音楽プロデューサー・松任谷正隆がゲストのキャリアや内面を紐解き、本人すら気付かない魅力に迫っていくTOKYO FMのラジオ番組「トランスコスモス presents 松任谷正隆の…ちょっと変なこと聞いてもいいですか?」。
今回の放送では、大相撲 元関脇でタレントの豊ノ島大樹(とよのしま・だいき)さんをゲストにお迎えして、関取時代の思い出や現在の仕事について語ってくれました。
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(左から)パーソナリティの松任谷正隆、元大相撲力士の豊ノ島さん
◆最初はサッカー少年だった!?
松任谷:子どものころはサッカーをやられていたんですか?
豊ノ島:そうですね。
松任谷:サッカーから相撲の世界に進むのはすごいですね。
豊ノ島:サッカーは好きで始めて、相撲は体が大きかったので、声をかけられて始めました。小学4年生ぐらいのときに「(サッカーと相撲の)どっちにするか選べ」と父親に言われまして。サッカーもそこそこできたんですけど、相撲のほうが(成績が)伸びていたので、相撲を選びました。
松任谷:相撲は最初から強かったの?
豊ノ島:実は、デビュー戦はわずか1秒で負けてしまって(笑)。最初からめちゃくちゃ強かったわけではなかったんですけど、力をつけていくスピードが早かったみたいですね。
松任谷:正式に部屋に入門するのっていつ頃ですか?
豊ノ島:高校を卒業してからなので18歳です。
松任谷:それって自分から部屋を訪ねていくのですか? それともスカウト?
豊ノ島:僕の場合は声をかけていただきまして。何部屋か(お誘いが)あったんですけど、そのなかから時津風部屋を選んで入門しました。
松任谷:名門ですよね。
◆相撲界の給料事情
松任谷:部屋に入ることが、いわゆる“就職する”ということになるのでしょうか?
豊ノ島:そうですね。
松任谷:初任給は出るんですか?
豊ノ島:相撲界って(幕下以下は)給料が出なくて、主な収入は場所手当になるんです。3月の大阪場所が序の口デビューだったのですが、それに出場していただいたのが7万円でした。
松任谷:いいじゃないですか。
豊ノ島:でも、4月は相撲がないので2ヵ月で7万円なんです。
松任谷:なるほど(笑)。
豊ノ島:とはいえ、相撲部屋に住んでいるので、衣食住は(お金が)かからないんですけど。
松任谷:入門したときは、当然雑魚寝みたいな感じなんですよね?
豊ノ島:そうですね。関取衆が個室で、僕らは大部屋でした。それこそ、入門当時は人数もいて……。
松任谷:どれくらいいましたか?
豊ノ島:20人ぐらいはいたので、大部屋にも入りきらず。詰めれば入るんですけど、やっぱり兄弟子は多少のスペースを取るので、(無理やり詰めると)ぎゅうぎゅうになってしまうので、我々はちゃんこを食べる場所で寝ていました。
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松任谷:“最初は給料が出ない”ということですが、給料が発生するのはどの番付からなのですか?
豊ノ島:関取と呼ばれる十両からですね。
松任谷:最初はいくらぐらいからスタートするんですか?
豊ノ島:序ノ口(一番下の番付)が2ヵ月で7万円、次の序二段で8万円、三段目で10万。
松任谷:スローに上がっていきますね(笑)。
豊ノ島:その次の幕下は15万円なんですけど、十両になると月100万円近くになります。
松任谷:十両になってからが大きいんですね。
豊ノ島:ここがもう(笑)。相撲って、NHKで中継される16時以降に面白くなるイメージがあるじゃないですか。17時半ぐらいから三役が(相撲を)取るみたいな。もちろん、そこが醍醐味だったりするんですけど、自分たちとしては、給料が発生する幕下から十両の取組が特に面白いんですよ(笑)! 一番ごとの取組にかける思いがすごいので。
◆急に襲われた“孤独感”
松任谷:土俵の上ではどのような気持ちだったのでしょうか?
