現在調査のため12月にリビアに滞在した北アフリカ研究センター(ARENA)所属の上山一研究員からの現地レポートを掲載します。
今回、リビアの経済状況や銀行部門の実態を調査するため、2012年12月16日から12月28日までの13日間の日程で、リビアを訪問しました。私自身、リビアにはカザフィー政権崩壊後初めて、そして2009年10月以来、約3年ぶり、8度目の訪問となりました。
本レポートでは、2011年に起きたリビアでの政変・内戦以後のトリポリ市内の変化を中心に報告します。
(1) 2012年12月16日の昼、トリポリ国際空港に到着。入国審査に進んだが、ふと、「Partners, not Wage Workers」と書かれたサインボードが以前に入国審査場左側の天井に掲げられていたのを思い出した。しかし、そのサインボードは既に撤去されていた。サインボードにあったスローガン、トリポリ国際空港を利用するたびに気になっていた言葉であった。実は、このスローガン、2011年10月に殺害されたリビアの元最高指導者カザフィー氏の著書「緑の書」の記述に基づくものであり、彼が好んで用いた言葉であった。個人的には、カザフィー時代の終わりを改めて印象づける瞬間であった。トリポリ国際空港のターミナルは、シリアのダマスカス国際空港を思わせ、古びている。現ターミナルの東側では新たなターミナルの建設が進んでいるものの、政変の影響もあって作業は遅れているようだ。(写真1、写真2)
(2) トリポリ市内に到着後、旧市街近くの「殉教者の広場」(1969年からカザフィー政権の崩壊までは、「緑の広場」と呼ばれた)を訪れました。平日とあって、人どおりは少なく、また以前の様子とほぼ変わりませんでした。強いて言えば、カザフィー政権時代の国旗であった緑の旗や故カザフィー氏の肖像画が無くなったこと。(写真3、写真4、写真5)
(3) トリポリ市内に滞在中、何度か市内を散策したが、NATOによる空爆の対象となった故カザフィー氏の居住区であったバアブ・アル=アズィーズィーヤは完全に破壊されており、また市内各所に内戦中にNATOや反体制派による攻撃対象とななった政府関係機関や元政権関係者宅を見ることができる。(写真6、写真7、写真8)
また、市内各所に見られた故カザフィー氏の肖像画やカザフィー政権時代に造られた「緑の書」のモニュメントも撤去されていた。(写真9、写真10、写真11)
《リビア・レポート(2)に続く》