが、宇宙の創造者はそんなことには絡んで来ない。創造者は人間の自由意志にすべてまかせている。物事が良くなろうと悪くなろうと、それはみな人間の側に原因がある
クマ「そうでした。ご隠居から何度も聞いています」

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隠「スピリチュアル的な考え方では、まず、創造者はエネルギーであり、そのエネルギーを材料にして肉体を持つ人間を造った
クマ「Eイコールmc二乗ですね」
隠「そうそう、つまり人間は神の分身だ。神と人間は究極的にはひとつの存在だ。地球上に対局的な事象――例えば光と闇、愛と憎、美と醜、上と下、暑さと寒さ、楽しさと悲しさ、そして孤独と交友、いや、アルベール・カミュは孤独と連帯と言っていた――が様々にあるのは、人間がそれらを "神の代理" として体験することで、肉体を持たない神は、自分が出来ない体験と感情を味わっている、と考えられるな
クマ「なんか、孤独ってえのは良くなさそうですね」
隠「いや、マックス・シュティルナーというドイツの哲学者が、『孤独は、知恵の最善の乳母である』という格言を残している。孤独というのは自己を見直し、自分の知性を磨き上げるために非常にいいものなのだ
クマ「俺は知性は無理です。無人島でロビンソンになれば、クルイソーです」
隠「雑踏の中でもスマホに集中すれば孤独になれるように、 "論理的に" 孤独な人間になればいいのだよ
クマ「俺でも孤独な知的人間になれますか」
隠「なれる。そういう論理的な人間を "ロンリーlonely・マン" と言う





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※題名はマタイ7章13節のイエスの言葉から採られた『狭き門』。アリサの死は「院長」からの手紙で知らされるので、修道院ではなく療養院かもしれません。
※画像の2~4枚目は昔のアメリカ『THE NEW YORKER』誌の表紙より借用。
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静寂は『宝』の時間

“スマホに囚われた人々の行進”図は、
まさに現代病を表現した秀作で、いかにも
依存病に罹っているように観えます。(笑)
LineやSNSで繋がっているつもり。
世情に参加しているつもり。
最先端の情報に触れているつもり。
なんでしょうね。

さて、『孤独』を辞書で引くと……。
『精神的なよりどころとなる人や、
心の通じあう人などがなく、さびしいこと.』
とあります。
家族間でも意思疎通に欠けると孤独ですし、
天下人なども孤独だろうと思います。

その意味で個人的に孤独ではありませんが、
バーソさんのテーマに沿って自らに問えば、
『孤独』とは静寂に身を置くことだと思います。

『静寂な時間』は、私にとって宝です。
内なる自分と向かい合い、思いを巡らせ、
心を整理し、『なりたい自分』に
近づくための『必要不可欠な時間』なんです。

スマホにかじりつく人々も、ですが、
ネット上の仮想通貨、仮想空間に熱狂
する人々が不思議で仕方ありません。
花や野菜を育て、田舎暮らしを体験し、
釣りや狩猟で命を食している自分を
知りたくないのかなぁ……と思うわけです。
嘆いているのではなく、地球人の生が
もったいないと……。(^_^ ;)


ガラケー携帯は持っていますが、
スマホを持っていません。
必要性を感じたことがないんです。
年寄ですから行動範囲も知れてますし、
病院などの待ち時間は読書を好むので、
移動中にスマホ……あの小さな画面で
活字を打つなんて考えられないです。

2023/02/04(土) |URL|風子 [edit]

横丁のバーソ様
おはよう御座います。

人間とは勝手なもので群れたくなったり一人でいたくなったりしますね。
しかし、本当の孤独なんてありえないのではないでしょうか。
刑務所の独房にいたって食事はします。その食事を作る人や原材料を作る人に直接会うわけではありませんがかかわって生きているわけです。
話相手がいなくてもテレビやネットが相手をします。

武芸者が山ごもりをしたりしますが、あれは神経をするどく研ぎ澄ますためのものであると思います。

やはり平凡な人間は適当に人とかかわりあって不満やグチを言い合って生きていくのが楽なのでせう。

愛新覚羅

2023/02/04(土) |URL|aishinkakura [edit]

ほどほどが自然かも?