豊ノ島:自分は一度、(平成22年九州場所で)白鵬関と優勝決定戦をさせてもらったことがありまして、その場所は14勝1敗で千秋楽決定戦という場所だったんですけど。10勝1敗ぐらいから、自分に対する周りからの期待とか応援がものすごく重く感じて、花道を入っていくときに急に孤独感を感じたんです。“土俵に上がったら1人じゃん”って思ったんですよね。
松任谷:いい話ですね。
豊ノ島:それまでは調子のいい発言ばかりをしていて、(インタビューでも)「ファンの皆さんの応援が後押しをしてくれます」って言っていたのですが、(優勝を争ううちに)“そういうことではないんだな”というのを感じたんです。
土俵に上がったときの“ワーッ”という歓声もそんなに耳に入ってこないし、(土俵上は)対戦相手と自分だけで“孤独だな”というのをすごく感じました。
◆娘の言葉で一念発起
豊ノ島:その孤独感を抱きながら相撲人生を続けていたのですが、アキレス腱断裂のケガをしてしまいまして。
松任谷:いつ頃ですか?
豊ノ島:孤独感を感じたのが27歳ぐらいで、アキレス腱断裂が32歳のときです。それで番付が下がって、引退も考えました。
松任谷:それは、ケガ以外にも何か理由があった?
豊ノ島:アキレス腱のケガから復帰しかけたところ、今度は肉離れをして(また番付が)下がって……それで心が折れたんですよね。好きでやっていた相撲のことが嫌いになりそうで“それならば辞めよう”と思って。
実際、親方に「もう辞めます」って言いました。でも、その日に当時4歳の娘が自分のところに来て「お相撲、絶対にやめないでね」と言ったんですよ。今日(親方に辞めると)言ったばかりだったから“え?”と思って(笑)。
松任谷:(笑)。
豊ノ島:何か感じ取ったのか、たまたまタイミングが合ったのかは分からないですけど、“娘にこんなことを言われたら……やらなアカンよな!”と気持ちを切り替えました。
でも結局、そこから(関取に復帰するまで)1年ちょっとはかかりました。ただそのあいだも、例えば、娘が僕の似顔絵を描くときに、幕下は普通のちょんまげで、関取は(十両以上が結える)大銀杏で相撲を取るんですけど、娘は大銀杏姿の絵を描くんです。しかも「開いたちょんまげが見たい」ってずっと言うんです。それをなんとか叶えてやりたいと思って。
なので、幕下の西の筆頭から4勝目を勝ち取ったときは、周りに人がいるのにメチャクチャ泣いちゃって(笑)。あの瞬間が一番うれしかったかもしれないですね。
松任谷:いま考えてもよく乗り切れたなと思いますか?
豊ノ島:“相撲って孤独だな”と思っていたのに、(ケガをした後は)“1人だったら何もできなかったな”“(自分は)1人じゃなかったんだな”って。その両極端を経験できたことが、この先にも活きるかどうかは分からないんですけど、いい経験をさせてもらったなと思いました。
◆相撲を卒業しても…
キャリアの終盤は、ケガと向き合うことが増えてしまった豊ノ島さん。大きな復活を遂げたのち、2020年の3月場所を最後に現役を引退しました。その後、親方を務めたのちに2023年1月に日本相撲協会を退職しました。
松任谷:退職という言い方がなんかピンとこないんです。
豊ノ島:自分は“卒業”という言い方をしています(笑)。
松任谷:なるほど(笑)。
豊ノ島:もちろん、日本相撲協会にはお世話になりましたし、自分の人生において相撲は欠かせないものなので、辞めてからも何かしらの形で相撲界をもっと盛り上げていきたいと思っています。
松任谷:今はどんな毎日ですか?
豊ノ島:楽しいは楽しいです(笑)。例えば、“7月に東京にいる”という感覚がないんです。7月はずっと名古屋場所があったので。
松任谷:そうか!
豊ノ島:“3月の東京ってこんな感じなんだ”とか(笑)、そういうのを肌で感じられて楽しいですね。
番組では他にも、趣味のゴルフや、元アスリートとの交友関係などについて語る場面もありました。
<番組概要>
番組名:トランスコスモス presents 松任谷正隆の…ちょっと変なこと聞いてもいいですか?
放送日時:毎週金曜17:30~17:55