番外 延岡駅起終点の路線、時刻表で振り返る、今はなき国鉄→JR→TR高千穂線の変化 | コウさんのコウ通大百科 PART3
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コウさんのコウ通大百科 PART3

鉄道・バスを中心としました記事を毎日更新しています。
(平成24年1月〜平成30年3月の記事はPART2の内容です)

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 当ブログでは番外におきまして、宮崎県延岡市の中心駅でありまして、運行形態もこの駅を境に変わります延岡駅の話題をご紹介しておりました。

 この延岡駅は、画像1のように現在建て替え工事が行われておりまして、画像2にあります旧駅舎とは大きく様変わりつつあります。また、この駅ビルは「エンクロス」と呼ばれる事になっておりまして、「TSUTAYA」などと言った店舗が春に開業予定となっておりますが、現時点で「TSUTAYA」などの開業は遅れているのが現状との事であります。

 それでも、駅機能やコンビニの営業は既に行われておりまして、JR利用者には不自由がないようにはなっているようであります。やはり、駅機能まで乱れては利用者にも利用しにくいと言った動きも見えてしまいますからね。


 さて、そんな延岡駅でありますが、実はかつてこの駅から高千穂まで結ぶ鉄道が平成20年まで存在しておりまして、この鉄道の名称は「高千穂鉄道」と言う鉄道事業者が存在しておりまして、建て替え工事前までは画像のような乗場跡さえ存在しておりました。
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 この高千穂鉄道は、平成元年にJR高千穂線から転換しました第3セクター鉄道でありまして、その前に国鉄時代が昭和62年までありましたが、それからJR九州として2年間保有しました後に、第3セクターの高千穂鉄道としまして19年間存在しておりました。

 元々は、こちらも第3セクター鉄道となっております南阿蘇鉄道の前身であります、旧国鉄高森線と結ぶ予定でもあった訳でありますが、この区間も昭和50年に発生しました、現在は「高森湧水トンネル公園」となっております高森トンネルで発生しました異常出水事故や、その後の国鉄再建法の成立によりまして工事が凍結されてしまいまして、残念ながら双方の間を結ぶ事はできませんでした。したがって、結ぶ事ができなかった分、「盲腸線」と言う形となってしまっておりました。


 その後、JR高千穂線から高千穂鉄道となりまして、後述のように国鉄時代から増発を行いまして、利用者の増加を図ったりもしておりましたが、平成17年に発生しました「台風14号」によりまして高千穂鉄道の各所で被害が発生した事から、以来高千穂鉄道全線で休止となりまして、運行再開を待っておりましたが、結局平成19年に運行再開を断念しまして、先に延岡~槇峰(宮崎県日之影町)間が廃止となりまして、さらに翌平成20年暮れには被害が少なかった槇峰~高千穂(高千穂町)間も廃止となりまして、結果全線が廃止となってしまったのでありました。


 この廃止の理由も、以下画像の高千穂橋梁を含みます高千穂地区に関しましては被害は少なかった訳ではありましたが、延岡・北方・日之影地区に関しましては被害が多く、特に第一五ヶ瀬川橋梁・第二五ヶ瀬川橋梁と言った橋梁が流失するなど全線にわたって被害を受けた訳でもありますが、この復旧工事に関する費用も、宮崎県や沿線自治体が復旧費用の負担に難色を示した事もありまして、高千穂鉄道としての復旧・運行再開を断念し、結局全線廃止と言う流れとなっておりました。

 (旧・高千穂~天岩戸間)
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 (高千穂橋梁)
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 その後、廃止時に在籍しておりました9両もそれぞれの道を歩み始めまておりまして、トロッコ用でありましたTR-400形気動車に関しましては2両ともJR九州に譲渡されまして、以下画像のように「海幸山幸」用としてキハ125形400番台気動車に改番されまして運行されておりますし、TR-200形気動車201号が阿佐海岸鉄道に譲渡されまして、ASA-300形気動車301号として使用されております。

 (キハ125形400番台気動車「海幸山幸」)
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 尚、それ以外の車両に関しましては、TR-100形気動車のTR-101・202に関しましては新たに開業しました「高千穂あまてらす鉄道」によりまして旧高千穂駅にて保存(101)・運転体験用の車両(202)として使用されまして、それ以外に関しましてはTR-104・105は日之影町の日之影温泉で列車ホテルとして静態保存されておりますが、TR-102・103に関しましては残念ながら解体されまして現在に至っております。


