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ブラックフライデー
font-da.hatenablog.jp
永井均が、あるトランス差別に擁護ともとれる発言をして、ネットで話題になっている。発端は、永井の元教え子の谷口一平が、自分の投稿論文につけられた査読コメントをSNSで公開したことだ。谷口の論文はトランスジェンダーをテーマにしているが、査読の結果、不採用となった。しかしながら、谷口は査読者が、哲学研究者ではなくジェンダー論者であったことを批判し、不当な査読であったと訴えている。 togetter.com 谷口の主張の内容には踏み込まないが、これらの発言を一般論として「査読への不満」として理解する。トランスジェンダーをテーマにした論文であれば、どんなジャーナルであれ、ジェンダー論者が査読を担当することは十分に予測できる。そのために、学際領域を扱う哲学研究者であれば、先行研究を十分に精査し、査読者を説得できるよう先回って論を組み立てる必要がある。私自身、学際領域にいるし、うまく書けずに査読者に全然
私の宮崎駿監督「君たちはどう生きるか」のModern Timesで書いた評*1に、Twitterで言及していただいているようなので、短く返答しておく。最近、Twitterの不具合が多いので、本文をコピーして掲載する。 概ね納得のいく批評だが2点。まず吉野源三郎の「君たちはどう生きるか」は本作の原作ではない。原案ですらなく、クレジットもされていない。あくまでタイトルの借用であり、主人公の行動を規定するきっかけとしてのみ使われる。この点を誤読すると本作の意図をつかみ損ねる。https://twitter.com/gigir/status/1681261628082507779?s=20 また小松原氏は「眞人は大叔父の仕事に関心がない」と整理しているが、これもまた誤読であろう。大叔父の仕事には敬意を払いつつも、自分にはそれを継ぐ資格がないこと、おそらくはその仕事は誰も継げないことを観念して断った
公開初日の初回で観てきました。そうしてよかったです。ネタバレを踏まずに、真っ白な状態で観るのがベストな作品だと思います。しかも劇場で、ひとりで観るのが最高でした。 何を言っても蛇足とネタバレになってしまう作品なんですが、速報的に評を書いたので以下に掲載してもらっています。(全文が無料で読めます) www.moderntimes.tv 情報が出ないということは事実確認ができません。登場人物の名前すら不安なんで、評を書く側には地獄でした。でも、本来の映画評ってそういうものなんでしょう。ジブリの作品群を追っていると、宣伝戦略が最も花開いたのは「もののけ姫」だとすぐわかります。空前絶後の大ヒット作になりました。当時、中学生だった私は友人たちと映画館に初日の公開に行って立ち見で観ましたが、「全部どこかでみた映像だ」と思ってガッカリしたことを覚えています。今になって再視聴すると、素晴らしい作品だったわ
小島アジコさんの記事を開いて、「それな」と思った。 最近、同年代のブロガーの人がブログや文章を書くことに対して、書く意欲が減っていくということを書いていて、自分も何か書こうと思ったけれども。 めんどくさいのでやめた。 orangestar.hatenadiary.jp 私の場合は単純に、締め切り迫った原稿がいくつもあって焦ってるときに限って、「ブログ書こうかな」と思い*1、「書いてる場合じゃないだろう」と考え直すパターンが多いです。空いた時間は研究資料読みたいし。どうせのんびりするなら、Netflixでドラマか映画を観るし。なんなら、人と会っておしゃべりでもしたいし。めちゃくちゃ普通のこと言ってるな、私。むしろ、なんであんなに一生懸命ブログを書いていたんだろう、という不思議な気持ちになる。嫌なコメントとかいっぱい飛んでくるのに、毎日、毎日、キーボード叩きまくって、取り憑かれたように書いた。
「生きづらさ」を聴く 不登校・ひきこもりと当事者研究のエスノグラフィ 作者:貴戸 理恵 日本評論社 Amazon 社会学者の貴戸理恵さんから、新著をご恵投いただいた。タイトルになっている「生きづらさ」という言葉は、ネットでも何度も議論を呼んでいる。ひとを嘲笑する表現として「あのひとは生きづらそうだ」というネットミームもあるようだ。また、社会構造から生まれる問題を、個人の主観的な「つらさ」という感情に還元する言葉であると批判されることもある。長く「生きづらさ」の問題に向き合ってきた貴戸さんは、その批判を受け止めながらも、実際に苦しむ人々に「あなたの問題はあなたのせいではなく、社会の問題なのだ」と(上から目線で)突き詰めればいいのか、と問い返す*1。貴戸さんは次のように述べる。 個々の人びとがが抱く「独自の人生を切り抜け、歩んできた」という実感は、「他でもない自分の人生」という圧倒的なリアリテ
