チュニジアで開催されたTJASSST2017が無事終了し、帰国の報告と一緒にいただいたものがこちらです。
シンポジウムに参加されたリビアの方より、リビア産デーツと飾り物です。
デーツはどっさり1Kg入り。
リビアに何度か足を運んだことのある上山助教によりますと、定番土産らしく、リビアの空港では山積みの箱入りデーツが並んでいるとのことです。
チュニジアで開催されたTJASSST2017が無事終了し、帰国の報告と一緒にいただいたものがこちらです。
シンポジウムに参加されたリビアの方より、リビア産デーツと飾り物です。
デーツはどっさり1Kg入り。
リビアに何度か足を運んだことのある上山助教によりますと、定番土産らしく、リビアの空港では山積みの箱入りデーツが並んでいるとのことです。
当センター上山一助教の「リビア経済と石油部門の動向」が季刊アラブに掲載されております。
色々な記事が掲載されていて非常に面白いですのでご興味のある方は是非ご覧ください。
上山助教のコラムが季刊「アラブ」に掲載されています はコメントを受け付けていません
カテゴリー: 04 メディアでの紹介, 83 リビア
去る2017年4月4日に、Arab・Japan・Day(アラブ・ジャパン・デー)レセプションが帝国ホテル東京で開催されました。
北アフリカ研究センターからは、センター長の中嶋教授、礒田教授、上山助教が参加し、アラブ各国の大使館関係者等と交流をしました。当日は、安倍首相の挨拶もありました。
MENA Week は筑波大生を中心としたMENA(Middle East andNorth Africa)地域の文化紹介イベントです。
約一週間にわたり、料理や音楽、ファッションなど、MENA地域の様々な文化を体験できるイベントを開催しています。
詳細は下記のホームページをご覧ください。
MENA WEEK 2016
本センター(ARENA)は、地中海からサハラ砂漠にいたるエジプト、リビア、チュニジア、アルジェリア、モロッコ及びモーリタニアの国々を対象として、北アフリカ地域がもつユニークで多様な可能性及び我が国の進んだ科学技術とを有機的に連携させ、文理融合型の総合研究を推進することを目的として、平成16年に設立され、昨年、設立10周年を迎えました。これを機に、これまでのARENAでの研究成果と今後の展望を広く学内外、国内外に発信するため、10周年記念事業の一環として、Nova Science Publisher社から論文集「Sustainable North African Society: Exploring Seeds and Resources for Innovation」を刊行しました。
概要:
2014年8月20日(水曜日)、リビア大使館からMohamed M. O. MELAD 臨時代理大使が北アフリカ研究センターを表敬訪問されました。今後の教育・学術交流のあり方や日本の役割が期待される研究分野(水環境技術、太陽光発電技術等)での交流促進について、意見交換が行われました。また、この度の表敬訪問に合わせて、リビア大使館より弊センターにリビア関連のアラビア語書籍11冊が寄贈されました。これに対して、礒田センター長より、謝意が示されました。
(リビア大使館より、ご寄贈頂いた書籍の日本語名)
去る2014年2月7日、筑波大学大学会館国際会議室において、北アフリカ研究センター特別セミナー「北アフリカ・地中海地域におけるシーズ開発によるイノベーション拠点の確立」(主催:筑波大学北アフリカ研究センター、後援:アルジェリア大使館・エジプト大使館、フランス大使館、ヨルダン大使館、リビア大使館、モロッコ大使館、チュニジア大使館) が開催されました。本セミナーには、基調講演者としてJST(独立行政法人科学技術振興機構)顧問、講演者として7か国からの研究者、来賓として7か国の駐日大使館関係者や元駐北アフリカ・地中海諸国日本大使の方々においでいただきました。また、放送大学学園理事長、JIRCAS(独立行政法人国際農林水産業研究センター)監事、NIMS(独立行政法人物質・材料研究機構)監査をはじめとする研究機関の方々、アサヒグループホールディングス、リコー、北海道フード特区機構等の企業の方々、NHK、日本経済新聞といったメディアの方々、そして本学の副学長、病院長、教職員、学生を合わせ、総計116名の方々にご参加いただきました。
