父は、自分の記憶が短くなっていることに初期のうちはわかっていたようです。
いつも行く内科の先生には、あとでわかったのですが、相談をしていたようで薬も出してもらっていたということがわかりました。
このことを知ったのは、私が病院へ一緒に行くようになってから少し経ってからのことでした。
ただ、母には、その話をしていなかったようで父が記憶が短くなってきたことを気が付いていなかった母でした。
だから、最後まで母は、父が認知症だということを認めず。
母自身が認知症になってからは、自覚がない認知症でした。
そして、この頃には、父も自分は、ものを忘れることがあるということ自体を忘れるようになっていて、二人とも認知症という言葉もわからず、痴ほう症という言葉は、覚えていたのですが。
ですから、認知症とは思っておらず、自分たちの記憶が短くなっていくことでさえ、わからなくなっているようでした。
ですので自分でものをおいて忘れてしまっても自分が忘れたのではなく、人がどこかにしまったと思っているようなところがあり、何度も何度も怒り、なぜ、ものを隠すんだということもありました。
これがパニックへとつながり、ものが見つかるまで探すということになり、それで人をたたいたり、怒ったりの繰り返しが続きました。
あの父の大きな声は、今も耳に残っています。