2020年01月

「バーソは自由に」

考え方はいろいろあるから面白い

 『雨ニモ負ケズ』の時代より、世の中は良くなっている。 


前回は “親しき友にも裏切りあり” をテーマにしました。

面白いことに、英語の “sell out” は、字句通りには《売り尽くす》ですが、口語では、人や国を売る《裏切り》の意でも使われるそうです。

日本語は含蓄が深いですね、《売る》に関わる慣用句がいろいろあります。
辞書にある慣用句を全部使って『雨ニモ負ケズ』の詩に入れ込みました。
余計な熟語も使いましたが、どんなストーリーになるでしょう?

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バーソ『雨ニモ負ケズ』もじり詩シリーズ第8弾「売り」言葉編



 dalr0.jpg pixabay

 ダビデとイエスを裏切った男と、聖書の『予型』解釈法。 


「悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。
そんな鋳型(いがた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありませんよ。平生はみんな善人なんです。
少なくともみんな普通の人間なんです。
それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。」
           ――――――夏目漱石『こころ』(上・二十八)


 裏切りといえば、どんな人を思い出しますか。
「ブルータス、お前もか」を筆頭に、「なんと、光秀がか」「よし、秀秋だな」と思われたであろう武将、また『三国志』の呂布の名を思い出すかもしれません。

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クマ「おっと、ご隠居、肝心なのを一人忘れちゃいませんか、江戸っ子だってねえ」
隠「熊さん、自分の弁護士を裏切った、あのゴー・・・」
クマ「いえ、ユダです、ユダ」
隠「ああ、イスカリオテのユダか。欧米ではユダは極悪の裏切り者と思われているが、じつは十二使徒の中ではイエスから一番信頼されていたようだな」
クマ「ユダが信頼?」
隠「ダヴィンチの『最後の晩餐』ではユダは財布を握っているが、ユダは使徒たちの共同基金を管理していた。つまりイエスの信頼が厚かったのだ」
クマ「なんで、そんな人がイエスを裏切ったんで?」
隠「いろいろ説があるが、熊さん、預言的な解釈が面白いぞ」
クマ「ご隠居は、トンデモ話が好きですねえ」
隠「いや、けっこう論理的なのだよ。イエスの千年ぐらい昔の先祖にダビデという王がいた。ダビデの三男はアブサロムといって、『足の裏から頭の頂まで非の打ちどころがなかった』と言われたほどの二枚目だ。小泉進次郎を百倍男前にして、山本太郎を百倍弁舌巧みにしたような若者で、自分の支持者を増やした」
クマ「いい男には敵わねえ」
隠「そう、昔も今も大衆はひとを顔で判断する。二枚目のアブサロムは言葉巧みに人心を掌握し、父王ダビデに突然謀反を起こした」
クマ「あら、下克上だ」
隠「突然だったからダビデは急いで都落ちした」
クマ「そのアブサロムって奴は、『敵はエルサレムにあり』とか言ったんですかね」


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 ヤン・マサイス『ダビデとバテシバ』1510-1575(人妻だったバテシバの祖父がアヒトフェル)

 目に太陽を見るのは楽しいことである。もったいなくない生き方。 

 
 こんなパラドックスフレーズがネットにありました。

 世の中には10種類の人間がいる。
 二進法が理解できる人間と、理解できない人間だ。


「二進法が理解できる人間」とは、ひょいとスマホを取り出して気軽に使っている現代人と考えていいでしょうが、この文章、ちょっと変ですね。

 1行目で人間が「十種類いる」と言いながら、2行目では「二種類」だと言うのは矛盾です。どう解釈したらいいでしょう?


 nuw9291.jpg アナログ派の第一の情報は新聞である。

 獅子と猿の約束。今昔物語「師子哀猿子割肉与鷲語」 


 シェイクスピアの『ヴェニスの商人』より心温まる、“ライオンの承認”の話が
平安末期の『今昔物語』の中にあります。

 約束を守ることは名誉を守ることだと考えているライオンが、自分より弱者の
言い分を正当だと素直に認め、重大な自己犠牲を払うという気持ちのいい話です。

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(地の語りは阿波弁、獅子は標準語、猿は京都弁、鷲は熊本弁にしています)

 今昔物語 巻五第十四話
 「獅子、猿の子を哀れみて肉を鷲に与える話」



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 今は昔、天竺(インド)の深山の洞穴に一頭の獅子が住んどった。
 獅子は心のうちで常々こう思うとった。
私は百獣の王である。すべての獣を護り、哀れまねばならない
 
