声聴館 – 東京藝術大学 未来創造継承センター 大学史史料室
鬼頭 恭一
草川 宏
葛原 守
村野 弘二
※MacOSのSafariでは正常に表示されない場合があります。
Safari以外のブラウザでご覧ください
戦時音楽学生Webアーカイブズ
大正11[1922]年6月10日〜昭和20[1945]年7月29日
愛知県に生まれる。昭和17(1942)年4月東京音楽学校予科に入学し、翌18年4月本科作曲部に進む。同年11月15日仮卒業となり、12月10日大竹海兵団に入団。三重、築城(ついき)、神町(じんまち)の各航空隊を経て、霞ヶ浦海軍航空隊の配属となり、昭和20(1945)年7月29日、開発中の日本初の液体燃料ロケット戦闘機「秋水」の練習機での飛行訓練中の事故により殉職した。
「声聴館」
大正10[1921]年10月28日〜昭和20[1945]年6月2日
東京生まれ。昭和15(1940)年4月東京音楽学校予科入学。翌年4月本科作曲部に進む。同18年9月の卒業演奏会では卒業作品《奏鳴曲イ長調》を先輩の大島正泰が演奏。研究科在学中の同19年6月15日、自宅に近い世田谷東部第十二部隊に入隊、同年10月30日に広島を発ち、フィリピン・ルソン島に向かう。昭和20年6月2日、バギオの北50キロ付近のボントック街道にて戦死した。
大正11[1922]年10月22日〜昭和20[1945]年4月12日
東京府に生まれる。昭和15(1940)年4月東京音楽学校予科に入学し、翌16年4月本科器楽部に進みピアノを専攻した。同18年9月に繰上げ卒業となり、卒業演奏会ではショパン《幻想曲ヘ短調》Op.49を演奏した。翌19年3月7日広島の部隊に入隊したが、フィリピンで細菌性赤痢に罹り、台北陸軍病院円山臨時分院に移されたが快復せず、昭和20年4月12日亡くなった。
大正12[1923]年7月30日〜昭和20[1945]年8月21日
兵庫県に生まれる。昭和17(1942)年4月東京音楽学校予科に入学し、翌18年4月本科作曲部に進む。同年11月15日仮卒業となり、12月1日京都伏見の陸軍通信隊に入隊。神奈川県相模大野の陸軍通信学校で訓練を受け、翌19年11月ルソン島マニラに上陸。通信任務に就くが、米軍の侵攻により島内を転々として衰弱し、昭和20年8月21日山岳州ブンヒャンにて終戦も知らず自決した。
戦時音楽学生Webアーカイブズ「声聴館」について
「声聴館」は、これまでに本学大学史史料室が調査・研究してきた、戦時下の音楽学生の記録資料を収蔵・公開するWeb資料館です。開館に当たっては、広く一般の皆さまからその名称を公募し、世田谷区在住の作詞家・保岡直樹氏の「声聴館(せいちょうかん)」を採用いたしました。 戦時下の資料が元々不十分、あるいは失われてしまっている中、記録からも記憶からも消えてしまいかねない彼らの存在を、少しでも多くの皆さまに知っていただきたいという思いから開館しました。
「声聴館」開館に当たって