面授(第111回You Tube(面授)、生き物を殺さないということ、坐禅は安楽の法門)(#2)

↓↓↓   ↓↓↓

htps://ameblo.jp/naitotakaousa/ (クリックはここ)アメーバーブログ

↑↑↑   ↑↑↑

You Tubeを立ち上げた

対談に参加したい人は、

 木庵のメールアドレスをクリックする。

メールアドレス:takaonaito03@gmail.com

↑↑↑  ↑↑↑

 どのようなトピックス、日時などを木庵と話し合う。

 実際にズーム上で対話をおこなう(自動的に録画できるようになっている)。

 ズームで録画したものを、You Tubeに移動(木庵の作業)

 出来上がったYou Tubeのアドレスをブログに掲載。

 You Tubeのアドレスをクリックすると、誰でも対話の様子が見れる。

 

*顔を隠したい人、仮の名前でもよい(勿論木庵の顔はだす)。

 

*40分でズームは切れる(延夏目夏目夏目さんのコメント(その1)さんのコメント(その1)さんのコメント(その1)長する場合は、再開する必要あり)。

・・・・

木庵のZoomミーティングに実際に参加する場合:

下のURLをクリックする。

https://us04web.zoom.us/j/5582589118?pwd=b0xsUHBQM2NYb0NNVFdYK3JSY2daUT09

 

ミーティングID: 558 258 9118

パスコード: 2BaZGd

 

URLをクリックするだけで、ミーティングルームに入れる(ミーティングID、 パスコードの入力は必要ないよう)。

 

・・・・

木庵の般若心経(3回目)

↓↓↓   ↓↓↓

https://youtu.be/ZRq3bKOLgLQ

↑↑↑  ↑↑↑

 

・・・

第111回You Tube(面授)

↓↓↓   ↓↓

https://youtu.be/-lflqRjhUac

↑↑↑   ↑↑↑

 

夏目:岡潔先生は、「日本人が優秀なのは、自作自受(じさじゅう)があるからだ」と言われています。

 

木庵:何ですって?

 

夏目:「自作自受」。自分で作り、自分で受けるということです。日本の百姓は勤勉なのは、自分の仕事を喜んでやっているからだというのです。自分で耕して自分で収穫して、自分で喜ぶということです。先ほど話のあった時計屋さんも、喜んで直して、喜ぶ。つまり、全てが喜びの世界なのです。

 

木庵:ヨーロッパでは、労働は卑しいという考えがあります。中国もそうです。朝鮮もかな。清の時代に、日本から総領事がやってきました。清の高級役人はそれを迎えるために、楽団を連れてやってきたのです。そして、会談の場所を遠くから見ると、総領事が椅子を並べていたのです。それを見た官僚は、「日本からきた総領事は大した人間ではない」と思い、引き返したという話があります。中国では科挙テストに合格したような高級役人は、肉体労働を一切しないのです。ですから、体を動かしていた日本の総領事を位の低い男だと見なしたのです。

朝鮮にも似たような話があります。日本の外交官がテニスをしているのを見て、朝鮮の高級官僚が、「体を動かしているような人間は卑しい人間である」と思ったというのです。ところが、日本では労働、働くことのなかに幸せを見い出すところがあるのです。農業にせよ、建具のようなものを作るにせよ、作業の中に楽しみを見い出しているのです。ここのところがとても大事なのです。

 

夏目:生長の家の先生たちが、よく言っておられました。「日本人がはたらくというのは、はたを楽にすることだ」と。

 

木庵:はたを?

 

夏目:「はたの人を、楽にする」というのです。

 

木庵:それもありますが、禅宗では作務というのがあります。作務は坐禅と同じくらいに意味があるのです。汗を流すことの貴さ、これは素晴らしい文化です。

 

夏目:道元が中国に行った時、典座(てんぞ)の大切さを教えられたという話があります。

 

木庵:典座とは、禅宗では料理をする係の人のことを言います。道元が中国に到達し、まだ上陸するのではなく船に滞在していた時、中国の老僧がシイタケを買いにきたです。ところがもう夕方になり、遅くなったので、道元はその老僧に、「もう遅くなりましたから、船に泊まられたら」と言ったのです。そうすると、「大陸の人、道が何であるかをまったく分かっておられませんね。寺では腹を減らして待っている僧侶が多くいるのです」と、老僧は言い返したのです。このとき道元は大きな衝撃を受けたのです。その時まで、道元は仏教は経典を勉強するようなことだと思っていたのですが、料理を作る。日常的なことのなかに仏教があるのではないかと感じたのです。道元がそれまでに考えていた仏教は観念的であったと悟ったのです。では、続けてください。

つづく


 

夏目さんのコメント

来し方行く末(31)(人の命、虫の命)

私がかつて、上野駅で乗り換へて通勤してゐた頃、駅前の路上の占ひのおばさんと親しくなった。いろいろと話してゐるうちに、話は蟻んこの事になった。おばさんは、何時か蟻んこなど害虫を供養する小さい石碑をたてたいといふので、私も其時は協力すると約束した。やがて其おばさんは、群馬県の片田舎に引っ越しし、やがて年賀状も間遠になり、遂に来なくなったので、亡くなったのかもしれない。なのでまだ約束は果たしてゐない。