呻きから始まる 作者:栗田隆子 新教出版社 Amazon 友人の栗田隆子さんが、新著を出版された。栗田さんは、1980年代後半、日本がいわゆるバブル景気に湧く時代に青春期を迎えた。学校制度に違和感を持ち、社会への関心を寄せるなかで、高校に入学するとどうしても学校に行けない「不登校」の状態に陥る。自分でもコントロール不可能な「不登校」という状況と格闘するなかで、キリスト教の信仰に入っていく。神の声を聞くという体験に救いを得ながら、栗田さんは再び社会を問い、運動のなかに飛び込んでいく。そのなかで、疲弊しうつになりながら、再び神に出逢い直す。この本は、月刊誌『福音と世界』の連載がもとになっており、キリスト者としての栗田さんの考えが綴られるとともに、1980年後半から現代に至るまで続く労働や貧困、差別の社会問題が語られ、両者が重なりながら語られていく。キリスト者だけではなく、なにかをよすがに生きて
沖縄の反基地運動が話題になっています。座り込み(シットイン)の定義が議論になっていましたが、ものすごくよくある運動戦術なので、規模や場所や時間の長さなどがバラバラなのは当たり前だろうと思います。ところで、反基地運動であれ、どんな運動においても暴力行為はゆるされない、という声が上がっています。 yoppymodel.hatenablog.com それでは、過去の社会運動における暴力事件を振り返ってみましょう。水俣病運動では、自主交渉派によるチッソ東京本社での1年8ヶ月にわたる座り込みの運動(1971-1973)がありました。かれらの目的はチッソの社長と対話することです。結局、正面からの対話は受け入れられなかったので、自主交渉派は突入部隊を組織して*1社長室を占拠し、膝詰めで社長と話し合いました。その様子は映像で記録されています。その後、自主交渉派は補償協定を結ぶ立役者となります。 水俣一揆-
遅まきながら、高畑勲監督の「かぐや姫の物語」を観た。公開された頃に、サバイバーの友人から「あれはDVとか性暴力の話だ」と聞いていたのだけれど、全くその通りだった。 物語は原作の「かぐや姫」をトレースしている。竹から生まれた姫は、おじいさんとおばあさんに愛されて、野山を駆け回る元気な少女としてすくすくと育っていく。近くの子どもたちと遊び、少年・捨丸に惹かれていく。ところが、おじいさんは「この子を高貴な姫に育てなければならない」という使命感に駆られて、姫を連れて都に引っ越し、教育を受けさせる。姫は野山を恋しがり、おばあさんと庭で草花や虫を育てて心を慰める。ところが、美しい姫の評判は都でも噂になり、求婚者が殺到するようになった。彼女は自分が、ひとりの人間ではなく、珍しい宝物のように陳列され、獲得の競争の賞品になっていることに気づき、ひどく傷つく。意趣返しとして、求婚者たちに無理難題を突きつけると
このブログのはてなブックマークを非表示にしました。私自身のブックマークもプライベートモードに移し、見れないようになっています。実質的にはブックマークの使用をやめました。ブログは続けるつもりです。 私は、はてなダイアリ時代から自分の記事にブックマークをたくさんしていただいてきましたし、私自身も毎日のようにブコメを残したりしていました。ブクマのみでお目にかかる人も多く、やめてしまうのは寂しくはありますが、一区切りにします。ブクマは攻撃的なコメントや、誹謗中傷もあり、嫌な思いもしたのですが、私の場合は全部を振り返るとマイナスよりプラスのほうが多かったです。ブコメを通して、私が自分の態度を見直し、主張を修正するきっかけをたくさんいただきました。これまでありがとうございました。 今後は、これまでの姿勢を変更し、一方的に文章を発信するブログにしたいと思います。このごろはスターをつけていただくことが増え
筑摩書房の柴山さんが、私の本の装丁をTwitterで公開しています。 【お知らせ】 小松原織香さんの『当事者は噓をつく』が1月末に発売となります。 「これこそ私が待っていた一冊である」うれしい推薦文は、信田さよ子さんからいただきました。 ブックデザインは、鈴木成一デザイン室です。 取材依頼等、お待ちしています。https://t.co/mK5nMMIulW pic.twitter.com/0huDgyHJTL — 柴山 浩紀 (@hiromar12) 2022年1月7日 白と赤のインパクトのある装丁で、初めてみた時は「おおっ」となりました。本屋さんで目立ちそうです。 まだ、通販サイトでも書影は出ていないのですが、以下から予約はできます。友人たちが「予約したよ!」と連絡をくれて嬉しかったです。知り合いに自分の過去の話を読んでもらうのはちょっと恥ずかしくもありますが、とてもありがたいです。そし