おはようございます。
タイトルは狭き門の中の言葉なのですね。
含蓄のあるいい言葉です。

孤独な知的人間(ロンリーマンw)ですか~
こちらも格好いいんですが、僕は仲良く楽しく少しバカくらいで生きていくほうにあこがれますね。ご隠居が引用しているシュティルナーっていう人をネットで見てみましたら、無神論になって職を追われ妻に逃げられ貧困のなかで孤独に餓死した、ってありました。何事もほどほどが良いようですね。

1日のなかで「孤独の時間」を少し設けるくらいがバランスがいいのかもしれません。僕も仕事みたいなのに行くとき、緑が多くほとんど人通りのない道を選んで徒歩で30分くらいの孤独時間をつくっています。あと、トイレを「孤独の部屋」にしてる人もいますよねw

冒頭のスマホのイラスト、同じような画像を作って記事にしたことがありますのでなんだか嬉しくなりました。電車で立ちながら取り憑かれたようにスマホを見ている様が、僕にはハテナマーク「?」の異形の生き物がいっぱい立ってるように見えるんですね。「1億総スマホ奴隷の図」っていう手抜きコラです(笑)。(1億総・・で記事検索すると出ます)
でもスマホの状況はもはや孤独というよりは薬物中毒に近い気がします。みなさん座席に座るやいなや、禁断症状のようにスマホを見ますよね。将来洗脳ツールとして活用されないことを祈ります(笑)

2023/02/04(土) |URL|Dr.HEE [edit]

Re: 静寂は『宝』の時間

風子さん、コメントありがとうございます。

 この画家の作品は以前ブログで扱ったことがありますが、上手なイラストで、こんな絵が描ける人がうらやましいです。
 
 しかし今は本当にLineやSNSの時代ですね。うまく活用している人が多いのでしょうが、最近、回転ずし店に株価170億円ダウンという損害を掛けた「舌でペロペロ動画」を撮って喜んでいる高校生がいて、撮影している者も馬鹿笑いをして、顔も馬鹿そうな若者です。SNSの気軽ないたずらは想像以上に大変なことになることが知れ渡りましたが、それでも類似動画があれこれと公開されています。未成年でも重い罰を与えて懲りさせないと、今後も次々と起きそうです。
 
 歩きながらスマホを見ている人を見ると、そこまでして見る必要のある何を見ているのだろう?と思います。電車内で見ているスマホを横からチラ見すると、ゲームをしている人やマンガを見ている人がいます。よほど面白いのでしょうね。全然関心がないので分かりませんが。
 
 孤独というのは悲観的に見る場合と、風子さんのように良いものと見る場合がありますね。前者は引きこもりやウツの人に多くて、環境や病気のせいなら、かわいそうなものだと思います。
 
 孤独とは「静寂に身を置くこと」。そうですね、孤独の最善は「瞑想」なんでしょう。「沈思黙考」がその次に来そうです。
 私はテレビを見なくなってから、ネットを見るようになりました。瞑想も沈思黙考もすっかり縁がなくなってきています。ひとのことを言えた義理じゃありません。
 といって花や野菜を植える生活は、まず手入れが大変だろう、それより買ってきたほうが早いと思ってしまいます。私は自然派じゃないですね。現代派とも言えない凡庸派です。
 よく考えると、よく考えなくても、「地球人の生がもったいない」はずであり、そのことは自分でもブログに書いているのですが、やはり "流され" ているのでしょう。
 
 私はスマホを持ち歩いていますが、突然の事故や病気のための非常電話用です。ポケットに入るよう画面が4インチのを選んでいるのですが、使いにくいせいもあり、滅多に使いません。

2023/02/04(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: タイトルなし

aishinkakuraさま コメントありがとうございます^^)

 あはは、教授も私の嗜好に合わせてくださるようになりましたね。2か所も入っています。(笑)
 
 本当の孤独なんてあり得ないと思うのは、そういう経験をしたことがないからじゃないですかね。そう言う私も本当の孤独なんてものは感じたことがないです。

 自分は孤独だと言う人は、たぶん実際には、まわりに親や兄弟友人たちはいるのですが、心の交流と接点がないために、孤独感を感じるのでしょう。そういう人は大勢の人ごみの中にいても、一人ぼっちだと感じるような気がします。
 
 孤独は、引きこもりなどで自ら他者との交流を絶った人が感じるのだろうと思いますが、自分の意思で絶ったのであれば孤独感じゃなく、疎外感とか孤立感、空虚感とでもいう新庄、いや、心情じゃないかと思います。あ、ビッグボスのほうは孤独とは無縁でしょう。人生をエンジョイしているようですから。やはり、平凡なようでも、他の人と適切にかかわりあって、自分の人生を楽しめれば、それでいいのでしょうね。

2023/02/04(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: ほどほどが自然かも?