 その山に、夫婦の猿が二匹の子を育てとった。
 子を洞穴に置いて食べるものを探しに出かけると、鷲や獣が来て子供を奪うていくかもしれんけん、それを怖れて外出せんでいたら、疲れが極みに達し、もう餓死するしかのうなってきた。

 そこで猿は、獅子の洞穴に赴いて、懇願した。
あんた様は百獣の王どす。すべての獣を哀れんでくれはる存在どす。うちも獣のはしくれ、哀れんでいただける者どす。うちは、二匹の子が幼いときは、一匹を背負い、もう一匹を腹に抱き、山野に出て木の実や草の実を拾い集めました。せやけど子供たちは成長し、背負うのも抱くのもややこしなりました。子を置いて外出したら獣に襲われるさかい。出かけへんといましたら、疲れ果て、命絶えるばっかりどす。どうか、うちらが山野に出とる間、子供たちを預かって護っていただけへんどっしゃろか
 獅子は顔をしかめた。
おまえが言うのはもっともだ。おまえたちが帰ってくるまで、私が護ってやることにしよう
 獅子は、よそ見もせず子猿をよう見守っとったが、ちっと居眠りしていた隙に鷲が飛んできて二匹の子猿を連れ去って、木の上で猿の子を食べようとした。

 獅子は騒ぎ迷うて、鷲がおる木の根元で叫んだ。
おまえは鳥の王だ。私は獣の王だ。お互い、王としての心があるはずだ。どうか見逃してほしい。私は、親猿に子猿を預かると保証しておきながら、その子を失うなら、肝も心も割かれるように感じる。私が怒って吠えて罵るなら、おまえたちも安らかではいられないはずだ
 鷲は困った。
おっしゃることはごもっともばい。ばってん、こん猿ん子二匹は、うちん今日ん食事ばい。獅子ん言わるることは怖しゅう、また、かたじけなかことやばってん、うちん命ば思えば返すことはできまっせん
 獅子は、うーむと顔を斜めにして言うた。
言うことはもっともだ。ならば、この猿の子の代わりに、私の肉を与えよう。これを食べて今日の命を助けるとよい
 獅子は剣のような爪で、自分の股(もも)の肉をつかみ出し、猿の子二匹と同じぐらいの大きさにして鷲に投げ与えてから、猿の子を返してほしいと頼むと、鷲は言うた。
返しゃん理由はなか
 そうして獅子は猿の子二匹を得た。

 獅子が血だらけで洞穴にやっと帰ってきたら、子猿の親が木の実を拾い集めて帰ってきた。獅子が事の次第を語ると、猿は涙を流すこと流すこと、まあ、雨のようやった。
 獅子は静かに言うた。
おまえが言ったことを重く考えたからではない。約束をして違えることを極めて怖ろしいと思ったからだ。また私にすべての獣を哀れむ心が深かったからだ


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.


 
 獅子は、自分が約束したことは絶対責任を負うという強い《自負心》と、また
自分は哀れみを持つべき百獣の王であるという適切な《自尊心》も持っています。
そして《哀れみ》という「惻隠の情」のような本質的な優しさも抱いていました。

 猿は、我が子を大事にする情愛ゆえに百獣の王に会いに行く勇気を持っており、
他者の善意を信じる心と、そして愛や親切に対する深い感謝の念も抱いています。

 鷲は、獅子より猿の子の肉のほうが柔らかくて美味のはずですが、メンツを押
し通そうとはせず、相手の弱みに付け込み、さらに要求しようともしていません。

 
 シェイクスピアの『ヴェニスの商人』は、貸した金の代わりに人肉を切り取ろ
うとした悪役の金貸しが裁判で負けるので、気分がスカッとするかもしれません。
 しかしこの獅子は、重大な損失を被ろうと、約束を果たして自分の名誉を守ろ
うとしており、太宰治の『走れメロス』など比較にならない高潔さがあります。

 当時の人々に名誉を尊ぶ精神があったので、こんな寓話が出来たのでしょう。
私は最後に猿が雨のように涙を流したところで、ぐっと来て眼に涙が滲んできま
した。原文はもっと長いのですが、要約すると良さが伝わりにくいのが残念です。

 名誉と哀れみを尊ぶとは、自己愛と利他愛を大事にすることです。
 利他愛は素晴らしいですが、善い意味の自己愛もまた必要なものなんですね。





補足―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
※絵は木島櫻谷(1877-1938)の『獅子虎図屏風』個人蔵と『猛鷲図』㈱千總蔵を借用しています。
※方言については、方言変換サイトを利用させていただきました。
 ・https://www.8toch.net/translate/   ・https://www.8toch.net/translate/
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