気づきが今、光と愛に・・・
2011年 10月 18日
光となって、響きました。
とっても素敵な、でも当たり前の日常の中の気づきに
彼女がその気持ちをシェアしてくれた時、
そこにいた皆の心が温かくなって、
こういう気持ちをシェアするのって本当に大切な体験なんだなあ、
素晴らしいなあという気持ちと、
私自身も同じように感じたことなので、
その方からご了承頂いたので、
ブログを読んでいる皆さんともシェアできるように、
少しブログに書いてみようかと思いました。
彼女は10年前、世界貿易センタービルの事故でご主人を突然亡くしました。
その後の彼女の哀しみは、本当に辛いものだったと思います。
その頃しばらくは、たとえばバスの中で、幸せなカップルを目にすると
「ああ、私もそちらの方にいたはずなのに・・・」
そして愛する人は今ここにいないという哀しみで、幸せなカップルに対して
良い感情を持つことはなかったと話していました。
でも時間を経て、亡くなった人も見えないないけれど近くにいるという意識や、
様々な体験と、精神的な成長を経て、彼女は同じような状況を目にした時、
以前のような哀しみに包まれることはなく、
むしろその同じように仲良くしているカップルを目にした時、
彼らへの祝福を送っている意識に気づいたそうです。
それは、決して奇跡ではなく、あ~という大きな感動でなく、
ただ心をゆっくりと温かくしてくれる気づきの中の意識だったそうです。
同じ日常の暮している中で、
ただ、自分の意識が変わっただけのこと。
でもその意識が変わることで、
こんなにも温かく、優しく満たされている。
全く同じ景色でありながら、意識が変わったのなら、
感動と喜びを与えてくれるものとなる。
そんな気持ちを彼女のゆったりと紡ぐ言葉を通して伝えられた時、
私たちに輝く光と愛が、確実にそして水面に落とされた小石のように、
ずっと先まで輪のような波紋になって届いていくのでした。
私もこのお話を聞いた前日に、ある感動を体験していました。
その日はKIJXの最後のお料理実習があったクラスの後で、
クラスの後のキッチンの片付けに、少々うんざりした気持ちがあったのでした。
この日はできたら陶芸工房にいっておかなければならない用事があったので、
早く片付けて行かなくちゃという気持ちがありましたが、
なんだかこうしなければならないとか、急がなくてはいけないという意識が
面倒になってきて、
「もう行かなくてもいいし、どちらでもいいや!」という意識に代わり、
そして洗い流しをする時に、少し瞑想するような意識で
やらなければならないと思わず、取りかかってみることにしたのでした。
すると意識の中に焦りがなくなって、ゆったりとした気持ちになって、
片付けはいつもより楽に、優雅に、そして早く終わったのでした。
ちょっと驚いたことでした。
意識が変わるだけで、物事の速度や対応もかわるものだなあと実感し、
そして陶芸工房に行ってみる気になりました。
最近女子力アップ中の私は、なぜかいつも陶芸に行く時は
カジュアルな汚れてもいいようなそういう服装で出かけるのに、
そうでなくて、ブーツをはいて、自分なりのおしゃれをして出かけていきました。
陶芸工房に着いたのは4時半過ぎていたので、
いつもなら、一緒に窯焼きした仲間はいないはずでした。
でもこの日はまだ釉薬をかけていたりして、工房に残っていました。
一人でないことに驚いたし、素焼きができている猫マグをみると
たいてい80%が成功率なので、1個か2個かけたり、不具合があるものなのに、
全部きれいに焼き上がっていました。
すごく嬉しくて、仲間からもよかったねと言ってもらえることが
本当に有難いなあと感じて、
「ああ、今日は陶芸工房にこれてよかったな。」と思いました。
そして仲間と一緒に陶芸の作業をすることができました。
おしゃれしてきた私をみて、「どこかに行くみたいにオシャレにしていて素敵ね」
などと、コメントされて照れながらも嬉しかったり・・・
そして、これは奇跡ではなくて、日常にある偶然のよかったことみたいな小さな事です。
でも意識が変わっていると、これらのことが本当にとても有難いと感じるのです。
そして感謝の気持ちになって、温かい気持ちで優雅に仕事が片付いて行くのです。
私はこの陶芸工房にもう7年か8年くらい通っていると思います。
この工房の同じ場所で、様々な体験をしてきました。
先ほどの彼女のように、夫を亡くした私は、
その工房で皆が元気に作陶している時、心がまだ痛くて、開いていない時は
本当に皆が同じように今交わしている言葉の中にも、不満とか恐れとか、
憤りなどを感じていました。
色々なエゴが、「あ~みんなはいいよなあ。私は...」と感じて、
同じ工房の同じ場所で幸せではありませんでした。
そういう時は、作陶もうまくいきませんでしたし、
亡き主人の骨壷をつくろと決めて、哀しい作業をしたこともあったので、
本当にここで色々な感情とエゴと向き合ってきたように思います。
そしてこの今は、穏やかな気持ちで、まだこうして陶芸を続けていられることに
感動し、そして同じ作業でもとても愛おしい気持ちになって、
丁寧な気持ちがこもっていくのでした。
そうすると全てのことがうまく行って、思っていたよりずっと早く終わって、
そして、この日は駅まで工房仲間が送ってくれてと、
奇跡のような一日だったのでした。
それは本当に自分の意識が変わっているだけのこと。
でもこれは本当に大切なこと。
それを実感できた自分にもすごく嬉しいし、
今一人でいても温かい気持ちになっている。
そんな素敵な一日を贈り物として頂いたような気持ち...
でもこの日常の表面的な体験は何一つ変わっていないのです。
陶芸に行き、仕事をしてきただけのこと、
どこか素晴らしい場所に行ったのでもないし、
珍しいことや違う人にあったことでもない。
でも自分の中に、こうした意識があると、全ての日常の出来事に
感謝と愛があふれること。
それに今とても感動している自分に「ありがとう」と言えること。
そんな気づきを強くしっかりと、そしてぎゅ~っと体験させてくれるのは、
私が皆さんとその意識を、体験をシェアできるということ。
そんな意識をくれたのも、先ほどの彼女が私にシェアしてくれたから...
今優しい光が私を包んでいます。
皆さんの愛の光も感じています。