Dr.HEEさん、コメントありがとうございます。

 タイトルは、自分で内容に合うよう、書き終わってから考えたものです。『狭き門』は若い時、中年の時、それ以降の時と3回読んだことがありますが、私が覚えているのは、アリサの言った「ハギオス(聖)」だけです。純粋なカトリック信者の信仰の言葉ですから、ここが印象に残りました。
 「純粋な」と書いたのは、中世のカトリック教会は信者に対して、「 贖宥状を買えば罪が償える」などと邪なことを教えて莫大な富を得たからです。
 
> は仲良く楽しく少しバカくらいで生きていくほうにあこがれますね 
 Dr.HEEさんのブログのプロフィールを見ると、そう感じます。
☆尊敬する人の名や、☆趣味は・・・なんて、ちょっと江戸時代の洒脱な狂歌師を思いだします。
 私は四角四面の謹厳実直な人より、人格は当然真面目ながら、世の中を面白がって飄々と生きているような人のほうが好きですね。あ、いま、それにつけても金の欲しさよ、根岸の里のわび住まい、どうぞかたきに巡り合いたい、を思い出しました。(笑)
 
 シュティルナーは極端なエゴイストを軸とする哲学を主張していたそうですが、私も、人生では自分のやりたいことをやるのがいいといつも言っているので、ある意味、似たような考え方かもしれません。むろん、私の場合は自分が実際にはそう出来てないので、自分の願望として言っているのですが。
 しかし晩年に貧困で孤独というのはつらかったしょう。今の時代は体さえ丈夫ならなんとか自活していけますし、ネットの友人もいるので、なんやかんや言っても恵まれていますね。
 
 「徒歩で30分くらいの孤独時間をつくっています」か。いいですね。同じ道を歩くと外界が気にならず、頭の中で思うことに集中できます。歩きながらその瞬間瞬間を観察すれば、ヴィパッサナー瞑想にもなります。
 私も一日30分ほどそういう時間がありますが、たいしたことは考えていません。邪念無念残念ばかりです。
 
 1億総スマホ奴隷の図、見ました。なるほど、確かに?マークに見えます見えます。そのうち首が曲がるかもしれないですね。あるいは首をまっすぐにしないと見られない構造にすれば、健康に良いとして爆発的に売れそう、じゃなさそうです。
 しかし「地獄家庭からの地獄電話」って、相当大変だったのですね。よく思いきりました。

2023/02/04(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

スマホはカメラ

神が人にいろんな体験を課しているって、バーソさんが前々から言っていました。だから神も孤独を感じる暇もないんだ。
子供のときって他の家族全員いても母親がいないときはなんだか孤独に感じました。今はパーティーなどで、話が合わない人が多いと孤独に感じますね。そこに母親がいないからかな?(笑)
チェーホフが言ってますね、
「孤独になることが怖いのなら、結婚はやめなさい」
そうか、結婚って孤独になってしまうんだ。
スティーブ・カッツ氏の「地獄へ続く道(仮題(笑))」いいですね。
スマホを見ている女学生、信号が青になってもすぐ渡ろうとしない。
待っているとスマホを見ながらだからのろのろ歩く。見かねてプっとホーン鳴らすと睨みつけたりしますね。カッツ氏の絵のように地獄に落ちろと思いますよ。
スマホはカメラとしてなら最高です。

2023/02/04(土) |URL|エリアンダー [edit]

Re: スマホはカメラ

エリアンダーさん、コメントありがとうございます。

> 神が人にいろんな体験を課している
 そうですね、確かにそう思えるような書き方をしていますね。 ただ、厳密に言えば、人間が(創造者)を材料にして造られた神の分身であるなら、人間と神は本来一つのものです。つまり究極的には、人間も神なんですね。とてもそうは思えませんが。
 そうであれば、神がいろんな体験を人間に「課している」というより、人間と共に様々な体験をして、その体験から生じる喜怒哀楽の感情を一緒に楽しんでいると思ったほうが良さそうです。
 肉体を持たない神は、肉体を持つ人間としての在り方も楽しんでいるのでしょう。
 
 そう思うと、神も孤独を感じる暇もないかもしれないですね。
 あるいは、まったくの孤独とはどんなものかをとことん追求して、そんな天涯孤独の人間が地球に生まれるようにした事例も歴史上けっこうあった、とも考えられます。
 
 私は成人になるまで、父親の顔は写真でしか知らなかったですが、子供の頃よその家に行って、そこに父親がいるのを見ると、ちょっと羨ましく思ったものです。いまでも年配の優しい男性にちょっと弱いところがありますよ。(笑) 
 母親はいましたが、かまってくれないので、もっぱらおばあちゃん子でした。といって、おばあちゃんもかまってくれず、子供は風の子だから外で遊んでおいでと言われて追い出されていました。
 
 スマホを見ながら運転している人を時々見かけます。渋滞しているときにストップアンドゴーが周囲と同期してなかったり、進行状態がフラフラしているのは、ほぼ間違いなくスマホを手にしています。
 前にもコメント欄で書いたことがありますが、スマホを見ながら周囲を全然見てない若い女性が道路をすたすた横断してきたので、あわてて急ブレーキを踏んだことがあります。
 車が右左折しようとして、その後ろにも車が待っているのに、横断歩道をゆっくり歩くような女性は、いくら美人でも、結婚したくないですね。私が社長なら面接時に即、落とします。(笑)

