「霊の世界」が在るとしか考えられないその根拠。
「霊の世界」は在るか?
と複数のChatAIに訊ねたら、一部の人々や宗教では在ると思われているが、科学的また客観的な観点からは検証できないといった曖昧な答えしか返ってきませんでした。
しかし「霊の世界」は "無い"という証拠はゼロですが、"在る"ように思える人的また物的な状況証拠(間接証拠)なら膨大にあります。
今回は「霊の世界」が "在る"と思える根拠を挙げていますが、感情では否定できても、さあ、理性で論理的に否定できるかな。ワトソン君。(笑) [註1]

1990年米国映画『ゴースト/ニューヨークの幻』YouTubeより
(忙しい方は、項目6つのうち、1~3までを読めば趣旨は大体わかりますよ)
三好達治の『甃のうへ』は、人生の影を示しているか。
私はアミ教の信者。電子網の中を漁る時間を愉しく思う人間です。
三好達治の詩『甃のうへ』についてざっと検索していたら、世間から大バッシングを受けそうな、しかし非常に面白い解釈がありました。
それは大学入試で出題された、こんな質問です。
問い:詩の中に「をみなご」は何人いるか?
「をみなご」とは高校生ぐらいの少女という意味で、正解を先に言うと「2人」なんですが、どうしてそう言えるのかを考えるのが問題です。
まずはその詩の春うららの風情を味わいながら、その根拠を考えてみませんか。
広重の『東海道五十三次』は木々の本数が異常だ。
江戸時代、日本列島の森林は過疎化していた。
当時は木材がエネルギー源。鬱蒼としていた全国の森林は、建材や家具、道具、燃料などに使うために食い尽くされ、山々には貧相な植生が広がっていました。
その証拠の一つが広重の『東海道五十三次』です。
浮世絵は誇張や省略が多いのですが、それにしても街道沿い以外の山や丘には樹木が非常に少ないことに驚きます。
以下、その代表的な絵の、特に木の本数にご注目ください。
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33.『二川 猿ケ馬場』

現在の愛知県豊橋市。なだらかな丘には貧相な木が二本立っているだけ。茶屋の名物の柏餅を目当てに登っている三人連れは瞽女(ごぜ)という盲目の三味線弾き。