久し振りの献血 | ひきこもり、お遍路へゆくAmeba版
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ひきこもり、お遍路へゆくAmeba版

自身のアルコール依存症や引きこもり、アダルトチルドレン問題により、生き方を見直す切っ掛けを手に入れ、その舞台に四国八十八ヶ所の遍路を選んだ男のブログ

前回の献血は約40日間に及んだ北海道旅の前だったので7月の400ccだった。


そこからビーニャさんの遍路で生活が忙しかったり、心電図のエラーによる心臓の精密検査や、ビーニャさんの日本紅斑熱とカイの死もあって献血に全く行けてなかった。


更に今までワザワザ宮崎市の献血会場へ出向く名目だった、俺が立ち上げた自助グループも後継者が見つかり更に遠退いてしまった。


以前の月2回ペースの献血は俺なりの社会貢献や、過去に無駄に血を流した事への償いも予てのとても大切な自助空間だった。


最近、血液が不足しているようで献血のLINEが頻繁に鳴っていたので気になっており、献血の再開がずっと心の隅っこに引っ掛かっていた。



そんなわけで、近所に献血バスが来ていたので献血に来た。

と言うことは今回も400ccとなり、以前のような月2回ペースに戻れるのは年が明けた2月頃からになるだろう。

その頃にもなるとビーニャさんの遍路の再開も控えているのでまた継続が難しくなるが、今年中には余裕で到達すると思っていた献血回数70回は来年に持ち越しの65回止まりとなった。

結局、今年は半年しか献血活動は出来なかった。



それにしても久し振りの献血バスに乗ると人の多さに驚いた。

こんなにも献血に積極的なのだと、元々俺の住んでいる宮崎県都城市の人は献血に協力的とは聞いていたが、どの人も目が綺麗さが印象に残った。

やはり“人の役に立てている”という自負は逆に自分を支え輝かせるのだろう。

そんな人達(主に50代~60代女性)を見ながら献血にも慣れ、キラキラしてない自分に更に“くすみ”をかけた。

知り合いの看護師さんは来てなかったので「特徴ある名前の人が宜しくと伝えててください」と無理に苦手としているコミュニケーションを取った。

流石に月2回を継続していたら顔見知りも出来て当然だ。

また来年は献血活動を再開したいと強く再認識した。



血は正しく流さなくてはならない。

献血の際も看護師さん達は俺の手首に残る大きな傷に気づいてると思う。

それに加えて俺は沢山の人に殴られて血を流し、沢山の人を殴って血を流させて来た。

今はその傷に月2回の休まる暇も無い注射痕が加わった。

依存症者と注射痕のナイスな出会いだ。


献血からの帰りに文房具店に立ち寄って手帳カバーを購入した。

以前から手帳カバーの裏に差し込んだ定規が落ちることに悩んでいたので、ペンケース付きの手帳カバーを探していた。

予定していたのはゴムバンドにペンケースが付いているタイプだったが、店舗には手帳カバータイプもあったのでそれを選ぶことにした。

革製品を好むが残念ながらこれは合成革。


今までが物騒な“断酒日記”と文字の入った手帳だったので、これを隠せる+ペンケース付きで良い買い物をした。


出来たら万単位で良いので長く使える本革製品が欲しかったな。

俺の日常は医療、行政関係の依存症活動が本当に多いので手帳は必需品だし、スケジュールを文字として残さないとバカな頭をしているのですぐに忘れてしまう。

因みにこれも精神科に入院中に自分に発達障がいを疑った時にに教えられたことで、あの頃は予定を付箋に書いて手帳に貼って、用事が済んだら剥がすとかしてたなぁ。

何事も練習。

言い替えると、何事も失敗の先の成功体験。

失敗を失敗のまま終わらせるから失敗であり、

失敗に“例”という文字を付け足して自分や他人の経験や知恵とすれは失敗も簡単に成功へと変化する。



↑熱しやすく冷めやすいをモットーに新たな試みを始めてます。



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