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奥歯の痛みとしての民族主義 - キリンが逆立ちしたピアス(ブログ版)
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奥歯の痛みとしての民族主義 - キリンが逆立ちしたピアス(ブログ版)
彼は、自己紹介で「朝鮮人です」と名乗った。参加者の半数が在日コリアンであり、後の半数が日本人であ... 彼は、自己紹介で「朝鮮人です」と名乗った。参加者の半数が在日コリアンであり、後の半数が日本人であるような、学生の研究会の場だった。彼はかつて学生時代に民族団体の活動家であった。「朝鮮人です」という言葉が、事実を述べるものではなく、パフォーマンスであることはすぐにわかった。彼が「朝鮮人です」と言った瞬間、私の脳裏には「日本人です」という一言がよぎる。このとき、私は自分の日本人性を強く意識する。 私は日本人であることを、普段の生活ではさして意識しない。なぜならば、日本で暮らす限り、日本人であることは自明であるとされているからだ。多くの日本人にとって、自分の民族アイデンティティは、当り前すぎて不可視化されている。「民族にこだわってないんですよ」とすら言えるかもしれない。それがマジョリティの特権である。自らのルーツに立ち返り、何度も自問し、「朝鮮人です」と名乗ることを選びとった彼と、無知でいつづけ