東京回想・古道・旧道・廃道編、ちょうど千代田区から江東区まで回った。
多少でこぼこしたが旧東京市内を一回りしたのである。
旧東京市内で感じたことをちょっと報告。
・「旧道」は都市計画の「バイパス」付替えにより発生する。
基本的には「旧道」は、「新道」すなわちバイパスが出来上がることによって発生するものである。
旧東京市内は、江戸の昔から道路が作られており、常に新しい道路ができて、古い道路は「旧道」となって行く。
・やはり大きな変化は「関東大震災」。
1923年の関東大震災で、東京の町は、大きな変化をせざるを得なかったようだ。
明治の頃に整備した江戸時代の鍵型道路の改良型では、もう大東京のキャパシティに合わなくなっていくことが予見された。
来るべき自動車社会に対応するため、昭和通りや靖国通りが整備されて行ったのである。
今の東京の道路が、銀座通りや中央通りのギリギリ片道二車線規格だけだったらどうなっただろうか。
都心への自動車流入は「禁止」くらいになったのではなかろうか。
・残る「旧道」は、明治の高規格道路。
震災後に、道路拡幅等から外れ、バイパスという新道が作られたルートが旧道として残ってしまった。
旧市街の場合は、ほとんど路面電車が通れる明治期の高規格道路である。
・旧市街には「古道」はほとんどなし。
そして、江戸時代以前の「古道」はほとんどなし。
江戸の市街化、明治の都市化の中で、それ以前の古い道は「上書き」されてしまい、ちょっと発見できなかった。
(筆者の不勉強もある。)
・「廃道」は「根こそぎ開発」で出始めた。
また「廃道」は今まではほとんどなかった。
在来の主要道路は、別の新道ができても、そのまま生活道路として残るのである。
長距離在来鉄道線が新幹線の開通により短距離の支線として生き残るように、地域の生活道路として使われている。
しかし、都心の方ではそうもいかなくなった。
街区全体の根こそぎ再開発で、一体を全部地形ごと大改造するとんでもないことが起き、昔からの道路が「廃道」となることがある。
そんな事例がいくつか見られたのである。
さて、ここからは、東京の旧府下、1932年に東京市に編入された旧20区である。
都心とは違う古道・旧道・廃道に巡り合えそうである。
さあ、乞うご期待である。
多少でこぼこしたが旧東京市内を一回りしたのである。
旧東京市内で感じたことをちょっと報告。
・「旧道」は都市計画の「バイパス」付替えにより発生する。
基本的には「旧道」は、「新道」すなわちバイパスが出来上がることによって発生するものである。
旧東京市内は、江戸の昔から道路が作られており、常に新しい道路ができて、古い道路は「旧道」となって行く。
・やはり大きな変化は「関東大震災」。
1923年の関東大震災で、東京の町は、大きな変化をせざるを得なかったようだ。
明治の頃に整備した江戸時代の鍵型道路の改良型では、もう大東京のキャパシティに合わなくなっていくことが予見された。
来るべき自動車社会に対応するため、昭和通りや靖国通りが整備されて行ったのである。
今の東京の道路が、銀座通りや中央通りのギリギリ片道二車線規格だけだったらどうなっただろうか。
都心への自動車流入は「禁止」くらいになったのではなかろうか。
・残る「旧道」は、明治の高規格道路。
震災後に、道路拡幅等から外れ、バイパスという新道が作られたルートが旧道として残ってしまった。
旧市街の場合は、ほとんど路面電車が通れる明治期の高規格道路である。
・旧市街には「古道」はほとんどなし。
そして、江戸時代以前の「古道」はほとんどなし。
江戸の市街化、明治の都市化の中で、それ以前の古い道は「上書き」されてしまい、ちょっと発見できなかった。
(筆者の不勉強もある。)
・「廃道」は「根こそぎ開発」で出始めた。
また「廃道」は今まではほとんどなかった。
在来の主要道路は、別の新道ができても、そのまま生活道路として残るのである。
長距離在来鉄道線が新幹線の開通により短距離の支線として生き残るように、地域の生活道路として使われている。
しかし、都心の方ではそうもいかなくなった。
街区全体の根こそぎ再開発で、一体を全部地形ごと大改造するとんでもないことが起き、昔からの道路が「廃道」となることがある。
そんな事例がいくつか見られたのである。
さて、ここからは、東京の旧府下、1932年に東京市に編入された旧20区である。
都心とは違う古道・旧道・廃道に巡り合えそうである。
さあ、乞うご期待である。