人間のプライドの究極の立脚点は、
「あれにもこれにも、死ぬほど死ぬほど苦しんできたと言い切れる自覚ではないか?」
大好きな太宰治の言葉です。
太宰にとって、生きるとは書くこと。ただ漫然と書くのではなく、素晴らしい作品をこの世の中に向けて送り届けること。
あれにもこれにも、死ぬほど苦しんで来ざるを得なかった理由は、至上なる作品をこの世に送り出すための欠かせない材料・・・。
このようにまとめることができるのかもしれません。太宰は別の場所で、
「選ばれてあることの恍惚と不安、二つ我にあり」
こんな風にも述べています。
太宰治とは文学の神から選ばれ愛され、そしてそうであるが故に、幾重もの試練を与え続けられた!そんな作家なのかもしれません。
特に私は、『人間失格』という最晩年の作品が大好きで、青年期に何度も何度も読み返した経緯があります。
人の世において、自分が人間失格の烙印を押されるのであるならば、世の多くの人々は合格者!
果たして、そんな風に言い切れるものなのかどうなのか?
こうしたことがテーマではなかったかと私自身は思っているのです。そんな太宰なのですが・・・、
彼の作品は前期・中期・後期の3つに分けられています。
前期の作風は、さまざまな苦難を経験していた頃のこと。精神病院への入院。睡眠薬をはじめとした薬物の乱用。
作風は自ずと破滅的な雰囲気で覆われているのが特徴といえるのでしょう。
これに対して中期の作品は、退廃的な暮らしから結婚を契機に立ち直り、明るくて伸び伸びとした印象の作品群が特徴です。
有名な『走れメロス』などはこの頃を代表するものといえるのでしょう。
後期の作品は、大きな犠牲を払ったあの戦争を終えても、変わらずに欺瞞とエゴ、古風なしがらみなどから一向に抜け出すことができない。
そんな世の中に絶望し、再び前期のような退廃的な作風に戻ってしまう・・・。
『人間失格』はこの頃の作品で、自らの内面と命がけで向き合う。作品から太宰の叫び声、うめき声が聞こえてくるような印象を私は受けるのです。
人生は『三部構成』で成り立っている。そうであるがゆえに、秀逸な物語とは、全て三部で構成されている。
物語とは何かを最初に発見した人物はかのシェークスピアといわれていますが、
"生まれ・生き・死す"、"起きて・活動し・休息する"、"電話が鳴る・話す・切る"
万物は生成し、流転し、消滅する。私たちの人生もすべからく三部で構成されている。
なるほど、確かにそうだと私などは思っているのです。
■病魔ってナニ?
青年期の私を悩まし続けた『アトピー性皮膚炎』の症状・・・。
このブログでも、その闘病の模様をご紹介させて頂いたのですが、運営側に削除されてしまいました。
※参考:『無投薬・無医療の闘病15年の実体験・治療は自分の体に任せること!』
クスリ漬けの日々に始まり、一切のクスリを断ちっての闘病を繰り返し、その後に無投薬・無医療の人生を貫徹していく。
自分のことで口はばったいのですが、これなどもまさに三部構成だったのだなと思ったりもしています。
過去においてはこの闘病の時期のことを思い出すのもイヤ!だったのですが、最近はもっともっと自分の過去と真摯に向き合う必要を思い始めているところ。
「人は自分の人生という十字架を背負って生きるもの」
そんな言葉がありますが、それは私という人間に課せられた重い重い十字架なのだなと改めて思い直しているのです。
私の闘病を振り返るにおいて、「ステロイド剤」は欠かせないアイテムの1つになります。
激しい炎症や痒みに襲われても、この魔法のクスリを塗りさえすれば、元のキレイな皮膚の状態に素早く戻すことができてしまう。
その素晴らしい効果に私はすっかり依存してしまい、衣食住を含めた生活全般を見直す作業。これを怠り続けていたのです。
ステロイドは私と社会とを繋ぐ架け橋のようなもの。
もしこのクスリが私の手元からなくなってしまえば、私は四六時中激しい痒みと炎症に見舞われ続けてしまう。
大学生活も、社会人としての仕事も、恋愛もレジャーもその他の何であっても!すべて放棄せざるを得なくなる。
だからステロイド剤をとにかく切らさぬように。私の頭の中は、常時クスリに支配され続けていたのです。
問題の解決は常に自分以外の「外」にあって、自分自身の「内側」。私自身が持つ、天然自然の力に目を向けることなど一切なかった。
