弟の遍路デビューと依存症になった意味 | ひきこもり、お遍路へゆくAmeba版
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ひきこもり、お遍路へゆくAmeba版

自身のアルコール依存症や引きこもり、アダルトチルドレン問題により、生き方を見直す切っ掛けを手に入れ、その舞台に四国八十八ヶ所の遍路を選んだ男のブログ

遂に弟の四国デビューが決まって、何故か宿の手配は俺と。


四国とか“遍路”と聞いて“宗教”と思ってしまうのは無知な日本人あるあるで、


弟もその一人なのか四国への一足が遠かったようだ。


俺は断酒後に“バカになってやってみる”ことを意識してチャレンジしている。


それは“聞く耳を持つ”ことを意識しているからだ。


そして井の中の蛙であった自分に後悔しており、人の勧めは自分の世界を広める(自分の知らない世界を知る機会)と受け止めチャレンジしてみることにした。




連休の松山の宿、しかも子連れと言うこともあり空室が中々取れなかった。


ネットに張り付いていると時より空室がポンっと現れるが、


ほんの少し迷ったり調べている内にすぐに取られてしまう。


そして、今朝運良く松山城の前にある安宿の空室を見つけ、何とか初日の宿を押さえることが出来た。




『松山城が近いからリフトに乗って松山城でも観光すればいい』




宿を押さえられたことにホッとして、そう思った直後に、そんな観光すらする余裕無く必死に“生き辛さ”からの回復を願って遍路を重ねていた自分と母を思いだしウルっと来てしまった。


あの頃は本当に必死だった。


俺はこの世のクズとされているアル中ではあったが、俺と他の人達と違うのは、必死に断酒しようとチャレンジをし続けたことだと思う。




ここ最近は新たに始めたWワークに必死でとても辛い。


仕事に慣れるまでの気疲れや思ったよりも悪かった人間関係に、オフの日でも物凄く緊張し、疲れてしまう。


どうやらこの辺りが依存症者の特徴のようで、“過度に”そして“過敏に”人よりストレス耐性が低いのに感じてしまうようだ。


しかし、得られることもあると感じているし、これもまた経験だと思っている。


やっと払えるようになった社会保険料とプラスαの所得アップの為に始めたWワークだけど、


俺は社会保険料を納められることを幸せと感じている。


増税メガネとか、増える税金に不満が募る気持ちもわかるけど、


俺はそれ以前に“底辺”を経験しているから、今の低所得でも何故か嬉しく、日々の生活に感謝と幸せを感じているんだ。


あの地獄の日々に比べたら今は裕福すぎて、安定していて。


そして、貧困から学んだ生活(スキル)を維持しつつ、生活レベルを上げなければ多分我が家は貯蓄が出来ている方だと思う。


低所得なのが問題ではなく、お金の知識や付き合い方が問題で。


『誰かに聞いて貰いたい!』と思うくらい新しく始めた弁当屋のバイトが辛いのだけど、いつまでも続く苦しみでは無いだろうし、


今月21日からスタート後、5日間働いて16時間、約15,000円にて今月の給料はギリギリ社会保険料を賄う程度稼ぐことが出来ました。




昨晩ふと感じたことがある。


“家族ぐるみの病気”と言われ、何故か加害者である依存症者と、それに困り果てる可哀想な家族(自己憐憫がしたいが為)という図式に勘違いされているけど、


俺の家族を見ても、他の依存症者の家族を見ても、殆どが“依存症思考(飲まないアル中)”ばかりの家族システムで構成された機能不全家庭で、


そんな中、どういうわけか依存症当事者という貧乏くじを6人家族のうち、俺と親父が引いてしまい“一家の悪役”を引き受けてしまった。


これが実は貧乏くじどころか、幸運へのキップであることをこの場に添えておくけど、


昨晩、ふと感じたのは、俺が依存症に苦しまなかったとしたら、


俺も、


ビーニャさんも、


母も、


姉も、


遍路を知る(経験する)ことは無かったと思う。


『この為に、あの時期の、あの地獄があったのか…』


今のようにWワークどころか、依存症の活動を含めたらトリプルワークの激務だと、とてもあんなに四国へ行くことは叶わなかった。


あれは俺が仕事が出来ない程に病んでいたから出来た事だと思う。


言ってみれば、俺が母を遍路に連れ、母にとって四国や遍路がどんな意味を持つのかそれはわからないけど、


きっと母も俺も死ぬ時にそれを感じるものなのだと思う。


俺が間違いなく言えるのは、俺は死を迎える時、その多くを遍路の記憶が占めながらあの世に旅立つと思っている。


そう考えると、俺が依存症になった意味、


いや、


俺が依存症を担った意味も、また違う視点で見れるのではないかと思う。


これに親兄弟が無知にも、そして狭すぎる世界観にて気付けず傷付けるから、依存症の機能不全家庭なのだが、


俺は兄弟達がこれに気付き、我が身を引き締める(130kgデブという意味でも、反省という気付きの意味でも)ことを、


あの幽閉事件の失敗を活かす意味でも、カルマの浄化の意味でも願っており、


俺のこの苦しみを共に解放して貰いたいと思っている。


貧乏くじが、幸運へのチケットに変わる瞬間というのに気付けたのも、この無知な兄弟を見ていてのことであって、


こうして自分の課題を成長の切っ掛けと捉えれるか、そうでないかであり、


これは加害者、被害者の図式や、


自分を“普通”だと信じ込みたい人々に起きる幸運ではない。