サロンカーなにわ 40周年記念号
今から40年昔、東京と大阪にて日本で初めてとなる欧風客車の製造が、ほぼ同時に着手されました。
一足先に落成したのは、東京南鉄道管理局 品川客車区のサロンエクスプレス東京で、1983(昭和58)年8月17日に一般公開されました。
3日後の20日より営業運転を開始しましたが、当初はスケジュールの都合により5両編成で運用開始となり、10月1日からフル編成の7両での営業運用となりました。
サロンエクスプレス東京から遅れること約1ヶ月、9月24日にデビューしたのが大阪鉄道管理局 宮原客車区の、サロンカーなにわでした。
サロンエクスプレス東京とサロンカーなにわのデビューによって、新しくジョイフルトレインと呼ばれるジャンルが誕生し、新しい旅の形の提供 の始祖となりましたが、その呼称は大阪局の旧型客車 スロ81系お座敷列車が原点だったりします。
サロンエクスプレス東京とサロンカーなにわはデビュー直後、日本一周ツアーが実施されて日本のクルージングトレインの走りともなりました。
サロンカーなにわは大阪の車両なので稀ではありましたが見かけることもありましたが、サロンエクスプレス東京はこの時に広島運転所で一般公開され、人生で数度出会った内の1回目となりました。
サロンエクスプレス東京は全車両が個室コンパートメントだったので、バブル景気の末期には利用率が低下しており、1997(平成9)年には和式客車 ゆとり への改造され、2008(平成20)年3月31日付けで廃車となりました。
国鉄末期からJR発足しばらくは全国にジョイフルトレインが活躍しましたが、今でも現役であるのはお召し列車の運用もこなせる、サロンカーなにわのみとなっています。
JR西日本管内でお召し列車として使用される時には、5両に減車されて、天皇陛下及び皇后陛下がご乗車されるスロフ14-703は、の窓ガラスが防弾仕様となっています。
運転記録としては1994(平成6)年5月21日 山陰本線 岩美 → 浜坂、5月23日 播但線 竹田 → 姫路間、11月18日 山陰本線 益田 → 浜田間、11月19日 山陰本線 浜田 → 東萩間。
1996(平成8)年9月16日 のと鉄道 七尾線 和倉温泉 → 能登線 珠洲間、1997(平成9)年10月27日 紀勢本線 広川ビーチ → 白浜間。
2003(平成15)年10月5日 山陰本線 松江 → 浜田間、10月6日 浜田 → 山口線 津和野間、2011(平成23)年10月31日 山陰本線 鳥取 → 倉吉間となっています。
尚、2003年以降の運転では初めて日章旗と菊のご紋章が掲げられましたが、それ以来においてお召し列車は運転されておらず、車齢を考慮するといつまで現役でいてくれるのかは、誰からも気がかりとなっています。
サロンカーなにわはサロンエクスプレス東京と共に、完全な新製車両として誕生したのではなく、特急形客車14系を改造して登場しました。
14系客車は寝台車 オハネ14・スハネフ14・オロネ14してオハネ15・スハネフ15と、食堂車 オシ14、座席車 オハ14・スハフ14からなる形式で、両車の誕生によりオロ14とスロフ14が加わりました。
今年の9月でオロ14とスロフ14としては40周年ですが、種車としては昭和49年度第2次民有車両として予算が組まれ、1975(昭和50)年に落成しています。
車齢としては48歳を迎えていて、鉄道車両は原則として50周年を迎えないと言うのもあり、来年は北陸新幹線の延伸開業もあって、その動向が気がかりとなっています。
と言うことで、以前も言っているのですけど、その全ての運転にお出かけできる訳ではありませんが、できる限り行ける時には行っておこうと考えています。
今回は11月3日 文化の日で、4年ぶりに広島車両所公開が開催されると言うことで、大阪駅での撮影でトンボ帰りまいました。
前日は遅番で就寝したのが午前2時、4時起きで6時の新幹線なので、連休ではあるものの金沢からの帰路列車は撮りに行かず、しっかりと睡眠不足を解消する予定にしています。
過度な睡眠不足は5年後の生存率を著しく低下させる要因なので、心臓に負担をかけないためです。
先月に続いて今月も、サロンカーなにわに会いに行けたので、そこは素直に「良かった!」と思いながら、しっかり睡眠をとりますね。
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今日は「いい推しの日」のようで、流れから行くと「サロンカーなにわ」と答えるところなんでしょうけれどよ。
やはり″推し″なら生きた女性じゃないと(笑)
と、言うことで、私はブレませんよ。
儚依ゆずさんです。