【はじめに】
私が小学校教員になるまでの道のりを書きます。
今回は、大学時代編です。
😶小学校の先生に興味がある!
😶人の人生を見てみたい!
という方にお楽しみいただけたらと思います。
自分のことを書くのは少し気が引けますが…
読んでいただけると嬉しいです。
【春】
中学校の教育実習に行きました。
出身校での実習だったのですが、私を担当してくださる先生は、講師経験が長いものの、1年目の先生。
教科は数学で、厳しい先生でした。
実習一日目に、学級日誌を見せられて
「学級日誌にあなたのことが書かれていない。
それほど印象にないということ。
もっと子どもに関わりなさい。」
と言われました。
「そんなん、書いた子のさじ加減やん!」
と私は思いました。笑
実習三日目には、担当の先生が初任者研修に行くので、一日担任として、学級を任されました。
帰って来られた先生に、お叱りを受けた記憶があります。
できていないところばかり目についたのでしょう。
まだ三日目なのに…というのは甘えでしょうか。
中学校の実習では、厳しい先生の指導で、何度か涙が出てきて、早く終わって欲しい!と切に願いました。
指導の後に廊下で泣いていると、隣のクラスの先生が
「わかるよ。私もあの先生、いなくなって欲しいと思うことあるもん。」
と慰められたこともあります。笑
採用試験の方も、進んでいきました。
履歴書等の必要な書類を作成します。
出願は、インターネットを通じて行いました。
春休みから引き続いて、面接練習をしました。
教職教養の勉強を中心に学習を進めました。
何度も参考書を解きました。
専門(小学校の教科)の試験もあったのですが、一般教養と重なる部分があったので、あまり本腰を入れてやるというかんじではありませんでした。
私が受験した自治体の試験には、水泳の試験も含まれます。
カフェで昼か夕方までアルバイトをして、帰りに市民プールで泳いで帰る日もありました。
水泳はできたので、練習の必要はなかったのですが、勉強のストレス発散にもなりました。
【夏】
試験本番です。
面接試験(集団面接)から始まります。
試験まで残り1週間というときに、面接練習で先生に言われました。
「あなたは肝が座りすぎている。新卒のウリであるフレッシュさが足りない!」
と。
どうしてよいか、わかりませんでした。
先生に尋ねても、「どうしようもない」と言われてしまいました。
その結果、面接のテーマは「とにかくニコニコ」。
試験管のおばさまもつられて笑ってしまうくらいに、ピカピカ笑顔で挑みました。
私が集団面接を通過した理由は《スマイル点》だと思うほどです。笑
筆記試験の学習も進めていました。
この頃には、もうほとんど頭に入っていたので、毎日さーっと目を通すだけでした。
私は、大阪府と滋賀県の試験を受験していました。
大阪府の試験では、一次試験の筆記(SPIと教職教養)と集団面接に合格。
二次試験では、個人面接に合格。
滋賀県の試験では、一次試験の集団面接と筆記(教職教養と一般教養)に合格。
ここまでは日程が重ならずに、順調に進みました。
しかし、大阪府の三次試験と滋賀県の二次試験の日程が重なってしまったのです。
どちらも最終試験です。
実は、大阪府の二次試験直前に、祖母が亡くなってしまいました。
しかし、試験が控えている私は実家に帰ることができずに、祖母の葬儀に参列することができなかったのです。
涙を飲みながら試験対策をした思い出があります。
そのため、大阪府の試験には思い入れがありました。
一方で、滋賀県では両親が教員として働いています。
実家で少しラクをしながら、両親の知り合いもいる環境であると、働きやすそう。
滋賀県も捨てがたかったのです。
大阪府の試験に行くか、滋賀県か。
とても悩みました。
大阪府の場合、三次試験の面接+模擬試験の前に水泳の試験があったので、そちらは受験して、ギリギリまで迷えるようにしました。
試験の前日まで悩みました。
結果として、滋賀県の試験を受験しました。
よく知っている土地だという安心感と、得意とする音楽が試験科目にあったからです。
滋賀県の二次試験は、一日がかりです。
試験日までの別日に、水泳の試験で50mを泳ぎました。
そして当日。
音楽(歌唱・リコーダー・ピアノ)の試験では、その日のいちばん最初の受験生でした。
朝なので、うまく声が出ず…
歌唱では、ほとんどの音が外れていました。笑
得意のピアノでは、試験監督の先生が大きく頷くほど上手に弾けました(思い上がりだったらすみません)。
演技の試験は、変わっていました。
6人ほどのチームで別室に連れて行かれ、昔話の台本を渡されました。
「これから、猿かに合戦の演技をしていただきます。
時間内に役割と演技内容を考えてください。
目の前に子どもがいると思って演技をしてください。」
と指示されるのです。
「私は猿役!」
「では、私は蜂の役割をします」
といったかんじで配役を決めたら、演技をします。
正直に申し上げると、何のための試験かはさっぱりわからなかったのですが、話し合いを上手に進めてそれなりの演技をすればよいと思っています。笑
模擬授業では、準備した通りに行うことができました。
その後に、簡単な英語の質疑応答があります。
①YesかNoで答えられる質問
②文で答える質問
の2問で構成されています。
後に他の受験生に聞くと、②の問題は
「どんなスポーツが好きですか」
「趣味は何ですか」
などの、中学生英語で答えられるものだったそうです。
私の場合は、
①「子どもは好きですか」
ーYes, I do.
②「なぜ子どもが好きなのですか」
ー困った…
日本語で答えるのも難しい質問です。
私はどうにかこうにか答えましたが、なぜかこの難しい質問をされてしまいました。笑
中学校と高等学校の英語免許があるということが書かれていたからでしょうか。
最後に個人面接がありました。
なんとか答えていたのですが、
「虐待を受けている子どもを見たときに、どうしますか」
という質問がありました。
咄嗟に私は
「保健所に通告します」
と答えてしまいました。
…ん?おかしいぞ。
確か、保健所ではなかった。
何だったか思い出せない。
でも、違う!
そんな考えが、答えた次の瞬間に頭をぐるぐると回りました。
そして
「関係機関に連絡します」
と、苦し紛れに言い直しました。
《関係機関》という、少しもやっとするが間違いではない言葉に変換しました。
この瞬間、試験に落ちることを覚悟しました。
試験直後から絶対に落ちた確信があったので、もう開き直って、一年間フリーターをしよう、いや、フリーターがしたい!と思っていました。
【秋】
アルバイトは3つ掛け持ち。
カフェ、フレンチイタリアン、居酒屋です。
モーニング、ランチ、ディナーの時間にそれぞれ入って、朝の7時半から夜の22時半まで働くという毎日を過ごしました。
アルバイトが楽しすぎて、むしろフリーターでありたいと思い、教員採用試験のことは忘れ去っていました。
いつものようにカフェで夕方まで働き、次の居酒屋バイトまで少し時間があった日のことです。
「そういえば、今日が合格発表の日だ!」
と、カフェでのアルバイト中に思い出しました。
働いていたカフェのバックヤードにパソコンがあったので、バイト終わりに合否発表を見てみることにしました。
期待せずに番号を探すと
…合格していました!
これには、私自身がいちばん驚きました。
すぐに店長に「私、4月から働けます!」と報告したほどです。笑
このようにして、私は小学校の先生になることができました。