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新古典派経済学の謎:アダム・スミスが経済学の父ならば、新古典派経済学は私生児だ - himaginary’s diary
2日エントリで引用したディローは、NAIRUは労使間の力関係を前提として出てきた話なのに、ニューケイン... 2日エントリで引用したディローは、NAIRUは労使間の力関係を前提として出てきた話なのに、ニューケインジアンなどの後代の経済学者たちはそれを忘れてしまった、と嘆いている。このように後の人たちが最初の人の考えの重要な部分を捨象した別の例としてディローは、アダム・スミスを挙げ、Oscar Valdes Vieraの表題の論文(原題は「The Neoclassicals’ Conundrum: If Adam Smith Is the Father of Economics, It Is a Bastard Child」)にリンクしている。以下はその要旨。 Neoclassical economists of the current era frequently pay lip service to Adam Smith’s theories to certify the validity of
2017/08/07 リンク