『映画芸術』に菅孝行の映画評「〈事実〉か〈情緒〉かが問われる (水俣曼荼羅/MINAMATA)」が掲載されていると知り、取り寄せて読んだ。この評では2020年に公開された2本の水俣についての映画を比較している。1本は原一男監督のドキュメンタリー作品「水俣曼荼羅」である。この作品は、水俣病患者やその支援者の裁判や行政との交渉を追い、それぞれが現在、水俣で生きている事実を積み重ねていくことで、観客に今ある問題を突きつけていく。もう1本はアンドリュー・レヴィタス監督の劇映画「MINAMATA」である。これは、写真家であるユージン・スミスとその妻・アイリーンに焦点を当て、水俣病を告発するカタルシスを観客に味あわせる。菅はこの二つの映画の違いはドキュメンタリーか劇映画かだけではないと指摘する。私は菅がこの評において言おうとする両者の違いは、ひとつのストーリーによって情緒によって人々を動かそうとするか
オープンレター「女性差別的な文化を脱するために」が話題になっているようです。私も署名しているので、改めて読み返したのですが、問題点がどこにあるのかわからないので困惑しています。オープンレターは以下で公開されています。 sites.google.com オープンレターは、日本語圏の言説空間において、性差別を指摘する行為をからかったり揶揄する「遊び」の文化があることを指摘しています。そして、そこから距離を取ることを宣言しています。私はこのオープンレターのきっかけとなった、ある歴史学者による差別行為、さらにそれを多くの研究者が加担したり、見て見ぬふりをしたりしていたことに強い衝撃を受けました。以前から書いていますが、私はほぼ衝動的にそれまで使っていたTwitterのアカウントを消しました。自分もその文化の一翼にいたのだろうし、自分自身もそれに加担しているのかもしれないというのは恐怖でしかなかった
id:tyoshikiさんとのやり取りで、ちょっとした発見があったのでメモしておきます。tyoshikiさんは、ネット上で統一教会に対する恐怖心を煽る人はたくさんいるが、自分としてはよく知らないのでわからないと言います。そして、もっと情報発信すべきだと言います。そのなかで、私の記事にも言及があり、読んだけどよくわからないとのコメントがありました。 www.tyoshiki.com 私はこの記事に対して、知りたいのなら実際に紹介した本を読めばいいし、ほかにも書籍はたくさん出版されているというコメントをしました。なぜなら、知らないのであればもっと調べればいいし、ネットでの十分な情報発信がないならば、書籍を読めばいいからです。もちろん、何を読めばいいのか分からない場合もありますが、私は参考文献もあげているのだから、そこから当たってみれば「知る」ことはできると考えました。 ところが予想外にtyos
今回の近況は水俣についてあれこれをまとめて書いています。 ついに日本では映画「MINAMATA」が公開されたようです。海外向けの予告編に字幕がついたものがありましたが、私はこちらの方が国内向けの予告編より好みです。残念ながら、私はベルギーにいるため、まだ観ていいません。今のところ劇場で公開される見込みはないようです。配信やDVDの販売を待っています。 www.youtube.com 映画評論家の中には、水俣の現実が描かれていないと批判する人たちもいるようです。たしかに、これは実話をベースにした作品で、私も聞いた話からですが「そこは史実のままいってほしかった」と思うエピソードも創作されていました。しかしながら、エンターテイメント映画として、ジョニー・デップが主演で、国際的に水俣病の話が世界中の注目を集めるのは本当に意義のあることですし、今こそ環境問題で再検討すべき、「加害者の責任」の問題が可
あるオンライン署名活動*1をきっかけに、統一教会が話題になっている。 私は、統一教会はカルトであり、入会を希望しない限りは決して近づかないほうがいい団体だと考えている。ただし、悪魔化するものよくないと思い、たしか仲正昌樹氏が自分の入信体験を本にしていたと記憶していたので、検索して見つけた。タイトルもストレートな『統一教会と私』である。 統一教会と私 (論創ノンフィクション 006) 作者:仲正昌樹 論創社 Amazon この本は、以前、出版された『Nの肖像』を増補・新装で出版社を変えて出したらしい。 Nの肖像 ― 統一教会で過ごした日々の記憶 作者:仲正 昌樹 双風舎 Amazon 大変面白い本だったが、なんとも言えない。まず、この本で仲正さんは統一教会の教義やシステム、勧誘、信者の活動について明確に説明している。教義については、従来のキリスト教との聖書の解釈の違いがわかりやすく述べられる
