ただ、好日を楽しめればいいのか。芥川「侏儒の祈り」。
先日(4/12)、ペギー葉山さんが83歳で亡くなりました。
私が印象に残っているのは、昔、TBSで見かけたとき、
その半径2メートルぐらいの空気がものすごく明るく華やかだったことです。
カバー曲の一つに『ケ・セラ・セラ』があります。
邦訳の歌詞は、小さな子供がママに「美しい娘になれるでしょうか」と聞くと、
「ケ・セラ・セラ、なるようになるわ、先のことなど判らない」と言われます。
まあ、未来とは不確定であり、ママに似ないかもよ、という心温まる返答ですが、
人は大抵、自分が「なりたい」願いや目標を持っているでしょう。
こんな人に「なりたい」セリフ。(※空欄の字はドラッグで現れます)
「デクノボーニ ナリタイ」( 宮澤賢治/雨ニモマケズ )
「普通のおばさんになりたい」( 都はるみ/昭和59年 )
「お金が欲しいんじゃない。ただ素晴らしい女になりたいの」(モンロー)
「とにかくビッグになりたい」( クリスティアーノ・ロナウド )
「野球界じゃないなら、花屋になりたい」( 長嶋茂雄 )
「好きなことをやり、それで食えるようになりたい」( 立川談志 )
「ひもになりたい」( 弱々しい細い糸 )
「家族みんなに愛される うちの犬になりたい」( さだまさし/歌詞 )
「デクノボーニ ナリタイ」( 宮澤賢治/雨ニモマケズ )
「普通のおばさんになりたい」( 都はるみ/昭和59年 )
「お金が欲しいんじゃない。ただ素晴らしい女になりたいの」(モンロー)
「とにかくビッグになりたい」( クリスティアーノ・ロナウド )
「野球界じゃないなら、花屋になりたい」( 長嶋茂雄 )
「好きなことをやり、それで食えるようになりたい」( 立川談志 )
「ひもになりたい」( 弱々しい細い糸 )
「家族みんなに愛される うちの犬になりたい」( さだまさし/歌詞 )
昨年、紳士の国イギリスでは「犬になりたい」ブームがあったとか。→出典
さて、芥川は「なりたい」願いと「なりたくない」ものを挙げていますよ。
雑念にギャグを噛ませると、思考は静かになる。
「事実は小説より気になり」
以下は、ブログの友人ご本人の失敗談のようなんですが。
最近、近所のおばさんが私を避けているような気がするんです。
私はパソコンで仕事中によくコーヒーを飲みますが、
冷めたコーヒーを電子レンジで温めることがあります。
ところが仕事に熱中すると電子レンジに入れたままよく忘れるんです。
それで忘れないためにパソコンの上に紙を置いたり、手にハサミを
持ってたりするんです。で、この間、忘れないためにメガネと顔の間に
小さな料理用の撹拌棒を指していたんです。
ふとピンポーンの音がして、玄関のドアを開けると、
おばさんが回覧板を持って立ってたんです。
――――――ブログ『夏への扉』・「変人?」2014/07/08投稿
私はパソコンで仕事中によくコーヒーを飲みますが、
冷めたコーヒーを電子レンジで温めることがあります。
ところが仕事に熱中すると電子レンジに入れたままよく忘れるんです。
それで忘れないためにパソコンの上に紙を置いたり、手にハサミを
持ってたりするんです。で、この間、忘れないためにメガネと顔の間に
小さな料理用の撹拌棒を指していたんです。
ふとピンポーンの音がして、玄関のドアを開けると、
おばさんが回覧板を持って立ってたんです。
――――――ブログ『夏への扉』・「変人?」2014/07/08投稿
会話体のせいもあり、文末が5回「~んです」となっています。「~のです」と
比べて考えると、当たりがやわらかいです。文体や語彙には人柄が出るんですね。
で、仕事に忘我集中するのは学者型人間の特徴ですが、私の場合はうろうろ徘徊
して恍惚愉快のときに同様のことが日常紅茶的に起きますね(註:ネット巡回時)。
それは脳の劣化現象の他に、人間の思考そのものに本質的な原因があるようです。
というのは、人間は考える葦、いや、絶えず考え続けている葦だからなんです。
足軽の軽率すくい軽すくう太田南畝のかるかる狂歌
最近、ある大臣が記者の発言にブチ切れ、世間から叩かれ、すぐ謝罪した。
江戸の昔、武士が悪行雑言の町人を叩き斬っても、お詫びはしないですんだ。
幕府が、斬捨御免、もしくは無礼討ちの特権を条文化していたからだ。
下級武士の末端である足軽でも、幕府から刑事責任は問われなかった。
徳川家直属の足軽は、末端行政や警備の要員として同心や徒士※1に採用された。
例えば『必殺仕置き人』の中村主水は、北町奉行所の定町廻り同心である。
テレビ番組『必殺仕置き人』 ※以下の画像は本文と直接関係はありません。
足軽が短気で刀を抜こうとしたとき、太田南畝※2が狂歌で仲裁した話が面白い。
芥川の考える「信念」。侏儒の言葉――神秘主義。
こんな格言がある。
「人間は、自分が考えている通りの人間になる」
「人間は、寝る前に考えた通りの人間になる」
共に意識が結果を作ることを言っているが、前者は顕在意識で、後者は潜在意識。
この格言は、現実には、現在形で言うほうがより適切なようだ。
すなわち「人間は、自分が考えている通りの人間になっている」。
私は以前、自分は駄目な人間だと思うようにし、友人にもそう言い、それが謙遜
だと思っていたが、今は、やはりまあ、その通りになってると感じている。(笑)
イエスは「求めよ、さらば与えられん」と述べた。
信仰を強く抱けば与えられるという意味だが、信念でも同じことが言えるだろう。
The New Yorker 1958
芥川龍之介が、我々の信念とは神秘主義だと論じている。どういう意味だろうか。