以下の内容を読まれるのでしたら、こちら(映画の抱えるお約束事)とこちら(映画の抱えるお約束事2 日本ガラパゴス映画)をどうぞ。当ブログの理論についてまとめてあります。
古本屋で見たんですが、『猿の惑星』の早川書房から出ていた小説、終盤の数十ページに封がしてありまして、
「ここより先をお読みにならないお客様にはお金をお返し致します」と、
当時の早川書房ってそういう商売していたんですけれども、
『猿の惑星』ってそんなにすごいオチだったんだろうか?と今になっておもうところですが、
では、映画は一体どの時点で到着した惑星が地球だったのかが分かってしまうのか?ですが、
不時着してから水場にたどり着くまで20分くらい−>方向に移動します。
禁断の土地に向かう途中から<−向きに移動方向が変わり、最後に自由の女神を発見するまで<−方向の移動です。
映画のお約束事で指摘しているとおり、往路が−> 復路が<−で表されるのが普通なんですが、
『猿の惑星』では、「わけのわからない土地」での移動を−> そして地球への帰還、地球へ帰還していることの発見の行程を<−としています。
移動の方向を見ているだけで、実は映画開始の数分以内に最後の結末を予測することは不可能ではありませんし、また、冒頭のシーンから結末までに説得力のある流れを作り出すために、映像的伏線を忍び込ませていることが分かります。
そして、 冒頭数分で『猿の惑星』からオチがわかってしまうとすると、つまりオチの衝撃を差っ引いて考えると、その方が話しの骨格がスッキリと見えてくるように思えます。
『サウンドオブミュージック』の回でも書いてますけど、ニューシネマ、具体的には『イージーライダー』でアメリカ映画は、どっちに進んでいるのかわからない画面の映画が一時それなりに流行したんですけれども、その直前のハリウッド映画は、実に「お約束事」に則った画面進行の映画になっています。画面の進行方向操作だけ取り出しても芸術的な仕上がりなんですが、
『猿の惑星』というのは、その明白な画面進行から考えるに、この映画の面白さ等のはあらすじではないのだな、あらすじとはただ単に観客の注意・興味を維持させる為にあるのだろう、と思われます。
よく考えられたオチのように思えますけれども、実は、サル社会とその象徴するものへの皮肉が面白さであり、ストーリーは骨太にわかりやすくすっきりと流したほうがいいわけです。サル社会が表明する皮肉の印象がぶれると映画としてつまらんわけです。
日本軍にとらわれたフランス人の、日頃奴隷扱いしていた連中に逆にサル扱いされた体験から出来た小説と言われているのですが、
特別には反日の要素を感じさせません。
むしろ、サルの社会にも
金髪オランウータン = 白人
小柄なチンパンジ― = 日本人
体力あるゴリラ = 黒人
とほぼ現実と同様のヒエラルキーが存在します。
つまり、私たちはみんなサルなんだ、という物語なんですが、
インドとか東南アジアの人にとってみれば、腹に据えかねる部分もある映画でしょうけれども、
この映画での人間狩りの元ネタは、どうも、やはり、ローマ帝国時代のガリア、ゲルマニアでの奴隷狩りが元らしいです。
それが証拠に、ゴリラが奴隷を載せて移動するの馬車の形状がローマ史劇映画によく出てくるものとおんなじです。
北欧の白人って、ここ五百年、地球の主役として振舞ってきた人たちで、奴隷狩りはしても狩られる立場には2000年立っていなかったんですが、それでも、北欧の人間の視点で奴隷刈りされるところを描くと、
ローマ時代の記憶にまで遡るのですね。
おめえら、アフリカではもっとえぐいやり方で奴隷狩りしてただろうとか、インドや東南アジアでは、もっと「合法的」なえげつないやり方で事実上の奴隷を集めていたんでしょうけれども、
わかりやすい奴隷狩りの光景、それも彼らにとってのわかりやすい奴隷狩りの光景というのは、結局ローマ時代に遡るわけです。
以前、アメリカ映画が未来を描くと、ローマ帝国に科学という呼び名の魔法が付け加えられただけのものになってしまう、ということを書いていますが、
『猿の惑星』にしても、魔法の科学の杖こそ登場しませんが、実はローマ帝国ネタだったりするのでしょう。
よくよく考えてみると、この映画のあらすじは、HGウエルズの『タイムマシーン』とほとんど同じなんですが、
HGウエルズの方は、労働者階級と有産階級がひっくり返った社会ですが、
『猿の惑星』では、一体何がひっくり返った社会だったんだろう?
サル社会自体が人類社会のアイロニーなのだから、サルが非白人の象徴であり、西欧の没落を描いているということではないように思えます。
また、チャールトン・ヘストンへの理不尽な裁判も、中世の宗教裁判を皮肉ったもののようでありますし、
前近代の人間とは、このような無知蒙昧なレベルの生き物であり、
それに対し現代の人間はその科学力により利口になったように思えるかもしれませんが、愚かしくも世界を丸ごとぶっ飛ばしてしまうようなガイキチだったりするわけです。
原作者のフランス人、日本軍の捕虜になって悔しかったとは思いますけれども、それでも、かなり冷静な立場で公平な物の見方を示そうとしていたように思われます。
ただし、サルにいいように扱われるチャールトン・ヘストンを見ていると、黒人の人たちなんかは居た堪れない思いだったり、もしくは単純にいい気味だとか思ったりしたのじゃないでしょうか。
作者のピエールブールもしくは映画化が、上手いこと覆い隠し直接問題にしなかったはずの人種問題が、三作目の『新・猿の惑星』では、チンパンジーが地球にやってくることで、一気に露骨に黒人問題の比喩として映画が描かれることになります。
そして、それはそれで、実に面白い映画になっているのですね。
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