 そんな廃止されてしまいました旧高千穂線でありますが、ここからは私が所蔵しております時刻表によりまして国鉄・JR・TRとしての時刻の変化をご紹介してまいりたいと思います。


 まずは国鉄時代末期の昭和60年の時刻であります。

 (南延岡・延岡→高千穂)
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 (高千穂→延岡・南延岡)
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 当時は延岡~高千穂間で上下各6本、延岡~日ノ影間が上り1本・下り2本、高千穂~日之影間が下り1本しか運行されておりませんでした。また、始終着としまして南延岡発着の列車が存在しておりましたが、当時は南延岡駅に機関区が存在しておりまして(現在はパチンコ屋となっている部分、NO.1624参照)、そこに所属しておりましたキハ20形気動車がTR化まで運行されておりました。また、当時は日ノ影駅にて車両の滞泊が行われておりまして、2列車が滞泊しておりました。


 次は、JR化後の平成元年の時刻であります。

 (南延岡・延岡→高千穂)
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 (高千穂→延岡・南延岡)
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 この時刻が、JR高千穂線としては最後の時刻となりましたが、JR末期の時点でも運行本数は変わっておりませんでした。それでも高千穂線の始発列車は日ノ影駅を4時49分と4時台にに発車しておりまして、先述の昭和60年からしますと10分は早くなっておりました。尚、車両はこちらも先述のようにキハ20形気動車が引き続き運行されておりました。


 次は、TRとなりまして3年3ヵ月後であります平成4年7月の時刻であります。この時には、JR九州内では787系電車が登場しまして「つばめ」としてデビュー、キハ185系気動車の一部車両がJR四国から移籍しまして新たな特急「ゆふ」・「あそ」が登場したなど明るい話題もありましたこのダイヤ改正時でありましたが、この時の時刻が以下の時刻でありました。

 (延岡→高千穂)
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 (高千穂→延岡)
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 また高千穂鉄道も、平成元年の転換時に新たに車庫を高千穂駅に新設しまして、結果全列車延岡~高千穂間で運行されると言う流れになっておりました。また、運行本数も上り13本・上り14本と、JR末期の時点からしますと本数が倍に増えているのもお分かりいただけるのではないかと思います。

 尚、時刻表にあります快速列車は、「たかちほ号」と呼ばれるパノラマカーでありましたTR-300形気動車が運行されていたものでありまして、現在はキハ125形400番台気動車となりました、平成15年導入のTR-400形気動車「トロッコ神楽号」が運行されるまで運行されておりましたが、その後未成線沿いにあります高千穂町内の酒造会社の施設において喫茶店として現在に至っております。


 そして、運行休止1年前の平成16年の時刻であります。この時には、JR九州内では九州新幹線が新八代~鹿児島中央駅間で開通した頃でありまして、南九州の観光もこれから盛んになって行く頃でもありましたこのダイヤ改正時でしたが、その時刻が以下画像であります。

 (延岡→高千穂)
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 (高千穂→延岡)
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 運行本数も、上り14本・下り15本となっておりまして、このうち上り1本・下り2本では先述の「トロッコ神楽号」が運行されておりました。本当にこの本数を見ましても、高千穂鉄道が沿線の足であった事が見ていて伺えるようでありました。



 そして、翌年の災害に至る事になります。末期の時点でも上の画像の時刻とほぼ同一でありまして、国鉄・JR時代と比べましても倍にまで本数が変化しまして利用しやすくはなっていたのではないかと思いますが、自然災害によりましてこれが立ち消された事は残念でなりません。しかも、この鉄道も赤字であったようですが、JRの場合ならばもしかしたら再開できていたのかもしれなかったのが、様々な理由もありまして再開できなかったのが残念ではなかったでしょうか。

 (北方地区廃線跡区間)
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 本当に、さかのぼってみましても悲しい末路ではなかったかと思います。もちろん、災害がなかったのであれば、現在も高千穂鉄道自体は存在していたのではないかとも思われますし、私も利用していた事でしょうか。現在、この廃止されました区間では以下画像のように宮崎交通の路線バスが本数自体も高千穂鉄道の休止前並みの本数で運行されておりますし、高千穂橋梁付近までは高千穂あまてらす鉄道が観光用としてトラックなどを改造した車で運行されておりまして、観光資源としての姿を見せております。

 これからも、この高千穂鉄道廃止に関しましては残念ではありますが、これら路線バス・観光鉄道が地元沿線の足、及び観光の目玉として運行・利用していただきたいと思う所であります。
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