<プログラム>
開会挨拶: 永田恭介 筑波大学長
来賓挨拶:
シド・アリ・ケトランジェ大使(アルジェリア)
サミール・アルール大使(モロッコ)
ディマイ・ハダッド大使(ヨルダン)
ファルハッド・クリフ大使(チュニジア)
モハメド・M・O・ミラード臨時代理大使(リビア)
モハメド ・エルシャルカウィ文化参事官(エジプト)
ベルトゥラン・フォール文化参事官(フランス)
基調講演:
相澤益男 独立行政法人科学技術振興機構顧問
前 内閣府総合科学技術会議常勤議員
元 東京工業大学長による基調講演
講演:
サイード・ワタール ハッサンII世農獣医大学長(モロッコ)
アブドゥッラー・I・フサイン・マルカウィ ヨルダン科学技術大学長(ヨルダン)
ベレズーグ・ベルグメン サイダ大学長(アルジェリア)
アリ・ムティラウィ スース大学医学部長(チュニジア)
アラア・エル=サーデク アラブ世界若手研究者協会長(エジプト)
ハテム・ムフタフ ザウィア大学工学部長(リビア)
ピエール・ブロン ボルドー政治学院教授(フランス)
閉会挨拶:
サラーフ・ハンナシ元チュニジア大使
礒田博子 北アフリカ研究センター長
(司会:北アフリカ研究センター 岩崎真紀 助教)
各機関の活動の現状と課題や各研究分野における研究状況、日本及び北アフリカ・地中海諸国との交流状況や展望等についての講演がなされると、会場では活発な議論がなされました。
セミナーに先立ち、7か国からの招聘者とともに、それぞれの出身国の駐日大使を表敬訪問いたしました。また、セミナー当日の午前中には、チュニジア大使、フランス大使館文化参事官がそれぞれ本学の永田学長と会談を行いました。また、チュニジア大使と本学に留学中のチュニジア人学生との昼食懇談会も開催されました。本懇談会ではチュニジア大使館よりチュニジア料理が供され、留学生たちは母国の料理を大変喜んでいました。また、大使と学生のあいだでは、活発な意見交換も交わされました。
セミナー終了後は、2日間にわたりスタディ・ツアーを催行し、招聘者に日本の製造技術や伝統文化の現場を紹介しました。
2014年は北アフリカ研究センター設立10年目にあたります。それにともない、弊センターでは、本年度から来年度にかけて一連の記念行事を予定しております。本セミナーはその一環として開催されました。また、本セミナーは筑波大学40+101周年記念冠事業としても認定されております。本セミナーで得られた今後の教育研究活動の指針をもとに、北アフリカ研究センターは今後一層北アフリカ・地中海諸国との学術交流の発展に寄与することを目指します。
2013年11月12日(火)、大学会館・特別会議室でグローバルコモンズ機構、留学生センター、人文社会系グローバル人材育成教育プログラム主催の「2013 海外留学フェア」が開催されました。北アフリカ研究センター(ARENA)は北アフリカ・地中海事務所(CANMRE)、海外大学共同利用事務所(BUTUJ)と共同で出展し、来場した学生に北アフリカ・地中海地域の協定校や短期研修プログラムに関する留学情報を提供しました。
北アフリカ・地中海地域ブースには各協定校の連絡調整責任者の教員が顔をそろえ留学を志望する学生の疑問・質問に答えました。その他、今夏にチュニジアのブルギバスクールでの短期研修プログラムに参加した学生も駆けつけ、同校の留学体験を後輩たちに熱心に語ってくれたほか、協定校であるアインシャムス大学から短期留学しているエジプト人留学生が多くの写真を用いて母国や母校の魅力を紹介しました。
また、セミナースピーカーとして来学した駐日米国大使館副領事のピーター・デイビス氏が当ブースを訪れ、以前の赴任国であったチュニジアの話に花を咲かせる一幕もありました。
ブースにはほぼ終日客足が途絶えることなく合計で23名の学生や教職員が訪れ、改めて同地域への関心の高さを感じる一日となりました。