ミラノ日本人学校の中学生の、オンライン報告会があったので、許可をいただき視聴するチャンスに恵まれました。ミラノはコロナ渦で厳しい状況におかれた街です。中学生たちも帰国やオンライン授業など、大変な思いをしながら今日まで生活してきたそうです。そのなかで、日本の水俣病について継続して学んできて、今日のプレゼンテーションで英語で発表してくれました。 www.mngitalia.net 中学生たちは、水俣病の概要はもちろんですが、映画「Minamata」、水俣病患者の緒方正実さんや活動家の吉永利夫さんの活動、石牟礼道子の作品、イタリアのVenetoで起きた水質汚染との比較などについて、自分なりの視点から考えを述べました。どれもとても素晴らしくて、研究者の研究課題になるような難しい問題について、「中学生の立場だからできること」をベースに意見を考えていました。とても真摯に水俣病の問題に向き合ってきたこと
インターネットではときどき、地域の「町内会」が話題になる。日本は現在、少子高齢化が進んでいるので、町内会の役員の担い手も減り、若者は参加に消極的になりつつある。また、高齢者が町内会を占有しているという批判もある。次のツイートのまとめは興味深かった。 togetter.com 今後、町内会は滅んでいくだろうという発言に対し、自治に頼らず行政がもっとサービスを強化するべきだという意見もあれば、地域の細かな問題は行政だけではフォローしきれないので、町内会をアップデートし、強化して存続させるべきだという意見もあった。 実は、日本のこうした草の根自治機能は、海外の研究者からは注目を集めているところがある。たとえば、東日本大震災で東北の各地域では消防団が救援にあたった。その後、消防団員の負ったトラウマの問題を考えると簡単に美化はできいないが、地方で防災の役割を自治組織が大きく担っていることは否めない。
衆議院の山花郁夫議員(立憲民主党)が、国会で修復的司法を再検討する提言をしていたことを知った*1。犯罪被害者基本法を議論していた時代に触れながら、以下のように発言している*2。 あの当時は被害者側の視点というのがあらゆる制度の中で欠けているところがあって、刑事訴訟の中でも限定的ですけれども被害者の方が参画できるようになったりとか、あと、法務委員会の所掌じゃないですけれども、犯給法、犯罪被害者給付金支給法等々、そういったものについても議論が盛んでした。また、法務委員会なんかですと修復的司法というのが、当時、司法制度改革とかの議論の中で修復的司法というのが非常に注目されまして、加害者の側と被害者とが向き合って、単に罰するというだけじゃなくて、加害した側にも、更生というか、相手と向き合ってという機会をつくっていくんだというようなことが非常に議論になった、そんな時期ではなかったかと思います。改めて
昨日、ジャンププラスで公開された藤本タツキ「ルックバック」が大きな話題を呼んでいる。作品は無料で読めるし、英語版も同時に公開された。(日本国内からは英語版はアクセスできないようだ) shonenjumpplus.com この作品では、藤野と京本という二人の女の子が中心になって描かれている。漫画を描くことが好きな藤野は、不登校の京本が高い画力をもっていることに打ちのめされる。だが、京本は藤野の漫画を誰よりも愛し、彼女を尊敬していた。二人は共同で漫画を描きはじめ、デビューし、作家として成長していく。京本は美大への進学を決意し、二人は別々の道を歩み始める。ところが、ある日、京本は見知らぬ男に殺されてしまう。 この作品は、明らかに現実に起きたいくつかの殺人事件に着想を得ている。そのひとつが、2019年7月18日に起きた京都アニメーション放火殺人事件であることは間違いないだろう。この事件では、多くの
