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美術をインストールされた受動体としての作家/梅津庸一「未遂の花粉」とシンポジウム「前衛、近代、コミュニティの再設定」感想 - ohnosakiko’s blog
昨日、愛知県立美術館で開催中の梅津庸一展と、関連して行われたシンポジウムに行ってきた。その時感じ... 昨日、愛知県立美術館で開催中の梅津庸一展と、関連して行われたシンポジウムに行ってきた。その時感じたことなどをつらつらと。長いし結論はない。 梅津庸一については、黒田清輝の大作『智・感・情』を自らのヌードに置き換えて点描画法で描いた作品で話題になり、「パープルーム」という画塾兼共同体の主宰者でもある画家‥‥といった程度の知識しかない。 現在愛知県のあちこちで「パープルーム」も含めた展覧会が開催されている模様だが、私が見たのは、新栄の「波止場」という小さなスペースで、佐藤克久とのコラボレーション作品『ネオ受験絵画とフラジャイルモダンペインティングに見る日本の現代美術家の苦悩』のみ。 これまでの「表現行為を選択する能動的主体としての作家」ではなく、「美術をインストールされた受動体としての作家」像のようなものはなんとなく見えた。「能動」ではなく、積極的な「受動」。 愛知県美の展示では、先の黒田清輝
2022/09/05 リンク