Jitchanの誤読日記
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Jitchanの誤読日記

読んだ本の中でおすすめできるものの紹介をしていきます。その誤読ぶりを笑うもよし、怒るもよし、共感するもまたよし。
※ミステリの感想はネタバレなしを原則としています。

・FC2ブログに書いた記事を再録することがありますが、その場合書籍情報など一部情報を最新のものに変更しています
・2020年6月25日~7月7日:FC2から移行した記事の修復(カテゴリの見直し、書籍画像の復活など)が「本の感想」を除き終了しました。「本の感想」はこれからぼちぼちと修復ないしは再録していきます。
・2020年5月28日:FC2からAmebaに移ってブログを再開しました。2016年以前の記事は、FC2の(ほぼ)同題のブログから移行したものです。移行した記事の中には、若干の改変(書籍などの情報を最新のものにしているなど)を行っているものがあります。
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これがほんまの四国遍路 (講談社現代新書)

 

定年退職直後の2013年春から2年がかりで四国遍路(区切り打ち)を行ったが、そのとき、本書の元となった著者のブログには大いに助けられた。

一例をあげれば、リュックにチェストバッグを併用したのは、負荷を背中だけでなく前後に分散させる振り分け荷物方式がよいという著者の主張に共感したからだし、2度目の区切り打ちから金剛杖をやめてトレッキングポールに変えたのも「金剛杖は使いづらい。1本よりも2本の方がいい」という著者の考えが正しいと分かったからである。

四国遍路の成り立ちと社会的な意味について語る前半部も卓見に満ちて興味深いが、なんといっても本書の真骨頂は後半の実践編にある。

本書の素晴らしさは、既成概念にとらわれない独創的でユニークな、それでいてバランスの取れた考え方にある。

遍路にとって優秀な靴とは、足に負担をかけず、マメができにくい靴のことだと定義したうえで、著者は安物のスニーカーを推奨する。高くていろいろな機能がついた靴は重くて体力を消耗させるだけだという。そのうえで、ここからがすごいのだが、靴の前方両側に2カ所の大きな切り込みを入れて、水が入りやすく出やすい構造にすることによりマメをできにくくする。さらには靴紐の結び方も独創的な方法を提案する。このあたり詳しく書くと長くなるので、関心のある方はぜひ本書をご覧になっていただきたいのだが、要するに、西洋式靴の「足と靴の一体化」を避け、「靴のゲタ化」を図るのである。

これは、理屈は納得がいくものの、少し大胆すぎて私の四国遍路では採用する勇気が出なかったが、先日行った山陽道歩きで大きなマメを二つ作り難儀したので、次回はこれを試してみたいと思う。

その他、先に書いた振り分け荷物方式や2本杖方式、お遍路グッズのいる・いらない、など装備に関するノウハから、「決まった遍路道などない。少しでも楽な道が遍路道だ」「逆打ちコースのデマ」、おすすめの道といったルートに関するノウハウ、持っていくべき地図や宿の取り方など、文字通り「既成概念にとらわれない独創的でユニークな」、そして目から鱗のアドバイスに満ちている。

これから遍路に行く方は、そしてすでに始めている方も、目を通しておく価値のある本である。

付け足しになるが、著者はあとがきで、「日本中どこへ行っても同じような街ばかりになって面白くない」というよくある感想に反論して、「旅の楽しみとは旅先の土地の(表面的な顔の下にある隠れた)正体を見破ることにある」と言う。これにも大いにうなづかされた。

 

邪馬台国は別府温泉だった!~火山灰に封印された卑弥呼の王宮~(小学館新書)

 

 ぼくは邪馬台国の謎には目がないので、新しい説が出てくると読まずにはいられない。

 

 この本は、魏の使者の日本上陸地点について意表を突く、そして納得性の高い説を打ち出していて注目に値する。

 

 魏志倭人伝の行程記事(方位と距離)だけを根拠に邪馬台国その他の国の位置を比定するという方針が素晴らしい。南を東の誤りだとしたり、距離を勝手に伸ばしたり縮めたりする説にはもううんざりで、こういうシンプルでストレートな解法を歓迎する。(そういう意味でもはや邪馬台国畿内説はありえないと思っている。)

 

 この本で特に感心したのは、魏の使者の上陸地末盧国を、定説となっている松浦半島ではなく、北九州市の枝光とした点。きわめて納得性の高い説で、ぼくはこれまで末盧国=松浦であることをまるきり疑っていなかったが、この本の説を読んでからは、もはや末盧国=松浦ではありえないと思えるようになった。

 

 この本の弱い点は、邪馬台国その他の国の位置を比定する根拠がほとんど方位と距離だけであること。最も弱いのは、魏志倭人伝には邪馬台国の風土に関する詳しい記述があるのに、別府の特徴である湯けむりや硫黄臭に関する記述がいっさいない点についての説明がきわめて納得性の低いものであること。別府付近では邪馬台国が存在したことを示すような大規模な遺跡が残っていないなど、それ以外にも多数の疑問があって、それらを総合すると本書の説を全面的に受け入れることはできない。

「会稽東治の東」や「狗奴国」など、触れられていない重要な謎があるのも不満。

 

大聖堂(上) (SB文庫)

 

大聖堂 (下) (ソフトバンク文庫)

 

《2006年7月8日にFC2ブログに書いた記事の再録です》

 