ずるずると終わらない「はてな村論」ですが、お金の話が出てきて、だいたいの結論は出たと思います。こちらの話の通り、はてなに記事を書いても儲からない。一時期は、商業誌ライターへの登竜門であったこともありましたが、今はnoteのほうが優勢でしょう。本当にただの「ブログを書く場所」が今のはてな村です。才覚ある人々は出ていってしまった。 phenomenon-2.hatenadiary.org ネットで「マネタイズ」という言葉が流行ったのもずいぶん前のことです。いまや、ネットで書くことで金銭を得るのは当たり前のことになりました。出版社が作家の連載を企画し、それが再録されて本になる時代です。私が初めてインターネットに接続したのは1998年ですが、当時は検索ツールもなく、私は何をしていいのかわからないので、なぜか山伏が修行している写真が掲載されているサイトを延々と見ていました。20年でネットは全くの別物
Twitterのスペースで行われた、はてな村についてのトークイベントを聞いていました。 ta-nishi.hatenablog.com みなさん、お話が上手なので楽しく聴きました*1。個人的には白熊( id:p_shirokuma さん)の話が面白かったです。ちょっとイメージ変わりました。途中の「手紙を書く」という話は参加したくて挙手してみたんですが、あててもらえず残念でした。 途中からは、みなさんの話を聴きながら、ネットに限らず、プラットフォーム作りについて考えていました。「顔が見える関係」と「顔を見えない関係」の両面がうまく作動すると、コミュニティが活性化するのでしょう。コロナ渦で、オンラインでのネットワーク化やコミュニティへの新規参加者の包摂について考えることが多かったので、思わぬ収穫を得ました。 Twitterのスペースは、参加の気軽さや「わいわいしている雰囲気」がよく伝わってくる
ここのところ、はてなの衰退の話が出ています。 orangestar.hatenadiary.jp p-shirokuma.hatenadiary.com orangestar.hatenadiary.jp pha.hateblo.jp はてなから人がいなくなっているのは間違いないだろうと思います。最近ではたくさんブックマークがついて、ホットエントリーに入っても、アクセス数はたいして上がらなくなりました。私の知人もほとんどがTwitterに移動しています。なにより、こんなふうに思い出話ばかりで盛り上がるところを見ると、いよいよはてなも黄昏時だなあと思います。 私自身は、はてなのブログはシンプルなデザインで文章を無制限に書けるところが気に入っているので、サービスが終了するまではこのまま使うことでしょう。ただ、もう以前のように頻繁にネット上の議論に参入することはないだろうと思います。 私がはてな
一度きりの大泉の話 作者:萩尾望都 発売日: 2021/04/21 メディア: Kindle版 萩尾望都による、新人漫画家時代の回想録ではあるが、一番のハイライトは同居していた漫画家の竹宮惠子や増山法恵らとの関係を告白的に述べている部分にある。増山の提起する「少年愛の世界」と、それにのめり込んでいく竹宮。そこから距離をとりながらも、彼女たちの交流に刺激を受け、一足早く独自の世界を描く作品として結晶化した萩尾。しかし、そのことは竹宮の嫉妬を招き、萩尾は一方的に彼女たちのコミュニティから追放される。 人間関係としては珍しいものではないし、まとめてしまえば「よくあること」になってしまう。しかし、萩尾はそのときあったことを、自分の「見たこと」と「感じたこと」、その後に与えた影響を丁寧に叙述していく。そして、もう二度と彼女たちの関係は修復し得ないことを宣言している。 客観的に要約すればこういう話だが
ベルギーへ出立する日が近づいていますが、依然として先行きが不透明で気を揉んでいます。もう飛行機のチケットは確定していますし、海外転出届も出しているのですが、出国前のPCR検査で陽性になってしまえば渡航延期になるという、不安な状況です。 他方、受け入れ先のベルギーのルーヴェン・カソリック大学のスタッフとは、緊密に連絡が取れていますし、無事に入国さえできれば、ロックダウン下ではありますが、修復的正義の研究を進めていくことができそうです。朗報としては、英語論文が査読に通り、そろそろ論文誌で公開される予定です。EFRJの環境破壊における修復的正義のワーキンググループの議論も活発で、私としてはアートのアプローチによる実践の可能性を積極的に探求していきたいと思っています。 一年ほど前からこのブログではポツポツと書いてきましたが、私はもともと若いときには文学やアートに関心を持ち、感性の世界で生きている人