2013年9月4日(水)、リビア経済開発委員会一行が北アフリカ研究センターを訪問されました。同委員会はリビアに建設予定のサイエンス・テクノロジーパークの計画に携わっており、北アフリカ研究センターの礒田博子センター長、柏木健一副センター長、入江光輝准教授、及び北アフリカ・地中海事務所の森尾貴広所長、国際企画課の石野隆志課長らと意見交換を行いました。
現在調査のため12月にリビアに滞在した北アフリカ研究センター(ARENA)所属の上山一研究員からの現地レポート(最終回)を掲載します。
12月22日夜、セブハからトリポリに戻りました。本レポートでは、トリポリ市内の様子と昨今のリビアをめぐる状況について報告します。
(1) 12月24日、リビアは61回目の独立記念日を迎えた。現地テレビ局の中継は、殉教者広場で行われていた独立記念式典の様子を放送していた。記念式典が行われていた殉教者広場を訪れてみた。殉教者広場周辺は、独立記念を祝う人びとで賑わっていた。広場には治安部隊に加え、重装備の軍人が警備しており、周辺ビルの屋上には銃を持った軍人が多く配置されていた。この日、殉教者広場で行われていた記念式典には、ゼイダーン首相、マガリエフ国民会議議長、陸軍・海軍・空軍のトップが出席していた。広場周辺では、軍事パレードが行われ、内戦中に利用された対戦車砲や機関銃を積んだピックアップ・トラックが走り、軍用機・戦闘機が上空を何度となく旋回していた。カザフィー政権からの解放が実現し、リビア国民は改めて自由な社会の到来を喜でいる、といった印象を持った。その一方で、国軍が前面に出た式典であったとの印象も受けた。リビア政府は、民兵組織の国軍への統合を進めているが、民兵組織同士の対立や軍内部の権力闘争もあり、政府は各地の民兵組織の処遇に苦慮している、という話を耳にする。(写真1、写真2、写真3、写真4、写真5)
(2) リビアの主要産業は石油産業であり、石油部門の対実質GDP構成比は政変前の2007年時点で53.5%にも上る。湾岸・アラブ産油国と比べてみても、石油部門への依存度は顕著であり、この傾向は年々強まっている。リビアの人口は642万人(2009年のIMF推定値)であり、1人当たりGDPは12,300米ドル(2010年のIMF推定値)、2005年から2010年までの年平均実質GDP成長率は約5%を記録している 。内戦中、油田への攻撃や石油関連施設の破壊によって石油生産・積み出しがストップし、石油産業は打撃を被った。しかし、内戦終了後、急速にプラントのリハビリテーション・再稼働が進んだことで、石油生産は政変前の水準に戻りつつある。(写真6)
あるリビア人と話したとき、公共インフラのことが話題になった。カザフィー政権時代、政府は公共インフラの整備に多くの資金を費やしたとアナウンスしていたが、現実には、インフラの整備も不十分であり、石油からの富が社会の発展のために有効に利用されたといった実感を持てなかった、と言っていた。石油収入をどのように国家のために利用し、どうのように国民に配分し、信頼される政府をどう作り上げて行くかは、新政権にとっての重たい課題となりそうだ。
リビアには、石油産業以外にも有望な産業がある。その一つが観光業であり、国内では貴重な自然遺産・歴史遺産を見ることができ、五カ所の世界遺産がある。こうした観光資源の活用は、リビア経済の発展や産業の多角化にとっても重要と考えられる。(観光資源:写真7、写真8、写真9、写真10)
日本との関わりでいうと、トヨタ社が、2010年に、住友商事の出資により、リビアに代理店を設立した。現地紙の報道によると、トヨタ社は、2012年11月末から、トリポリタニア東部ミスラータのフリーゾーンにて自動車技術者を目指す若きリビア人を対象に訓練プログラムを実施しているという。こうした訓練プログラムは、ミスラータの他に、トリポリやベンガジでも行われる予定のようだ。日本とリビア、産業界における両国の接点は少ないものの、こうした草の根の人材交流を通じたネットワークの構築によって両国における経済連携の深化が期待される。
