鳥取・倉吉の本町通りあたりをぶらりとしていて、ふいと目に留まったのがこの解説板なのですなあ。「里見八犬伝ゆかり 忠臣八賢士の墓」とありまして、すぐそばには公開間際(訪ねた時点で)の映画『八犬伝』のフライヤーが貼ってあったりも。
里見氏は戦国時代安房国(千葉県)を本拠として近隣に勢力を延ばしていたが慶長十九年第十代忠義の時、幕府の勘気に触れ倉吉神坂地内へ配流された。江戸時代代表的小説「南総里見八犬伝」のモデルと伝えられている忠臣八賢士も供として倉吉に居住し、忠義公に続いて殉死をし、大岳院の一隅に祀られている。ここから東へ約2分です。
最後まで読んで「ここに墓がありますという看板ではないのであるか…」と、「なあんだ」感を募らせたものでありましたよ(笑)。もっとも滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』のことは、名字に「犬」の字が付いた8人の剣士が活躍する話なのであろう…くらいのことしか知らないものですから、実際に墓があるという大岳院まで出向くことはしませんでしたけれど。
ですがこれによって倉吉が実在の里見家と関わりのあることは分かりましたので、後付けながら「倉吉 八犬伝」をキーワード検索してみることに。すると、「倉吉八犬伝公式サイト」なるものがヒットしたものですから、公式サイトを作ってしまうほどに倉吉は八犬伝推しであったのかと。
さりながら、サイトを開いて改めてびっくり!ホストクラブの広告かぁ?(といって実際にホストクラブの広告を見たことはありませんですが)と、八剣士の面々がいわゆるアニメのイケメン・キャラで勢ぞろいしていたものでして。どうやら、400年の時を超えて現在の倉吉にタイムスリップした八剣士が町なかに起こる怪事件(玉梓の怨霊の成せる業かと)を解決するという物語設定があって、あちこち出向く先が実は観光案内になっているという具合のようですね。
Youtubeには『倉吉八犬伝~時代を越えてお仕えします~ドラマツアー」なる動画が挙がっていたものですから、ついつい見てしまったという。アニメといっても、キャラ画像に動きは無しでもっぱらセリフで進行するという予算削減型PR映像となっていたのはご愛敬かと。ともあれ、八剣士が倉吉の町なかをうろちょろする中では、昼飯を食した日本料理店ほか、「あっ!ここ、知ってる!」という店やら景観やらが次々と現れてきて、ついこの間行ってきたのだあねという向きにはそれなりのお楽しみとなったものでありましたよ。先に見た映画『男はつらいよ 寅次郎の告白』と同様ですなあ。
と、ここまでのところが話の前段でありまして、「あっ!ここ、知ってる!」というお楽しみは何も視覚的なところに頼るばかりではないのであるよなあと、中島京子の『うらはぐさ風土記』を読んでいて考えたりもしていたのであると。
30年ぶりにアメリカから帰国し、武蔵野の一角・うらはぐさ地区の伯父の家にひとり住むことになった大学教員の沙希。そこで出会ったのは、伯父の友人で庭仕事に詳しい秋葉原さんをはじめとする、一風変わった多様な人々だった。コロナ下で紡がれる人と人とのゆるやかなつながり、町なかの四季やおいしいごはんを瑞々しく描く物語。(「集英社文芸ステーション」HP)
かようなお話なのですけれど、近作の『やさしい猫』が在留外国人と入管施設という、いわば時事ネタを扱っていただけに、今度は「空き家問題」であるか?と。アメリカから帰国した主人公が住まうことになった伯父の家というのが、いわば対処されるべき空き家状態でもあったものですから。
冒頭の一篇「しのびよる胡瓜」では、しばし空き家となっていた叔父の家のささやかな庭に正体不明の植物が伸びてきて…てなことでもありますが、先にも触れましたように、まさに自宅の目の前にある空き家では、日がさんさんと降り注いだ夏を経て、雑草がここまで伸びるか?!というほどになっていて、こりゃ、他人事でない…てな意識が、そんなふうに思わせたのでもありましたよ。ちなみに目の前の空き家の雑草は、敷地内まで手は出せないものの、周囲の壁沿いにはみ出したところは思い余って狩り込んだ次第。特大ゴミ袋で5~6袋分になりましたなあ。
それはともかく物語の主眼は空き家にあったのではなくして、東京西郊の変わりゆく町並みと一方で変わらない町並みとのせめぎ合いみたいなところが描かれていたのでした。最初のうち、舞台となっているのは雰囲気的に聖蹟桜ヶ丘とか多摩ニュータウンとか、そのあたりのイメージで読んでいたのですけれど、どうやらそこまで新しいふうでないし、もそっと都心に近そうな…と思ったときに、「そうであったか?」と。
作者の出身校が東京女子大学であったことに思い至りますと、「ああ、西荻界隈なのだなあ」と気付くことに。話の中にうらはぐさ八幡宮で流鏑馬神事が行われるてなことが出て来て、「うらはぐさ」のオリジンは井草であったのかと。井草八幡宮で流鏑馬神事がありますものね。そうなると、そこここのイメージに「あっ!ここ、知ってる!」感が大きく湧き起こってきたものでありましたよ。
まあ、きっちりここはどこですと明示する話ではありませんし、東京近郊の普遍性を醸す意味からも架空の「うらはぐさ」という地名が付けられているのでしょうけれど、一度気付いてしまうと「ここはここ、あそこはあそこ」と想像せずにはいらないくなったりも。これがまた楽しからずやだったりもするのですよねえ。そうはいっても、あまりに実際と直接的に結びついては普遍性を損なうところがありましょうから、最初に多摩地域を思い浮かべたあたり、作者が八王子市にも住まっていたことを考えれば、多摩地区ブレンドになっているのかも。あながち得た印象は間違っていないのかもしれませんですね。普遍性を云々するならば、そんな想像は詮無い話なのですが、やっぱり「あっ!ここ、知ってる!」感はお楽しみに通ずと言えるのではありませんでしょうか。