悪の支配者はすみやかに滅びる『黙示録』の預言。
ウクライナのひとたちが命を懸けて頑張っているのを見ると、涙が出てきます。世界が自らの損失を覚悟して弱者を応援しているのを知ると、胸が熱くなります。
こんなとき他の話を書く気がしないので、独裁者の行く末について書きますが、これを読めば聖書の『黙示録』のエッセンスが手早く理解できると思います。
まず、このたびの不法な侵略で再確認されたことは、
1.覇権国家は、国際法違反でも世界から反対されても武力の劣る国に攻めこむ
2.平和平和を唱えていれば他国から攻められない、なんてことはあり得ない [1]
3.独裁的な国に外交努力は通じず、大勢の無辜(むこ)の人々が死ぬ
という単純な真実です。
ロシアの名目GDPは韓国より下で、一人当たりではマレーシア程度なのに、ロシアが怖ろしい理由は、軍備の強さでもなく、国土の広さでもなく、共産主義国ならプーチンなら人を平気で殺すと思われているからです。実際、プーチンは諸国家の経済制裁に対する報復として、禁断の核使用をちらつかせています。[2]
ロシアの資産家がプーチン大統領に1億円の懸賞金(現在は削除)→出典
スイスは207年前に宣言した永世中立方針を転換し、ドイツは親ロ路線を変更して防衛費を2%に上げ、中立国フィンランドとスェーデンではNATO加盟の世論が高まり、揃ってウクライナへの武器支援を決めたのは、独裁共産国家が存在する中で周辺諸国家との協働なしに平和を保つことは無理だと認識したからでしょう。
「崇拝」は神聖であっても、愚かしく、危険である。
世の中は、澄むと濁るで大違い。
「くうそう(空想)」 「くうぞう(食うぞう)」 「ぐうぞう(偶像)」の
各崇拝者の正しい在り方を示したがゆえに、自分に当てはめれば何かの役に立つ
と思うかもしれないが、どっこい、そうは問屋が卸さない小論文です。
「くうそう(空想)」 「くうぞう(食うぞう)」 「ぐうぞう(偶像)」の
各崇拝者の正しい在り方を示したがゆえに、自分に当てはめれば何かの役に立つ
と思うかもしれないが、どっこい、そうは問屋が卸さない小論文です。
聖書中で、神が殺した人間の数が見過ごされてないか?
「目には目を、歯には歯を、命には命を」という有名な言葉がある。
これは刑罰は、犯した罪には、同等のもので償わせよ、
すなわち、誰かの目を損なったら目で賠償させよ、
歯を損なったら歯で賠償させよ、命を損なったら命で賠償させよ、
という聖書の掟(出エジプト記21:23-25、レビ記24:20、申命記19:21)である。
これはハンムラビ法典にも同様のものがある。
この掟では1人しか殺していないので死刑は不適当だという判決はあり得ない。
逆に、1人も殺してないのに死刑を執行されるということも基本的にない。
ところが、その掟を定めた神は、聖書中で200万人以上の人間を殺している。
詳細な数字は2,038,344人→参考 ※2,476,633人と計算した人もいる→参考
スピリチュアルと聖書が言う「終わりの日」とは?
明後日の2012年12月21日は、
アセンション(ascension:上昇、昇天)といって、
地球が物質世界から意識世界に移行する日だ、
とスピリチュアルの一部で言われている。
その日が古代マヤ暦の最終日となっているのも根拠になっている。
それがマヤカシか本当か、私は分からない。
ああ、そうですか、としか言いようがない。
だが私の守備範囲である聖書の「終わりの日」については、
はっきり言えることがある。
それは、キリスト教が言う「世の終わり」などあり得ない!だ。
そう言える根拠を、ギリシア語学不要の、子供でも分かる理屈で示したい。