元ラグビー日本代表 / 神戸製鋼ラグビー部アンバサダー
生年月日 1975年11月11日
出身地 大阪府大阪市
小学校2年生からラグビーを始め、東海大仰星高校に入学しラグビー高校日本代表選出される。
京都産業大学時代にはラグビー日本代表と選出され、卒業後は神戸製鋼へ入社。
2001年にはオーストラリア、翌年はフランスのクラブでプレーし、常に世界を見据えて活動を続けた。
2003~2004年シーズンからはラグビートップリーグの神戸製鋼コベルコスティーラーズに復帰しプロ選手契約を交わす。その後日本代表キャプテンを務め、日本ラグビーの顔的な存在となる。
世界との厚い壁に挑むラグビー日本代表の牽引者として、W杯に2度の出場を果たす。2度のアキレス腱断裂を経験するも不屈の精神は健在で、代表試合トライ数世界新記録を樹立、その記録を69トライまで伸ばす。
さらにはその卓越した運動能力はラグビーに留まらず、スポーツ界全体でも高い評価を受けおり、TBSテレビ系「スポーツマンNO1決定戦」では、他のスポーツ競技の有名選手と競い2度の優勝を成し遂げている。
2010年~2011年のシーズンをもって、ラグビー現役を引退。
現在はラグビーの普及やラグビーを通じた人材育成、またラグビー協会会長である森喜朗元首相と共に2019年に日本で開催されるW杯ラグビーを成功させるべく、メディア、講演等で精力的に活動中である。
また、東海大仰星高校時のクラスメイトには、メジャーリーグで活躍中の上原浩治(テキサスレンジャーズ)と建山義紀(テキサスレンジャーズ)がいる。