①に続いて。

 

鈴鹿サーキットで気をよくして、上の子の自由研究に勤しみます。

 

上の子は最近突然歴史知識が頭に入ってきたらしくて、戦国時代についてクイズを出してきます。

 

私はその辺全部わかるので簡単に答えて撃沈。

 

しかし歴史に興味を持つとは良いこと。

 

それにしてもやはり戦国時代から入るのよね。私もそうだった。

 

関ケ原で小早川秀秋が裏切ったんだよねーとか言ってきたので、小早川というのは5大老の一つで元は毛利の~うんぬんかんぬん教えてみるのだけど、そういう話はまだ早いようでした。

 

興味があるなら自由研究のネタに関ケ原古戦場に行ってみようかと思ったんだけど、この夏の気温で陣地めぐりするのはかなり大変そうで、おまけに小早川陣地の松尾山にはヤマビルも出るというので、行くのは冬にすることにしました。

 

関ケ原にはホテルもないしね。実際行くなら大垣か岐阜に泊まるのかね。

 

 

そこで次に興味がありそうな織田信長関連にすることにしました。

 

息子に考えさせたところ、城に行きたいと。

 

行きたいのは清州城と小牧山城と岐阜城と安土城とのこと。

 

思ったよりちゃんとしたラインナップに驚き。

 

全部信長関連で重要な城なんだよな。

 

ひとつも建物が現存していないけれど。

 

私も行ったことがなかったので、全部行ってきました。

 

 

車を使わない場合の行き方を書いておきます。

 

いつか信長の城めぐりをする人の役に立つことを願って。

 

 

〇清州城

 

信長初期の拠点です。ここから桶狭間に出撃しました。

 

 

アクセスは名鉄新清洲駅から徒歩15分とかJR清州駅あるいは徒歩15分。

 

新清州駅は何もない駅です。タクシー乗り場は申し訳程度にありますが、いないです。

 

15分も歩くとはと思ったのでタクシーを呼んでみたところ、電話に全然出ないし、出ても周りに全くタクシーがいないとかいうやる気のなさ。

 

JR清州駅の方が良かったか。

 

仕方がないので新清州駅から歩いて行きました。

 

途中「五条川」を渡るところで川沿いに歩くと良いです。

 

清州城は平成元年の築城とかで、実際に城郭があったのは川の反対側だそうで、復元物を建てたにしても若干イマイチですが、勢いでやったのでしょう。

 

天守館内の展示物は充実していて、子供の自由研究にはとても良いです。

 

大人的にも歴代大河ドラマの信長役一覧とその衣装が展示してあったり面白い。

 

清州城は尾張の守護所だったとか。平地です。

 

帰りはタクシーアプリを使えたので時間の節約のため名鉄上小田井駅までタクシーで。

 

 

〇小牧山城

 

美濃攻略のために築いた城です。こまきやまじょう。

 

 

アクセスは名鉄小牧駅から徒歩25分またはバスで10分。

 

清州城からなら名鉄上小田井駅から岩倉駅へ。

 

岩倉駅から小牧山城の前までバスが出ています。バス停は小牧市役所前。

 

とはいえバスの時間が合わなかったのでタクシーに。

 

岩倉駅では少し待てばタクシーが来てくれました。

 

少なくとも東口には何もなさそう。

 

実は織田本家の岩倉城跡がすぐそばにあったりして。

 

 

小牧山城は平山城です。

 

復元図

 

麓にれきしるこまきという情報館があって、これも展示が充実しています。

 

無料部分でも城の解説を十分楽しめますし、有料部分も大人100円、子供無料。

 

特に石垣の発掘で面白い部分があったようで、その解説が凄い。

 

石垣パズルがあり触れます。

 

頂上には復元天守があり、微妙に清州城が見えます。

 

平山城と言っても山なので多少上らないといけません。

 

 

 

〇岐阜城(稲葉山城)

 

美濃斎藤氏を追放し稲葉山城から岐阜城に改めました。天下布武が始まった城。

 

市のHPが全然やる気がないので、使うことになるだろうロープウェーのHPを。

 

 

夏はなぜか21時半まで営業しています。

 

バスでJR岐阜駅12番13番乗り場か名鉄岐阜駅の4番乗り場から「岐阜公園歴史博物館前」を目指します。

 

岐阜バスは今の時代でも独自のICカードしか使えないという罠。

 

岐阜公園で降りるのはいいのですが、そのあと現地で特に案内が見当たらず、やや不親切に感じました。

 

バス車内から城が見えるので適当に歩いても着きますが…。

 

ロープウェーに乗って山頂付近まで行き、そこから徒歩8分。多少歩きます。

 

雑に消す。

(むかしは稲葉山城にじわる)

 

岐阜城は山城で、ハイキングコースもありますがとても歩く気にはならず。

 

復元天守から眺めれば濃尾平野の広さがわかり、美濃・尾張の有利な土地条件を感じます。

 

中の展示物は大したことがありません。

 

こんなの作ってあった。

 

現在の模型。なんで当時の予想復元模型じゃないのよ。

 

 

〇安土城

 

信長が築城した城。壮麗な城と伝わるが天守は本能寺の変付近で焼失。

 

 

 

アクセスはJR安土駅から徒歩25分。

 

さすがに25分も歩けないので、隣の近江八幡駅からタクシーを使いました。

 

近江八幡は栄えているのでタクシーは常駐しています。

 

まあ片手運転でハンドルの下持ってたけどな。田舎タクシーめ。

 

 

安土城は山城で、現在は山全体が寺の所有となっているようです。

 

県によって発掘調査・整備されたようですが、観光地化はあまりされておらず、まあまあの山登りをすることになります。

 

麓の石段積から始まり

 

大手道でこの感じ。

 

天守跡。

 

当時は2倍以上の規模だったとか。

 

ここに30メートル以上の天守があって、信長が生活していたというのだからロマンロマン。

 

 

天守裏から。当時は見渡す限り琵琶湖だったとか。

 

と言う感じで、安土城現地は復元天守もなく(ない方がいいのだけど)、旧跡があるだけといったところ。

 

安土城というだけで、ロマンはあるけどね。

 

 

帰りは安土駅に行ってみました。

 

綺麗に整備されていましたが、タクシーの常駐はなし。

 

駅前にレンタサイクル屋が2軒ありました。

 

確かに自転車で行ける距離かも。

 

 

駅に隣接する資料館が良かった。

 

天守の模型があったり。

ちっちゃい信長がおる。

 

山の模型図があったり。

 

拡大。この山が安土城。

 

その右手には観音寺城。

 

六角氏の観音寺城。

 

近江六角氏もロマンがありますなあ。

 

今の大河に出てきた佐々木4兄弟の子孫の本家が六角氏で、室町~戦国を通じて近江国守護なんだよなあ。

 

そして安土城は観音寺城と連山(というのか)的な山に建てたんだなあと感心。

 

知っていたような知らなかったような。

 

いつか行ってみたいものです。

 

 

 

〇御城印

 

城に寄るついでに御城印をいただいてみました。

 

御朱印の城版です。A6サイズの和紙ベース。

 

 

 

安土城では御朱印帳を買うと書いてくれます。

 

こんなの。3種類あった。蛇腹です。

「敦盛」入り。

 

 

ところで、うちの子たち、ドラマ「新・信長公記」を録画して熱心に見てまして…。 

 

にんげんごーじゅうねん♪とか歌ってんだけど…。

 

変な子たち。