(3) 今、リビア政府に付きつけられている最重要課題のひとつとして、国内の治安回復が挙げられる。個人的な印象では、首都トリポリやリビア北西部のザーウィヤ周辺については、治安状況は比較的良好に思われる。ただし、リビア全体を見ると、地中海沿岸地域ではミスラータ以東、砂漠地域ではチャド・ニジェール・アルジェリア・エジプト・スーダン国境地帯、局地的には西部バニ・ワリードや東部ベンガジといった地域では、治安情勢は安定しておらず、部族間の衝突、旧政権関係者による攻撃または旧政権関係者への報復攻撃といった事件が起きている。とりわけ、ベンガジでは治安機関への襲撃が相次いでいる。
トリポリ市内を歩いていたとき、ある看板を目にした。この看板には、英語で「We want to know the truth」と書かれており、軍人らしき数人の人物の写真が載っていた。看板の前面に出ていた人物は旧カザフィー政権で公安書記(内務大臣)を務め、内乱が起きた直後にカザフィー政権を離反し、反体制派に合流したアブドゥル・ファターハ・ユーニス少将であった。彼は、カザフィー中尉と同志たち自由将校団が起こした1969年9月のアル=ファーティハ革命に参加し、カザフィー氏の側近として長く政権中枢部で活躍してきた。ユーニス少将は、カザフィー政権を離反したのち、反体制派軍事委員会の最高司令官に就いた。しかし、2011年7月28日に何者かに殺害され、従者と共にベンガジの郊外で発見された。事件直後、旧政権関係者や旧国民評議会関係者による暗殺といった見方が広がっていた。その後、犯行グループが特定されないままになっていた。2012年12月に入り、事態は急展開し、ベンガジの軍検察は旧国民評議会のアブドゥル・ジャリル元議長が一連の事件に関わっていたとして、軍法裁判所に訴追することを要求した。このような背景には、リビア東部でユーニス少将が属したアバイダートと呼ばれる有力部族が捜査再開・犯人特定を求め、政府や軍への圧力を強めたことが挙げられる。ベンガジでのアメリカ総領事館襲撃事件は例外として、国内では、外国人への攻撃・誘拐といった事件は珍しく、むしろ部族間の衝突に加えて、治安機関への攻撃や治安機関幹部を狙った暗殺事件が頻発している。国民和解に至るまでには一定の時間を要すると思われる。(写真11)
《終り》
2013年1月25日(金曜日)、中嶋センター長が駐日リビア大使館を表敬訪問し、Ahmed A. S. OWN 臨時代理大使と会談しました。中嶋センター長より、北アフリカ研究センターの活動や北アフリカ諸国との学術交流について説明が行われました。また、アルジェリア南東部アインアメナスにある天然ガス精製プラントで起きた襲撃・人質事件にも話が及びました。Ahmed A. S. OWN 臨時代理大使は、事件に巻き込まれた日本人が犠牲者になったことについて哀悼の意を示しました。
DIRECTOR of ARENA VISITED EMBASSY of LIBYA in TOKYO-Japan
On 25th January 2012, Director of ARENA Dr. Nakajima made a courtesy call on Embassy of Libya in Tokyo-Japan and talked with Mr. Ahmed A. S. OWN Minister Plenipotentiary. Dr. Nakajima explained to Mr. Ahmed A. S. OWN about ARENA’s latest activity and academic exchange and research cooperation with North African countries. Also, Mr. Ahmed A. S. OWN referred to the four-day siege and hostage crisis taken place at the Ain Amenas natural gas refinery plant and housing complex in southeastern Algeria. Mr. Ahmed A. S. OWN mourned for the Japanese victims in the crisis.
