チャレンジ(第111回You Tube(面授)、富田岩芳先生を偲ぶ)(#98)
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You Tubeを立ち上げた
対談に参加したい人は、
⓵ 木庵のメールアドレスをクリックする。
メールアドレス:takaonaito03@gmail.com;
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⓶ どのようなトピックス、日時などを木庵と話し合う。
⓷ 実際にズーム上で対話をおこなう(自動的に録画できるようになっている)。
⓸ ズームで録画したものを、You Tubeに移動(木庵の作業)
⑤ 出来上がったYou Tubeのアドレスをブログに掲載。
⓺ You Tubeのアドレスをクリックすると、誰でも対話の様子が見れる。

*顔を隠したい人、仮の名前でもよい(勿論木庵の顔はだす)。

*40分でズームは切れる(延夏目夏目夏目さんのコメント(その1)さんのコメント(その1)さんのコメント(その1)長する場合は、再開する必要あり)。
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木庵のZoomミーティングに実際に参加する場合:
下のURLをクリックする。
https://us04web.zoom.us/j/5582589118?pwd=b0xsUHBQM2NYb0NNVFdYK3JSY2daUT09

ミーティングID: 558 258 9118
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*URLをクリックするだけで、ミーティングルームに入れる(ミーティングID、 パスコードの入力は必要ないよう)。

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木庵の般若心経(3回目)
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第111回You Tube(面授)
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https://youtu.be/-lflqRjhUac
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夏目:・・・
阿南の「はい」は無心であったのです。これは仏教の極意であるのです。日本の中心に「中心帰一」があると谷口雅春先生はおっしゃっているのです。

木庵:それは谷口先生の解釈ですね。

夏目:そうです。

木庵:私の解釈はそんなに難しくないのです。私の師匠、老師が提唱で述べらえたところによると、要するに、これは禅宗の一つの考え方なのです。つまり、以心伝心なのです。教外別伝(きょうげべつでん)と言って、経典ではなく、師匠の心が弟子に伝わる。私の師匠の表現によると、「升の中に一杯水が入っている。それを一滴も溢(こぼ)すことなく、他の升に移す」。これは禅宗の一つの話です。
先程少し調べたのですが、迦葉はお釈迦さんの弟子で第一祖になります。達磨さんは、インドから中国にやってきたのですが、28祖に当たるのです。達磨さんは中国にやってきた時の皇帝の名前は忘れましたが、皇帝は達磨に言いました。「私は多くの寺を建てました。それに、多くの僧侶を養っています。そのような私に、功徳がありますか?」。そうすると「無功徳」と、達磨は答えました。そして、達磨は思いました。「中国はまだ禅を広めるのには熟していない」と。そして、少林寺の山に籠り、9年間面壁したというのです。当時中国で一番学問ができた慧可(えか)という人がいました。彼は思いました。「9年前に達磨さんという方がインドからやってきたというのを聞いたことがあるのだが、どうも少林寺に隠れているらしい」。慧可は仏教の経典を沢山読んだのですが、何が真実か分からなかったのです。そこで、少林寺に行き、達磨に教えを乞うたのです。ところが、達磨は面壁したまま無視したのです。そこで、慧可は本気で真実を知りたいことを示すために、片方の手を切ったのです。さすがの達磨も驚いたのです。その時の様子を描いた絵があります。そして、慧可を弟子にしたのです。達磨は迦葉から数えて28で、28祖です。慧可は、29祖になります。これが、面授によって伝わってきた禅宗の歴史なのです。中国には「五家七宗」があったのです。臨済宗、雲門宗、読み方が分からない○○宗、法眼宗、曹洞宗と5つあるのです。臨済宗から二つ宗派が別れています。その一つが黄檗宗です。例えば道元さんの場合、道元の師匠の如浄(にょじょう)は60祖に当たるのです。ということは、道元は61祖になります。道元が如浄から面授されて、それからずーと現在まで永平寺で面授が行われているのです。
そこで、私は仏教だけでなく、野球の世界でも面授があるのではないかと話しているのです。大谷選手が面授されたのは、仙台花巻高校の佐々木先生、日本ハムの栗山監督、エンジェルスのマドン監督。そして、大谷はどんどん成長して、今では彼自身が世界の人々に面授しているのです。こういうことを私は考えているのですが、夏目さんは、面授についてどう思われますか?

夏目:人間が一対一で、先生と生徒がいて、生徒が直感的に分かることがあるのです。「あゝ、こいつ分かったな」と。一滴もこぼれないで、何十代も伝わるというのはあるのです。天皇陛下もそうです。昭和天皇は124代で、今の令和天皇は236代です。

木庵:天皇陛下はまさに面授ですね。家の面授です。

夏目:まさにそうです。魂から魂が移っていくのです。そういう神秘的なことがあるのです。日本人には「天皇陛下」と言うと、ピリッとして、背中を伸びるのです。この間もブログで書きましたけど、大日本憲法・・・
つづく


親鸞的人間と道元的人間(erasusサンからのトラックバック)
Wさんのコメント(その3)
ミラノの深野さんの書かれたものの話しにでて来る孫というのは、先日都ホテルに3歳の孫を連れて来ていた娘のWM子です。
当時UC Berkeley に通っていて夏休みか何かだったのではと思います。母と私の夫が立て続けに亡くなった後で、流石の父も気落ちしていたこともあり、お供に付いて行ってもらいました。娘は日本語は話せるのですが、父はご機嫌になると、どうも英語になる癖がありました。