2023/02/04(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

虚構現実に浸かるといい湯だな(笑)

「歩きスマホをする人の心理とかけましてプーチン…或いはトランプの脳内現実と解きます。
その心は…現実世界よりも、スマホの中の虚構世界…或いは妄想現実こそが唯一の真実である(笑)」

なので歩きスマホをする人は決して孤独でも、孤独を好んでいる訳でもなく、別世界の住人になって現実逃避しているだけです。
その世界には自分以外に人間はいなくて、自分だけが唯一人として存在している空間であり、全ての物語の主人公でもあります。
つまり、スマホで交際している他人は実態のないエルフ=精霊であり、自分とその虚構現実を引き立てるアバター、或いはアイテムです。
人としての感覚を持つ必要はなく、時に人間として見ずに、うざったくなったらシャットダウンして自己の世界の外に放り出せばよい。
一度、スマホの虚構現実世界に住み着いてしまえば、これほど楽で自己中心的に振る舞える居心地のいい場所はありません。
「欧米…特にアメリカはナチズム帝国であり、ロシアだけが唯一の正義を為す国で、ロシア軍が悪の軍隊に負ける事はなく今もウクライナで悪の軍団を破って前進し続け、多くの善良なウクライナ市民を救い出している英雄なのだ」
「左翼の巣窟だった連邦議会襲撃の指示は、神が私に下された尊い使命であり、私こそが唯一神の御意向に従った本物の使徒なのである」
(▲)驚くべき事ですが、そんな話を本心から信じて拡散している歩きスマホ族…或いは少し歳食った家に居座りスマホ族のブログ記事をFc.2でもたくさん見掛けます。ある意味、悪趣味を承知でヤンでる連中をわざと覗きに行ったりもしますが(笑))
大半の歩きスマホ族は、虚構世界からハッ!と我に返って現実を認識するスイッチを持っている様ですが、そうでないのも中にはいます。
ただ恐いのはそんな連中が多数派になった場合ですね…その時は虚構現実を真実とする麻薬中毒患者が跋扈する悪夢の世界になります。

2023/02/04(土) |URL|sado_jo [edit]

Re: 虚構現実に浸かるといい湯だな(笑)

sado joさん、コメントありがとうございます。

 またまた面白い論文コメントを。なるほど、「別世界の住人になって現実逃避しているだけ」で、「自分だけが唯一人として存在している空間であり、全ての物語の主人公」ですか。
 そしてエルフとアバターが出てくるところが、joさんらしいですね。ちなみに滅多に映画館に行かない私が観に行ったのが3D映画の『アバター』でした。色がきれいで、メルヘンがあって、なかなか面白かったですよ。
 
 jo説はそうだと言える一面が確かにありますね。でも面白い考えがあると、私の中の違う頭がしゃしゃり出てきます(以下は単なる私個人の意見ですから、参考程度に読んでください)。
 スマホって、自分が主人公になる別世界というより、自分はスマホの舞台の中で演じられている主人公を(ぼーっと、あるいは熱心に)見ている観客なのではないですかね。
 スマホを観て自分が主体的かつ能動的に思考したり行動したりするわけではなく、ただ画面を観ているだけ、と言えませんか。
 むろん、観ることが最大の行動であり、それによって喜怒哀楽の感情を感じて、人生の醍醐味のいわば縮小版を味わっているわけですが。
 「うざったくなったらシャットダウンして自己の世界の外に放り出せばよい」というのはその通りで、気軽な「現実逃避」、そして「自己中心的」で「居心地のいい」自己陶酔のツールです。「21世紀の新しい7インチワールド」とでも言いたくなります。私のは4インチなので、浸れる気分にはなれませんが。
 
 しかし西欧とロシアのプロパガンダはウソップ物語合戦のようです。西側の情報ばかり聞いているのとウクライナの悲惨な状況を映像で見ているので、プーチンが悪人のように思えますが、両方の情報を同じボリュームで見ていると、また違う判断が出てきそうです。現代は情報カオス時代。自分の好き嫌いを殺して、両方を公平に見ていると何が何やら真実が分からなくなります。
 
 片方の虚構世界にどっぷり漬かっていると、「恐いのはそんな連中が多数派にな」ることでしょう。この社会は多数が正義となる仕組みですから、衆愚が大手を振って歩きだします。人工知能が世界を支配するのも怖ろしいですが、メディアに洗脳された大衆の意見が支配するのも怖ろしいですね。
 ここで、ソクラテスはアテネの民会の多数派による不当な判決に素直に従い、毒薬を飲んだことを思い出しました。うーむ。

2023/02/05(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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