もっと聞いておくべきことがあるのではないか? - 認知症になった夫との日々の記録
FC2ブログ

記事一覧

もっと聞いておくべきことがあるのではないか?

毎度、NHKの朝ドラの話で恐縮ですが・・・

今日の放送の中で、青柳商店の女将さん(常子の祖母)が、知り合いから頼まれて、物資不足の中にも関わらず、その人の家を建てるためのりっぱな木材を集めてやり、ほとんど儲けなしで売る、という場面がありました。

「ああ、こうして建てたりっぱな家も、あと4年もしたら、きっと空襲で焼けてしまうことになるんだろうなあ・・・」

と私は、夫の先輩のTさん(2年前に89歳で鬼籍に入られました)が話してくれた戦時中の体験を思い出していました。

昭和20年5月25日、Tさんは、元同級生のIさんと自分の父親と3人は、学校で行われた優しかった恩師の葬儀に参列していた。
ところが、正午過ぎ、葬儀の最中に、空襲警報が発令されたため、葬儀は中断され、3人は急ぎ徒歩で帰宅したのだった。
その日の深夜、空襲が始まった。
当時、Tさんは、両親と姉と4人で、当時の東京市牛込区の早稲田に住んでいた。
焼夷弾が降る中を、家族とバラバラになりながら、Tさんは逃げ惑い、神田川べりまで来て、そこで疲れ果てて眠ってしまった。
あたりが白々と明けてくる頃、目が覚め、自分の後ろを振り返ってみると、あたり一面真っ黒に焼け野原になっていた。
自分の家はどうなったか、家族はどうしたかと、自宅に向かった。
自宅は焼け落ちていた。
しばらくすると、姉が無事で戻り、両親も戻ってきた。
腹が減ったので、自宅の庭に埋めて隠しておいた米を掘り出した。
そして、焼け落ちた自宅の木材を集めて、火をおこして、米を炊いて食べた。
焼け落ちた家の柱を火にくべると、檜の良い香りがした。
「せっかく、父親がりっぱな檜を集めて建ててくれた家だったのに・・・もったいなかったなあ」

そんなふうにTさんが話しをしていたことを思い出しながら、朝ドラを見ていました。
Tさんの自宅が焼失したのは、いわゆる「山の手空襲」と言われる空襲でした。

ちなみに、一緒に恩師の葬儀に参列したIさんの方は、既に3月10日の大空襲で神田にあった自宅が焼失していたため、牛込区の神楽坂、肴町というところに転居していたそうですが、ここもこの5月25日の空襲で焼けてしまい、再度、転居することになりました。さらに、その後に転居した3度目の住まいもまた空襲に遭ってしまうのですが・・・。

夫とは、機会あるごとに、こうした話をしています。
夫から、もっと聞いておくべきことがあるのではないかと思います。


 にほんブログ村 介護ブログ 認知症へ
にほんブログ村
 にほんブログ村 介護ブログ 在宅介護へ
にほんブログ村




コメント

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

アワキビ

Author:アワキビ
夫と2人暮らし。子どもはいません。
それに現在は猫1匹の家族。
夫、要介護5。アルツハイマー型認知症。生まれつき耳が聞こえない。
父は2018年秋に特養に入所。要介護4。毎週木曜日に実家へ介護タクシーで帰り、2泊3日。土曜日の朝、特養へ帰るという生活も、コロナ禍でずっと特養のみの生活に。特養での看取りも視野に。
母は要介護1で、認知症。弟家族と同居していたが、コロナ禍を期に、我が家に同居することに。記憶障害がだいぶ進んできていて、話したそばから忘れるが、身体は元気。

カレンダー

10 | 2024/11 | 12
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

アクセスカウンター