"病魔"だなんて仰々しい言葉がありますが、悪いのはどこまで行っても病気の側。私はその悪魔に常に襲われ続ける、そんなか弱くも憐れ、それでいて悲しき存在・・・。
そんな風に自分を定義していたように振り返るのです。
■命に宿る定め
私のステロイド履歴は、1992年から使用を開始し、その後11年にわたってひたすら塗り倒し続ける。
実に長い期間となりました。
これだけの期間クスリを使い続ければ、どんなクスリをどれだけ使ってみたところで決して治癒には至らない。
誰に何を言われなくても、このことが自分の体でハッキリと分かってしまいます。
クスリとは治癒を図るものでも何でもなく、ただ体を強制的に麻痺せるためのもの。そのことで症状を力づくで抑える目的のもの。
この命がある限り、治すことは叶わない。この残酷を事実を受け入れざるを得なくなるのです。医者からも、
「君ね、治そうと思うことそのものが間違いなんだよ。それは君の遺伝的体質なのだから、どうにもならないよ。クスリを使って治すのではなく、いかに症状と付き合っていくか?そのことを考えることが大切だよ」
どの医者からも、こんな具合に最後通告を突きつけられてしまうのです。
最強の強度のステロイド剤をどんなに使ったところで、ムゴイ炎症と痒みは止まることがない。薬効が切れれば、再び激しい症状に見舞われ続けるようになる。
私の体は常時冷蔵庫の中にいるかのような、恐ろしい寒さに震え続けている。
思うに、脳の体温中枢は36.5℃を維持しようと懸命になっているにも関わらず、薬剤で血流を抑制してしまうことが理由で平熱を保つことができなくなっている。
体温を司る、脳の体温中枢が設定した温度と実際の体温との差が出た時に生じる現象が『悪寒』。
夏でも冬でも、季節に関係なく私の体は内側から冷え続けていたと振り返るのです。
こんなことを繰り返していれば、いずれ重大な事態が訪れるに決まっている。ステロイド依存の私は常にこうした危機感を抱き続けておりました。
だからステロイドで抑えるのではなく、根本治癒に向けたその他の手立てはないものか・・・。
こうして良い!といわれるものには何でも飛びつき、時間と労力を虚しく費やし、散財をひたすら繰り返す。こうしたことに終始していました。
いわゆる『アトピービジネス』にすっかりハマってしまっていたなと振り返るのです。
またココでも自分以外の「外」に解決策を委ねようとするばかり。
当時の私は自分の内側にこそ答えを求める、そこにどうしても辿り着くことができないままでいたのです。
■全てを賭けて!
でも気づきはある時、訪れました。それが肥料も農薬も一切使わない
「自然栽培」
との出会いです。
作物は人が余計なお節介を繰り返さなくても、自分自身で命を全うすることができるはずのもの。
農業に肥料・農薬はつきものとなっていますが、大自然の草木は人が肥料を与えなくても立派に育ち続けている。
栄養失調に陥ることもなく、翌年また翌年と未来永劫にわたって生命を繋ぎ続けている。
自然界に、虫食いだらけで丸ハゲになっているような山もないし、菌に侵され悪臭を放ちながらドロドロに溶けて腐っている。
そんな野原もどこにも存在しない。
アマゾンのジャングルも、屋久島の縄文杉も、人が肥料・農薬を駆使して作り上げたものでも何でもない。
自然栽培の作物たちは肥料や農薬のお世話にならなくても健康で元気に、そして立派に育つことができている。
そうであるなら私にだってできるはず。どうせ治らないのなら、一縷の望みを賭けてこのやり方に挑戦し、このやり方と心中してみよう。
このことを知った時に私の闘病、その三部構成の第一幕が終わり、第二幕の始まりとなった次第です。
それは自分以外の「外」に答えを求めることを止め、自分自身の「内側」に答えを求めるあり方へのシフト。
クスリに依存し続けるこれまでのあり方を改め、自分自身の内なる生命力に全てを賭けるといった選択。
その後の私は、筆舌に尽くし難いさまざまな苦難に見舞われ続けることになるのですが。
病気と体の関係、食べることの意味、そして医者やクスリに頼らない暮らしのあり方。
こうした生き方を模索するあなたの参考に少しでもなればと改めて願うばかりです。
※参考:『無投薬・無医療の闘病15年の実体験・治療は自分の体に任せること!』
※アメブロでも闘病記を公開したのですが、運営側に削除されてしまいました。