先日、東京・多摩市の東京都埋蔵文化財センターを覗いた折に他館展示案内として貼ってあったポスターを見かけて、「面白そうかも…」と思ったのがきっかけでして。目黒区にあります東大駒場博物館へと出かけてきたのでありますよ。

 

 

正式名称を東京大学大学院総合文化研究科・教養学部駒場博物館と。なんとも大仰な名称ですが、建物の方も歴史が感じられるところがありますな(好みは別として)。ともあれ、先にポスターを見かけた開催中の特別展は「変わる高さ、動く大地-測量に魅せられた人々の物語-」展というものです。

 

 

「近代から現代までの300年にわたる測量の歴史を科学的かつ文化的な切り口から辿ります」(同館HP)とありましたので、測量、地図と聞いてつい「ピクン!」として出かけていきましたですが、解説パネルにある内容がなかなかに難しく、「やっぱり東大レベルというのがあるのかいね…」と思ったりも(笑)。やがて展示内容をまとめて書籍化するような方向らしく(ですので、展示は一切撮影不可)、それだけに学術書を意識した記載になっているのかもしれませんですね。

 

そんな具合ですので、あれこれ展示解説を見て回るも「!」と思ったことを断片的に振り返るの精一杯でありまして。まあ、西洋の見方でしょうけれど、世界は神が創造したものであるから、とにかく美しくあらねばならないてなあたりが、学問発展の制約となってきたことは想像に難くないとしても、学者の方は大変だったろうなあと。

 

むしろ古代ギリシアやローマの方が測量・観測に基づいてきちんと地球は丸い天体で太陽の周りを回っている(要するに地動説ですな)と認識するものいたわけですしね。後に地球が丸いという理解が広がるにしても、神の下では地球は完璧な球体であってこそ美しいとされたりもしたでしょうしね。

 

さりながら科学の発展に伴って、地球が完璧な球体だとするには無理があるとだんだんに分かってくる。地球を科学の対象物としてあちらこちら測量して廻る人たちが出てくると、完璧な球体としたのでは合わない誤差が生じたりしてくるのですから。結果、ニュートン曰く「地球は扁平楕円体である」としたようで。

 

ですがこうしたところを受けて、18世紀前半にフランス王立アカデミーを揺るがす大問題が生じたと。地球がレモンのように両極に対して「偏重」であるのか、はたまたオレンジや柿のように赤道が平べったい「扁平」であるか、喧しい議論が展開したのであると。今から考えて、と言う以上に素人考えになりますが、完全球体という縛りがなくなったらば、レモンのような形とはずいぶんとユニークな発想が出て来たものだとも。もちろん、それなりの科学的(と思しき)根拠があってのことではありましょうが。

 

ちなみに、世界が神の被造物で美しいものとする考えからしますと、地表面をでこぼこと覆う山地は地球にできた醜い「あばた、おでき」のようなものであって、人間の犯してきた罪がかようなでこぼこを生じさせたのであると、17世紀までは真剣に考えられていたようで。今でこそアルプスの風景を眺めれば、神々しく美しいなんつうふうに受けとめるところながら、欧州でアルプスの美しさが「発見」されたのは18世紀以降のことなのだそうでありますよ。近代アルピニズムの幕開けはこのあたりと関わり深いところなのでしょう。

 

ところでアルプス発見という認識の変化に至った背景には、望遠鏡による観測が関わってもいたようで。ガリレオ以来、望遠鏡を用いた天体観測が盛んに行われるわけですが、最も観測しやすい月を眺めて見れば、その表面はでこぼこだらけであったと知られるようになりますな。要するにクレーターです。しかしながら、どう観測しても(ウサギはもちろんのこと)人間の住まっているようすのない月にでこぼこが生じているからには、地表面のでこぼこが人間の罪の結果であるはずがないと。よくよく見れば山々の風景は雄大で荘厳ではないか。むしろこれに登ることで神に近づけるのではないかと思ったかどうかは分かりませんが、どんどんと高峰征服が成し遂げられていったようで。

 

一方、日本でも昔々の陰陽師も、江戸時代の天文方も観測・測量は独自路線で行われてきたわけですが、そも平安京が碁盤の目状に区画された都市として造成される際には太陽の観測によってきっちりした東西南北を見極めたのだとか。ところが、後々に徳川家康が設けた二条城の区画は地図で見ても分かるくらいに、微妙に傾いているのですよね。これは「方位磁石を用いて方角を決めたため」であるとか。おそらくは当時の知見として最新の?方位磁石を家康が使い違ったのかもしれませんが、地軸の真北とはズレている地磁気の「偏角」が知られていなかったのかも。といって、二条城が碁盤の目から微妙に傾いていることなど、全く知りませんでしたけれど…。

 

てなことで、測量や観測の科学的側面に踏み入るのは難しいこととしても、地図を見るだけでもいろいろ発見があることが分かるわけですね。ですが、地図との馴染はひとそれぞれ、第一、学校の科目に地理はあるも高校では選択科目だったよなあ…と思い返していたところ、2022年度から高校では「地理総合」が必修化されていたそうな。およそ50年ぶりの必修復活であると。

 

文科省(と言うか国でしょうか)の思惑としては「「グローバル化する国際社会に主体的に生きる平和で民主的な国家及び社会の有為な形成者」を育成するために」必要ということらしいのですが、今や地図といえばもっぱらスマホを通して、その場その場のミクロ情報に頼るようになっているご時勢、果たしてどんなことになっていきましょうかね。

 

ただ、今回展示を開催した東大では以前から「地理」をして来ているという話も。理由のほどは駒場博物館HPの本展紹介欄に「今を生き抜く基礎知識のひとつ・地理は、「文理融合」や「領域横断」が語られるずっと前から総合的な学問です」と記されていることからも窺えるような。たぶんその通りなのだろうと思いますが、受け身な言い方で恐縮ながら、その総合的な学問である「地理」の魅力を伝えてくれる教員に出会えるかどうか、これが分かれ目になりましょうなあ。個人的には残念ながら…と言っては当時の教員に叱られましょうかね。「お前の努力が足りないだけだ!」と(笑)。