「原罪」の教理はエゼキエル書の一つの聖句から論破できる。
かつて聖書の伝道中に、居合抜きで負けたことが一度あります。
ある秋の日、神社の境内の奥で、細い体つきの六十歳ぐらいの婦人が竹ぼうき
で落ち葉を掃き集めていて、こちらを一度チラッと見ました。
神主の奥さんだなと思ったので近づいて、十秒か二十秒か話し掛けるタイミン
グを見計らっていたら、黄色いイチョウの葉が一枚ひらひらと落ちてきて、その
人が物静かな顔で、ほうきの先を見ながらポツリと言いました。
「無常ですね」
言葉自体は月並みで、どうってことないのですが、私は話し掛ける意欲が萎え、
黙って礼をして静かに引き下がりました。機先を制され、精神的に負けたのです。
しかしそれ以外では、家の人と話し合って理屈で負かされたことはないですね。
地元では、他の宗教の幹部、強固な無神論者、牧師や宣教者、大学の神学教授と
も論じ合ったことがありますが、返り討ちにあったことは一度もないです。※1
しかしじつは、聖書伝道者を沈黙させることができる必殺の言葉があるのです。
そんな切り札というか、妙手というか、殺し文句となる聖句を一つ紹介します。
悟りとは無欲・無意欲のことか。芥川の『黄粱夢』。
「ご隠居、先週の雀のお小遣いでサマージャンボとレインボーくじを二枚ずつ買
いました。賞金の七億五千万円の一割をご隠居に分配するってえと七千五百万円。
すっごくうれしいでしょ。それでですね、そのホンの一万分の一で許してあげま
すから、七千五百円、前渡しでください」
「まったく。熊さんは懲りないねえ。今日は、おまえさんに一つ大事な話をして
おこう。『邯鄲(かんたん)の夢』という中国の昔話だがな」
「知ってます。簡単な話です」
「ほう、どんな話だ?」
「へい。若い男が仙人から不思議な枕を借りて寝たら、とんとん拍子に出世して、
偉くなって長生きした。だから、お先まっくらな話ではなく、お先は枕で明るい
未来の夢を見た話です」
「ま、おおむね合ってるな」
「へい。カンタンな話です」
「盧生(ろせい)という名の若者が、邯鄲(かんたん)という町の宿でちよっと昼寝をし
たら、栄耀栄華を極めた夢を見たのだが、夢から覚めたときに、どう思ったか覚
えているか?」
「さあて、どうでしたかね」
「芥川龍之介がこの話を作り変えて面白い結末にしている。短いから三分で読め
る。『黄粱夢(こうりょうむ)』という題だが、黄粱とは黄色い粟(あわ)のことで、話
は、粟の粥(かゆ)が炊き上がった頃に目を覚ます場面から始まっている」
一万円札の顔は、一つの成功志向を励ましている。
1円玉はエネルギーのロスになり、廃止すべきだ。
ナッパなら、菜っ葉。
ハッパなら、葉っぱ、大麻、火薬。
キュッパなら、何を思い出しますか?
――――国語辞典には、そんな言葉はありません。
では、イチキュッパ、ニキュッパ、サンキュッパ・・・なら?
――――きっと商品の特価表示を思い出すでしょう。
198円、298円、398円といった半端な値付けは、消費者の購買意欲を高めるた
めの心理学的な販売テクニックの一つで、「端数価格効果」と呼ばれます。
人は、買い物をするときは、最初の数字(上一ケタ)を気にします。つまり1よ
り2のほうが高い、100円台より200円台のほうがワンランク高い、と感じます。
そこで200円ではなく、198円にすると、まだ100円台の安い商品だと感じます。
つまり価格の最後の「98」は、単に数円安いだけではなく、ワンランクお得に
感じるというのがミソなんですね。だから心理学的な販売テクニックと言います。
消費者は心理を操られていて、キツい言い方をすれば騙されているのです。※1
金額の下一桁が「8」なのは、末広がりで縁起が良いのと、語呂がいいからです。
アメリカのスーパーストアのチラシは、見事に1ドル以下の数字が99だらけです。
英語では「オッド(odd)・プライシング」つまり「奇妙な価格設定」と言います。
これはアメリカの商売上手なユダヤ人が考え出したという話を『ユダヤ人の知
恵』といったようなタイトルの本で、だいぶ以前に読んだことがあります。
この1円単位の端数は、日本人のエネルギーをだいぶロスさせているようです。
それで今回は、1円玉の “ロス疑惑” について書くことにします。