数年前、ロスで肺炎でもう命が危ないと言われた時、UCLAで、当時レジデンシーをしていたM子が手術着のまま様子を見に行ったところ、「孫だ、寿司だ」と大喜びで連れ歩いて肺炎が魔法のように治療なしで治ってしまったことがあります。娘が来た、孫が来たと言うともうお調子のってご機嫌でどうにもならなくなり、となると断然英語です。(笑)

今娘がちょっと帰ってきたので聞きましたらミラノは12月で冬休みだったそうで、どうりで寒かったわけです。


Wさんのコメント(その4)
父方祖母は北條家で代々医者をしてきた末裔ですが、女系で跡取り息子が生まれませんでした。それで父に期待をかけてきて、父も一高に進み、将来医者になる予定でした。
ところが海軍経理学校の入学試験が夏にあったもので旧制中学在学中に模擬試験のつもりで受けたら受かってしまい、それが父の運命を変えました。校長先生に海軍経理学校の試験に合格してしまったけれど、どうしようと相談すると、返事は「馬鹿野郎、そんな光栄なことがあるか」当時全国で30人しか取らなかった海軍に中学を卒業しないまま飛び級してしまいました。海軍では一番年少だったようで、戦争に出たのは終戦一年前で最後の負け戦だけ経験しました。
本来医者になる筈だった父が進路を誤って職業軍人になってしまいました。それで私の娘が医者になったのが嬉しくてたまらず、孫の中で娘だけ特別待遇で大学の卒業式とレジデンシー修了式に出席しました。私はNJでしたから、ロスで身体の具合が悪くなるとUCLA にいた娘が様子を見に行く。すると嬉しがってすぐ病気が治ってしまうということを繰り返しました。最後も娘が父の病室に夜も付き添って、日本の医者にいろいろ指示をしてい
ました。父の波瀾万丈だった生涯で、良い思い出です。


木庵の反応
海軍青年将校時代の写真を見ると、知能明晰その言葉に尽きる顔をなされている。海軍経理学校入学が最難関であったことが分かった。一年に30人しかとらない、超エリート集団であったのだ。戦後の我々は陸軍士官学校、海軍士官学校、海軍経理学校がどれほど難しい学校であったことがピンとこない。一高は東京帝国大学に直系する超エリート高等学校であることは理解できる。その一高をけって経理学校に、しかも飛び級で入学した富田氏の知能優秀さは計り知れない。

なお、富田氏の人となり、業績を知る記事を参照してみよう。木庵>


外から見る日本、見られる日本人
バンクーバーの日本人社長ヒロが仕事、生活を通じて感じた経済、経営、社会、日本人観などを綴っています。

2011年06月09日10:00

富田岩芳先生を偲ぶ
僕が師として仰いでいた富田岩芳(いわお)先生がお亡くなりになりました。86歳でした。

先生は海軍経理学校卒業後、三菱ガス化学の創業に参加後、ペンシルバニアのウォートン校で1963年にMBAを取得、68年に等松青木監査法人設立、、74-81年に代表社員を経て89年から2000年までデロイトトゥシュトーマツの最高顧問を勤められました。

このような立派な肩書きの先生が実は1993年からほぼ毎夏、僕はご一緒するチャンスを頂戴しました。その理由は海外で頑張っている日本人としてよほど印象に留まったからかもしれません。日本からわざわざ「元気にやっているか」と見に来てくれました。時としてずいぶん飲み交わしました。当初は日本の会社の駐在員として業務上の関係もありましたがある時期からはまったくその関係がなくなったにもかかわらず先生は僕のために時間を作ってくださいました。あるときは僕のカフェでお一人で朝食を召し上がっておられて大変慌てたこともあります。

先生はいつも日本人の海外ビジネス戦略について考えられていらっしゃいました。実際、トーマツ(等松)さんは社員を海外駐在に出した会計事務所として名高く、80歳を越えた後も杖をつきながら海外支店を廻り、駐在の社員さんと顧客周りをしておられました。そこに見られるのは海軍を通じて学んだ海外ビジネス戦略、それは「先を制する」ということだったと思います。

あるとき先生が僕に本を出さないか、と持ちかけられました。「君の事業の規模は特別大きいわけではない。が、海外でほとんど独力でそこまで到達したことに価値がある。日本人で海外プロジェクトをまっとう出来る人はそういるわけではない。だから本にして日本の人に紹介をすべきである」と。

本の原稿はあるものの残念ながらある事情によりそれは断念し、お蔵入りさせています。いつか日の目を見ることがあるかもしれませんが。

お会いするとまず黙っておられます。そしてこちらの報告や話にじっと耳を傾けています。人の話を聞くという姿勢をお持ちでした。そしてある程度全体像がわかったあとにパシッと厳しい一言を頂戴していました。その矛先は時として政府高官にまで及びました。先生の人に対する信用はいかにきちんとしているか、まじめに物事にぶつかっていくか、そしてどれだけのチャレンジ精神を持っているか、これに尽きると思います。

軍隊で鍛えられた強さが言葉の端々から感じ取ることが出来ました。

経営者には金や地位に目がくらみ仕事は下のものに投げ、いざというときでも「お前に指示したじゃないか?」と責任転嫁をする人も見受けられます。富田先生もずいぶん財を成されたと思いますが、自分で勘定したことがあるのだろうか、というぐらい僕には仕事への姿勢が崩れなかったように見えます。

先生は本で読んだ瀬島龍三氏に被ってしまうところがありますが、双方とも共通して言えるのは厳しい軍隊を通じた不屈の精神。

今の日本にはそんな方が徐々に減ってきているような気がして至極残念でなりません。

富田先生のご冥福をお祈り申し上げます。


写真:慧可(えか)が手を切って、達磨に教えを乞うている絵。
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