人間の行ないは天で記録されているか。
人生、どう生きるか?
大雑把に分類すれば二種類あります。
一つは欲望を抑えて清く正しく生きようとする生き方、もう一つは今この瞬間をエンジョイできればいいとする生き方です。
では、禁欲的と享楽(刹那)的と、どちらの生き方のほうが好きか、愉しいか、楽か、得でしょうか。今回はちょっと意外な結論になりますよ。

加賀の千代女の朝顔の句と辞世の句。
「いつもきれいに使っていただき、ありがとうございます」
こんな張り紙が男子用トイレにあるのを見るとムカつくという意見が、だいぶ前の『YAHOO!知恵袋』にあった。
それよりも「きれいに使いましょう」とか「KEEP CLEAN」とストレートに言うほうが全然いいそうで、「慇懃無礼で無言のプレッシャーを感じる」と賛同する人もいた。
むろん、この貼り紙は褒めて良い特質を伸ばす子育てのような意図であり、他の利用者もきれいに使っているというメッセージも伝わるので、実際に効果があるそうだ。

飛び散りを最小に抑える小便器のデザイン試作。 写真提供: ウォータールー大学(ミア・シー)
ひとの悪口を不当に言うのは自分の悪口になる。
私バーソも、ひどい嘘だらけの誹謗中傷をブログでされたことがあります。
前回は或る女性の学者が血道を上げているひどい誹謗中傷動画を扱いましたが、今回は私がされた中傷誹謗ブログについて二件書いています。
いずれも頭脳優秀な人物によるものですが、しかしその動機と言動にはちょっと常識では考えられないものがあります。

侏儒の言葉の「百足と蝶」と百田氏vs飯山氏の論争。
侏儒の言葉―――芥川龍之介
百足 ちっとは足でも歩いて見ろ。
蝶 ふん、ちっとは羽根でも飛んで見ろ。
百足 ちっとは足でも歩いて見ろ。
蝶 ふん、ちっとは羽根でも飛んで見ろ。
百足と蝶の論争だが、違いに相手の弱点を突いていて、勝負はお相子に見える。
しかしながら百足は羽根がないのでまったく飛べないのに対し、蝶は羽根を使ってジャンプしながらでもちっとは歩けるので、蝶のほうに若干の優位性がありそうだ。
文法的には蝶が言った「羽根でも飛んでみろ」の「でも」が気になる。そもそも百足には羽根がないのだから、「羽根で飛んでみろ」と言ったほうが良かった。

ここで蝶が羽根のない百足に対して「羽根でも飛んでみろ」と言ったのは、肉体に欠損のある障害者をイジメてからかっているようなので、これはイジメだ、虫権侵害だと思った人がいるかもしれない。
それで他者を誹謗中傷する人の妙な"動機"の事例を三件扱うが、今回は選挙に関する公的な事例を一つ挙げ、次回に私の個人的な経験を二つ説明したい。