現在調査のため12月にリビアに滞在した北アフリカ研究センター(ARENA)所属の上山一研究員からの現地レポートを掲載します。
12月19日から4日間の日程でトリポリから約650キロ南・リビア南西部に位置するセブハ (Sebha) を訪れました。セブハ滞在の目的は、セブハ大学に訪問し、リビアでの今後の学術調査への協力をお願いするためです。本レポートでは、セブハ市内の様子を中心に報告します。
(1) 19日朝、トリポリから空路セブハに移動し、午前中の早い時間に現地に到着する予定であった。リビアには、航空会社が3社あり、国営のリビア航空とアフリキーヤ航空、そしてリビア初の民間航空会社であるブラーク航空がある。トリポリ‐セブハ間には、これら全ての航空会社が就航している。今回は、リビア航空を選択したが、出発時間の午前8時を過ぎてもセブハ行きのチェックインが始まる気配はない。出発時間から約2時間遅れで、チェックインが始まり、出発ゲートに通されたものの、今度はこの便のみ一向に搭乗を開始しない。午後になり、私を含めて乗客たちは出発ゲートで暇を持て余していたが、ひたすら搭乗開始のアナウンスを待っていた。そのうち、乗客と航空会社の職員との間でも激しい口論となったが、何とか騒ぎは収まった。午後5時半頃、6時台発のセブハ行、ブラーク航空便の搭乗案内が始まった。さすがにこのときは、乗客の不満も頂点に達したが、その時、リビア航空の空港職員より間もなく搭乗開始との案内があり、午後7時頃にやっとのことでセブハに向けて飛び立つことができた。リビア航空、フライトの遅延には定評があるようだが、これ程遅れることはめったにないようだ。1時間程で、セブハ国際空港に到着した。空港では、セブハ大学の先生による出迎えを受けた。
(2) リビアは、北西部のトリポリタニア地方、南西部のフェザーン地方、北東部と南東部のキレナイカ地方に大きく分かれ、セブハはフェザーン地方最大の都市であり、サハラ地域への玄関口にあたる。また、セブハは故カザフィー氏が中学時代を過ごした街として知られている。2011年2月に始まったリビアでの政変以降、セブハが新政権によって制圧されたのは2011年9月下旬頃であった。その後も部族間の小競合いが散発的に起きているようであるが、最近ではその数は減っているようだ。(写真1)
(3) セブハを初めて訪れたが、内戦中に破壊された施設はトリポリに比べて少ないように感じられた。ただ、政変前に営業していたホテルのほとんどが、内戦中に破壊・略奪に遭い、滞在中に営業を行っているホテルは市内中心部で1軒のみと聞いた。また、セブハに滞在中、毎晩ではなかったが銃声が聞こえた。夜中に外出することはなかったが、現地の人によると、週末には結婚式が行われることが多く、その際には祝砲を挙げることがあるのだ、との説明を受けたのだが、夜に聞こえた銃声は銃の回収が不十分であることを物語っており、恐ろしくも感じた。(写真2、写真3)
また、セブハには、故カザフィー氏が中学時代に暮らしていた家(参照写真:http://photos.wikimapia.org/p/00/02/96/85/79_full.jpg)があることを記憶していた。現在どうなっているのか気になり、その場所を訪れてみた。しかし、ロータリー内にあった家は跡形もなくなっており、更地になっていた。セブハが反カザフィー政権派の国民評議会によって制圧された後、家は破壊されたそうだ。(写真4)
(4) 筑波大学と学術交流協定を締結しているセブハ大学本部を訪問した。同大学は、セブハの他に、ムルズク(セブハの南約140キロ)、ブラーク(同北約70キロ)、ガート(同南西約500キロ)、そしてウバリ(同西約175キロ)にもキャンパスを持つ。今回、同大学の副学長と国際協力担当の先生にお会いし、意見交換をおこなった。こちらからは、今後の学術調査に対する協力をお願いした。先方からは、筑波大学との間の学生及び研究者の交流を促進したいとの申し出があった。(写真5)
