115系 / 一昔じゃなく五昔ぐらいの昔話
国鉄 近郊形電車 115系ですが ── 10年一昔と言いますけど、今日は私が小学生だった頃なので、約50年前の昔話をします。
さて、冒頭の写真だけ113系電車ですが、ホームの対面に鋳るのは、115系電車 6両組成です。
この一族は401系・421系電車から始まったグループでしたが、結果的に国鉄最大派閥となったものの。
今はその存在は風前の灯火となっています。
北は北海道から南は鹿児島までの電化区間で見られたグループの中で、80系電車直系の153系や165系は東海形と呼ばれたことにより、直流タイプの111系・113系・115系が湘南形の愛称を継承しました。
関東エリアから新潟エリアそして下関エリアまでを走り抜けるこの電車は、湘南色を纏っていた故にそう呼ばれたのですけど。
実際の湘南電車は東京から湘南エリアを結んだ80系電車の愛称で、80系が都落ちしても湘南色を維持したため、直流タイプの後継電車も湘南色を纏い、その結果として愛称も全国区となったのですが。
鉄道ファンは当時からいたものの、現代ほどメジャーな趣味でもなくて、鉄道に興味の無い人々が高度成長期の波に乗って、新しい時代と共に地方へやって来た新性能車両は•••••••。
大都会 東京の匂いがする電車が来たと言うことで、名前もあやかって湘南電車と呼んだことから、名称が一人歩きしたもの。
もし今の時代のように、電車好き・鉄道好きな人たちが発言に影響力を持っていたら、どう呼ばれてどんな愛称が定着していたのでしょう。
国鉄は解体されてJRグループが設立し、一部の保存運用は別として湘南色は無くなり、この電車を湘南電車と呼んでいた世代の方々は•••••••,もう殆どの方が亡くなられて、時代は移り変わっています。
今、113系・115系を見て湘南電車と呼ぶ人は皆無ですが、還暦を迎えた私の上の世代•••••••,父や祖父の時代に、その役目を終えようとしている115系を撮りながら、思いを馳せてみました。
思いを馳せているうちにもう1つ、他県もそうらしいのですけど、広島では湘南電車の呼称とは別に、電車を汽車と呼んでいたのを思い出しました。
全国区では無いようですが、広島の場合は広電電車を電車、国鉄電車は汽車と呼び分けていて、それは蒸気機関車を始めとした機関車牽引の列車の名残でした。
実は機関車牽引の普通列車はJR化後も残っていた広島ですが、汽車の呼称が急速に無くなったのは、国鉄分割民営化がきっかけだったように感じます。
それまで汽車と呼んでいた人たちが突然、電車と呼ぶように変わって、山陽線で行く?宮島線で行く?とか言い初めて(笑)
さて、約50年前から約30年前の昔話へと続けてきましたが、写真は冒頭からの3枚は岡山駅にて、次の1枚は糸崎駅での撮影です。
その後は全て三原駅での写真なんですが、下から4枚目の左端に写る白い囲いが、解体中の駅そば・うどんの浜吉です。
三原での駅撮りなので電波塔や駅前イオンを入れて撮ってみましたが、車両は113系がB-12編成、そして115系 A-17編成、D-19編成と続き、ラスト5枚がD-30編成です。
-安芸もみじ⛩️広島-