セクシュアル・ハラスメントという言葉は、1989年に福岡地裁で始まった訴訟(通称:福岡セクハラ訴訟)をきっかけに、広く知られるようになった。この裁判で弁護団は、福岡の小規模の出版社に勤務する女性が、性的な中傷を受けたことを、性差別によるものであると訴えた*1。また、そのころ「働くことと性差別を考える三多摩の会」がセクハラアンケート調査を実施したところ、全国から多くの女性から、職場で困難な状況に置かれているという声が寄せられた。 女6500人の証言―働く女の胸のうち メディア: ハードカバー 「セクハラ」という言葉は、刑事事件として告発されるようなレイプから、職場での不平等な扱い、性的なからかいや中傷、職場にヌード写真を貼るなどの職場環境の問題、女性だけにお茶汲みなどをやらせるなどの性別に基づく役割の固定化など、多岐にわたっている。つまり、第三者が聞けば、「犯罪だ」「暴力だ」と思うような行為
「シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇」を観てきた。うっかり泣いてしまった。感傷のままに綴っておく。(以下は、ネタバレがあるので閲覧注意) 公開2日目に観てしまった。こんなことをするのは、1997年に公開された劇場版「Air」を観に行ったとき以来だ。私は当時、中学3年生で友人たちと本当に楽しみにして、映画館まで足を運んだ。その最後のシーンで、浜辺で首をしめられているアスカを観て「なんでこんな目に」という辛い気持ちになった。まだ、インターネットのない時代だから、雑誌などの評論記事などを探して読んだが「なんで、アスカは首をしめられねばならかったのか?」が全くわからなかった。その後、大人になって庵野監督が、女性に好意を向けられ、自分もそれに応えようとすることに、耐えがたさを感じているのだろうということは理解した。 新劇場版が始まって、私はエヴァから距離をおいた。庵野監督が、「前のエヴァではダメだ」と
ようやく労働許可・滞在許可が下りたので、ビザが取れました。2021年4月から、ベルギーのルーヴァン・カトリック大学法学部で修復的正義の在外研究を行う予定です。とにかく情勢が不安定ですので、フライトスケジュールの変更のメールが次々と届く状況で「本当に行けるのだろうか」という不安もあるのですが、とにかく一つずつ、手続きを前に進めています。 ルーヴァン・カトリック大学は、修復的正義の研究拠点であるEFRJ *1の事務局があり、国際的な修復的正義の研究者が集まっています*2。私は、初めて、修復的正義の研究者の集う機関に本格的に滞在することになるので、とても楽しみにしています。これまで積み重ねてきた研究を、相対化・精緻化する機会にしたいと思っています。 また、EFRJでは、環境破壊における修復的正義の研究プロジェクトもスタートしており、ワーキンググループ も設置されました。私はそのワーキンググループ
私は「環境と対話」研究会という小さなグループの代表を務めているのですが、このたび報告集である、『環境と対話』第二号を発行いたしました。今回は100ページほどの小冊子となっており、水俣についてのインタビュー調査や英語文献史料の紹介、動物倫理に関するエッセイ、ライフヒストリーを元にした哲学的考察、詩など、多彩な原稿を掲載しています。 冊子は無料ですが、オンラインでは公開しませんので、私が会う人に手配りで広げております。水俣病センター相思社にもお預けしています。また、11月の文学フリマ東京でも、友人の栗田隆子さんに配布いただきます。どこかで手にとっていただければ幸いです。 私はふだんは大学に所属する職業研究者として、苛烈な競争社会を生きています。業績主義のなかで、私自身、予算の獲得や査読付き論文を通すことに、日々、苦心しています。私は決してこういう競争に強いほうではないのですが、適応するべく努力
WAN(Women's Action Network)に、石上卯乃氏によるトランス差別を含む文章が掲載された件で、ここのところネットで議論になっていました。ふぇみ・ぜみ×トランスライツ勉強会は、WANに対して公開質問状を出し、以下のことを指摘しています。 石上氏による当該エッセイは、トランスジェンダーへの差別をフェミニズムの語彙を用いて正当化し、誤った印象操作をするものです。生理などの身体的特徴によって性別が決まるのだと主張して、ミスジェンダリング(誤った性別割り当て)を煽動するとともに、トランスジェンダー排除言説への批判を攻撃と読み替えたり、トランスジェンダー排除派フェミニストを被害者として逆転させたりなどのイメージ操作を行っています。 https://femizemitrans.blogspot.com/2020/08/blog-post.html 以上のように、石上氏の文章がトランス
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