(5) セブハは、オアシス都市であり、交通の要衝でもあることから、人通りは多い。また、街なかでは、シャーシ (ashaersh) と呼ばれる布で頭と顔を覆ったトゥアレグの人びとをしばしば見かける。この他、近隣のサハラ・サヘル地域から国境を越えやってきた出稼ぎ労働者やアラブ人の労働者も見かける。出稼ぎ労働者の一部は商店、工場、農場で働いている。ただ、出稼ぎ労働者の中には違法に入国した者やこれといって手に職がない者もおり、こうした人びとの多くは日雇いなどで生計を立てざるを得ない現状がある。トリポリ同様に、セブハ市内でも、工具を手に、人通りのあるロータリーや道端に立っている人びとをしばしば見かけた。セブハ大学の先生に伺ったところ、セブハには、こうした労働者を吸収し、彼らに十分な雇用機会を与えるだけの経済的な余裕はない、と聞いたが、出稼ぎ労働者が置かれた状況は、政変以後も大きな変化はなかったようだ。(写真6、写真7)
《リビア・レポート(3)に続く》
現在調査のため12月にリビアに滞在した北アフリカ研究センター(ARENA)所属の上山一研究員からの現地レポートを掲載します。
今回、リビアの経済状況や銀行部門の実態を調査するため、2012年12月16日から12月28日までの13日間の日程で、リビアを訪問しました。私自身、リビアにはカザフィー政権崩壊後初めて、そして2009年10月以来、約3年ぶり、8度目の訪問となりました。
本レポートでは、2011年に起きたリビアでの政変・内戦以後のトリポリ市内の変化を中心に報告します。
(1) 2012年12月16日の昼、トリポリ国際空港に到着。入国審査に進んだが、ふと、「Partners, not Wage Workers」と書かれたサインボードが以前に入国審査場左側の天井に掲げられていたのを思い出した。しかし、そのサインボードは既に撤去されていた。サインボードにあったスローガン、トリポリ国際空港を利用するたびに気になっていた言葉であった。実は、このスローガン、2011年10月に殺害されたリビアの元最高指導者カザフィー氏の著書「緑の書」の記述に基づくものであり、彼が好んで用いた言葉であった。個人的には、カザフィー時代の終わりを改めて印象づける瞬間であった。トリポリ国際空港のターミナルは、シリアのダマスカス国際空港を思わせ、古びている。現ターミナルの東側では新たなターミナルの建設が進んでいるものの、政変の影響もあって作業は遅れているようだ。(写真1、写真2)
(2) トリポリ市内に到着後、旧市街近くの「殉教者の広場」(1969年からカザフィー政権の崩壊までは、「緑の広場」と呼ばれた)を訪れました。平日とあって、人どおりは少なく、また以前の様子とほぼ変わりませんでした。強いて言えば、カザフィー政権時代の国旗であった緑の旗や故カザフィー氏の肖像画が無くなったこと。(写真3、写真4、写真5)
(3) トリポリ市内に滞在中、何度か市内を散策したが、NATOによる空爆の対象となった故カザフィー氏の居住区であったバアブ・アル=アズィーズィーヤは完全に破壊されており、また市内各所に内戦中にNATOや反体制派による攻撃対象とななった政府関係機関や元政権関係者宅を見ることができる。(写真6、写真7、写真8)
また、市内各所に見られた故カザフィー氏の肖像画やカザフィー政権時代に造られた「緑の書」のモニュメントも撤去されていた。(写真9、写真10、写真11)
《リビア・レポート(2)に続く》
2012年6月15日(金曜日)、中嶋センター長が在京リビア大使館を表敬訪問し、Ahmed A. S. OWN 臨時代理大使と会談しました。会談は終始和やかな雰囲気で行われ、臨時代理大使とセンター長は今後の両国における学術交流の在り方について話し合いを行いました。中嶋センター長より、本学および北アフリカ研究センターの国際化に向けた取り組みや今後予定されているリビアでの学術調査について説明が行われました。
ARENA・CANMRE・BUTUJ特別セミナー「伝統と歴史の国・リビア」(講師 西ヶ廣渉リビア大使)を開催しました。
TJCST2004 Sfax Hotel + Lybia訪問(2004年5月21日~6月2日)
速報つくば2004年13号(1082巻)、3-4頁(sokuho040707)に記事が掲載されています。