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みなさんこんにちは。前回からの続きです。
おらが街「東大阪市民美術センター」で今夏に開催された、特別展「みんな大好き!近鉄電車のデザイン展」を訪問した際の様子をお送りしています。
京都と奈良を結ぶ「近鉄京都線」について取り上げています。
その前身は昭和初期に開業した「奈良電気鉄道(奈良電)」という近鉄と京阪による合弁会社でした。近鉄の路線になったのは1963(昭和38)年10月と、比較的最近のこと。近鉄京都にて。
みなさんこんにちは。今日の話題です。
https://ameblo.jp/kyle-of-lochalsh/entry-12827004731.html
前回は、大阪梅田のシンボル「マルビル」が解体工事さなかで、新マルビルが建設される間、跡地を万博会場へのシャトルバス発着場に転用する、という記事でした。2023(令和5)年11月3日アップ。
おそらくこれから開幕に向けて、万博にまつわるものごとが大阪では身辺に溢れて来るのではないかと察します。
1970(昭和45)年、先の千里での万博同様、大阪の街が万博を機にどのような変貌を遂げるのか。個人的には大変興味深く期待しています。
今日はこんなところです。
みなさんこんにちは。前回からの続きです。
おらが街「東大阪市民美術センター」で今夏に開催された、特別展「みんな大好き!近鉄電車のデザイン展」を訪問した際の様子をお送りしています。
わたしはこの頃は生まれたばかりでしたので、当然ながら見たり乗ったりはしたことがありません。しかし、スピード感ある顔つきに2階建てですから、乗ってみたかったです。
そして平成が近づく中、まさに劇的なデビューを果たした特急車両がありました。
「21000系 アーバンライナー」です。
次回に続きます。
今日はこんなところです。
(出典①「近鉄80年のあゆみ」近畿日本鉄道編・発行 1990年10月)
みなさんこんにちは。前回からの続きです。
みなさんこんにちは。前回からの続きです。
みなさんこんにちは。前回からの続きです。
おらが街「東大阪市民美術センター」で今夏に開催された、特別展「みんな大好き!近鉄電車のデザイン展」を訪問した際の様子をお送りしています。
続いて「わか江いはた」と「こさか」。
「若江岩田」は、市内中南部に当たるところ。南の「第二寝屋川」を境に、八尾市に至りますが、そのあたりの地名がちらほらと。これらは現在でも、若江岩田や河内花園の駅勢圏です。
そして「河内小阪」。
若江岩田との間には「府道大阪中央環状線(中環)」や「近畿自動車道(近畿道)」で地域は区切られていますが、これらははるか後、1970〜80年代に開業したもの。それまではやはり、田園風景が広がるのんびりとしたところ。
余談ですが「菱江(ひしえ)」は、父方の祖母の生家。よくお邪魔しました。懐かしいです。
「御厨(みくりや)」など含め、現在は「近鉄けいはんな線」や「OsakaMetro中央線」が乗り入れる「荒本(あらもと)」「長田(ながた)」「高井田(たかいだ)」も、概ねそのようでした。荒本にて。
ところで、小阪駅で案内されている地名の中に「稲田(いなだ)」というものがありました。
もうこのあたりは市内でも北西端、最寄り駅は「JR学研都市線(片町線)」の「徳庵(とくあん)」や「鴻池新田(こうのいけしんでん)」がそうです。
小阪からですと、だいたい北東に7〜8kmはあります。とても歩けるような距離ではないのですが、とはいえ、戦前の人々はこれくらい普通に歩いていたのでしょうね。
しかし、想像以上に各駅から遠いところまでの利用を想定していたことに驚くのですが、いまのように便利な路線バスが走っていたでもなくおそらくは、電車を降りてから延々と徒歩移動だったはず。大変なカルチャーショックです。
近鉄八尾駅前から、JR住道(大阪府大東市)に至る近鉄バス43号系統。利用客が多く、頻発している路線です。若江岩田駅前にて。
いまの、LCDやLEDを用いた車内案内表示につながる幕式の巨大な行先表示器。手がこまれているところ、わかりやすさを追求したところなどは、昔もいまも変わらないものなのだなと感心します。いや、いいものを拝見出来ました。
次回に続きます。
今日はこんなところです。