虫と言へばいつも思ひ出すのは、高野山の墓地で、白アリの供養碑を見かけたことである。施主は、大きなシロアリ駆除の会社であった。なるほど、いつも白アリさんに儲けさせてもらってゐるので、これは矢張り此の虫の菩提を弔はなければならないと言ふのは、仏教徒と言ふか、縄文時代を閲してきた日本人ならではの発想であらう。文学では、宮沢賢治も小さな動物たちとの心のつながりを謳ひあげた。賢治の作品『セロ弾きのゴーシュ』にも、毎晩、ゴーシュの家に、いろんな悩みを持った動物たちが訪れて来ては、ゴーシュのセロの音を聴くと、悩みが治って、喜んで帰って行くのである。そしていつの間にか、楽長から「下手だ」と叱られてゐたゴーシュのセロの腕前も上達して、コンサートでは、アンコールに、「インドの虎狩り」を弾くのであった。

最近は、野に山に、熊が出没する。マスコミでは、クマと片仮名で書くのだが、食べるものが減ってきたので、人間の居住環境の中へ侵入し、人の被害もふえて、住民は怖がってゐる。私の父はオーケストラを率いて、全国各地を演奏旅行した。北海道に行ったとき、観光地に子供のクマが鎖で繋がれてゐたが、大熊さんといふチェリストの足に両手でしがみついてきた。困ってゐると、他の団員が、「大熊さん、名刺を出しなさい」と言ふ。名刺を子熊が見れば、大熊だからきっと恐縮して引っ込むだらうと言ふ、これは音楽家仲間特有のウィットなのであった。この手の発想といふものも、勝れて日本的であるとも言へる。昔の日本の民家では、蟻が出てきて困るので、そんな時は、「蟻一升十六文」と書いて貼っておくと、蟻が来なくなると言ふ言ひ伝へがあった。今ならさしづめ、「熊一頭一万円」と書いて貼っておけば、熊も恐れて退散するかもしれない。

夏目


木庵の反応

<西洋では、動物を人間が利用してもよいと解釈している。ところが、日本では人間と動物を同格に見るところがある。ヒンズー教は菜食を良しとするのは、

例え蚊のようなものでも、亡くなった親族のリインカーネーション

(生まれ変わり)かもしれないので、殺さないのである。木庵が雲水修行の時、早朝に読経の練習があった。薄明るい光の中で一番光っていたのが老師であった。修行年数が低いほど、若いのにどすぐろく光っていた。ようするに、菜食を長年続けると、皮膚が透きとおるようになるのである。肉はタンパク質が多く含まれているが、どうも毒素があるのではないかと思う。人間にはある程度の動物性タンパク質は必要であるが、ダイズなどの植物性タンパク質摂取で、十分健康を保てると思う。また有機農法、自然農法で収穫した玄米を食べると、玄米の中に人間が生きていくのに必要な栄養素が全て備わっていると、昔読んだ、栄養学の本の中に書いてあった。木庵>

親鸞的人間と道元的人間(erasusさんからのトラックバック)

座禅を-

 о暖かいインド

 -とか、

 о温かいロス

 -とかで考えれば、

 о環境からの苦痛は無い

 -と思うが、わが国には、

 о厳しい四季がある

 -があり、

 о初秋から始まって

 о次の年の初夏まで

 -は、

 о肌寒い

 о寒い

 о凄く寒い`

 о底冷えがする極寒

 -までが、

 о雪国ならぬ国々

 -には、

 о思いがけぬ積雪

 -から、

 о猛烈なダウンバースト(高山なら、ホワイトアウト)

 -まで、

 оシベリア寒気団に翻弄される

 -のである。

 ※道元禅の永平寺は-

 ※о北陸地方

 ※-にあり、この地方も、

 ※о日本海側(冬に雪が多い)の寒気が吹き付ける地方

 ※-にあり、

 ※о積雪と防風林から守られている

 ※-という側面もあるが、

 ※о零度前後の寒気が漂う

 ※-のである。その中でも、

 ※о座禅は組まれる

 ※-であろうから、

 ※о寒中の座禅行

 ※-となる。これは、

 ※оつらい

 ※-と思われる。

<道元は「坐禅は安楽の法門である」と言っているが、春や秋の心地よい時期の坐禅はよいが、極寒のなかでの坐禅も身が引き締まってよいのではないか。ただインドのような猛暑のところでの坐禅は肉体的に無理であろう。坐禅をするより、寝る方が健康によい。釈迦が坐禅を組んだといっても、真っ昼間の暑いときではなく、夜の涼しくなったときではなかったか。また真昼でも菩提樹の木陰などが坐禅をするのに相応しかったのではないか。新木庵>

 

写真:永平寺の朝食

↓↓↓   ↓↓↓

htps://ameblo.jp/naitotakaousa/ ←(クリックはここ)アメーバーブログ

↑↑↑   ↑↑↑