出ました! じっちゃん初の満点本! \(∇⌒\)☆オ☆メ☆デ☆ト☆ウ☆(/⌒∇)/

いやあ面白い、面白い。大傑作です、おススメです。帯で喜国雅彦が「帯の推薦じゃ、もどかしい! 売り場に立って、片っ端から押しつけたい面白さ!!」と言ってますが、よくわかりますその気持ち。

上中下三巻の大著です(※1)が、よどみなく一気に読みきってしまいました(※2)。「読み出したらとまらない」とはこの本のためにある言葉でしょう。読み終えるのが惜しいと久々に思った読書体験でした。

※1:実は僕の場合原書で読んだので、一巻こっきりでしたが(;^_^A
※2:といっても原書だし、通勤電車の中だけで読んでたので約1ヶ月半かかりましたが。

大聖堂を作ることに人生を賭けた親子二代の物語って聞いただけで、もうわくわくしてきちゃいます。波瀾万丈が約束されてるって感じですよね。

読み始めると実際波瀾万丈なんですが、その波瀾万丈ぶりが半端じゃないです。万丈どころか億万丈って感じ。なにしろいきなり主人公(トム)一家が飢死にしそうになるとこから始まりますからね。そこからもう山あり谷あり、ヒマラヤありマリアナ海溝あり。生と死、愛と離反、苦難と喜び、苦悩と希望。もうてんこ盛りです。

テーマがテーマだけに当時の建築技術についてもたっぷり書き込まれており、技術屋の僕にはそれも楽しかった。立ちはだかる建築上の難問の数々を職人魂と知恵で次々と解決していくさまに快哉を叫びつつ大いに共感を覚えました。

トムと一緒になって大聖堂建築に命を懸けるもうひとりの主人公・キングスブリッジ修道院長フィリップの人生も半端じゃありません。彼には生涯のライバルがいて、そのライバルの権謀術数がすさまじい。最初はフィリップの方がやられっぱなしですが、やがて反撃に転じます。2人の手に汗握る駆け引きがこの小説のもうひとつの読みどころです。

文字通り一難去ってまた一難の状況がフィリップを襲います。それをフィリップはどう切り抜けていくか。掛け値なしにハラハラドキドキの連続です。あまりの苦難にさすが不撓不屈の精神の持ち主フィリップもくじけそうに、いや実際にくじけてしまうこともあり、そこから立ち直る姿が感動を呼びます。

ホント、これでもかこれでもかって主人公に試練を与えるこの本の著者のしつこさは半端じゃないです。トムやフィリップは七転び八起きどころか、二十転び二十一起きくらいはしているのではないでしょうか。このしつこさは日本人には真似できません。

日本にも建築家(築城家)親子三代の物語という『富士に立つ影』(白井喬司)があって、これもむちゃ面白いおススメ本ですが、やはり波瀾万丈ぶりでは『大聖堂』に一歩譲ります。

ストーリーの面白さに加えて、物語を彩る大道具、小道具もすばらしい。いい忘れましたが、この物語の舞台は12世紀のイギリスです。当時のイギリスでは、あたかもヘンリー一世死後、スティーブン王とモード女帝との間の世継ぎ争いが起きていて(そう言えば、あの修道士カドフェルの物語の時代と同じですね)、その抗争が見事にトムとフィリップの大聖堂建立物語に絡んできます。

さらには、当時の国王や領主といった政治的権力者や聖職者はもちろん、職人や商人、農民といった庶民、さらにはアウトローたちの姿や暮らしぶりがしっかりと描かれていることが、この本にリアリティを与えています。描かれているだけでなく彼らはきっちりと物語に絡んでき、それもこの本の面白さを倍加しています。

【じっちゃんの評価:★★★★★】

 

数学ゴールデン 1 (ヤングアニマルコミックス)

 

 数オリ(数学オリンピック)出場を目指す高校生を主人公に据えた漫画。まあ、数学オリンピックをテーマにした一種のスポ根漫画と言える。

 

 主人公の小野田春一を、数学の天才ではなく、第一志望校に不合格になるような普通の(と言っても頭はもちろんいい)高校生と設定したのがいい。可愛いけど、KYで不思議系の女の子を相方に据えたのもいいし、悪役(?)のロイヤル高校(春一の第一志望校)の生徒たち、学校の教師、春一と同じく数オリを目指す高校生たち、その指導教師など、登場人物のキャラが立っているのもいい。

 

 何よりいいのは、登場人物にもストーリーにも「熱」が感じられること。その一方で、過度に情緒的にならず、からっと乾いた明るさに満ちているのも素晴らしい。

 

 第1巻では、天才ではない春一が、周囲に馬鹿にされたり、はるかに実力が上のライバルと出会って衝撃を受けたり、格下の人間に追い抜かれて屈辱を感じたりしながら、それを乗り越えていく。それを見守る指導者やライバルたちの視線が温かいのが心地よい。

 

 この後に続く巻では、春一はもっと大きな挫折を味わいながら成長していく姿が見られるはずだ。それを見るのが楽しみだ。

 

【第163回 直木賞受賞作】少年と犬 (文春e-book)

 

 今年度上期の直木賞をとった話題作。

 

 6つの連作短編からなる。その最後を飾る表題作はよかった。

 

 東日本大震災の直前に交流があり、震災の直後に熊本に引っ越してしまった少年を追いかけて旅する犬。5年をかけて日本を縦断し、少年のもとにたどり着く。

 

 この梗概を聞いただけで、犬好きは読まずにはいられないだろう。ネタバレになるから詳しくは書けないが、犬と再開してから少年に起きる出来事には心打たれる。結末も感動的だ。ぼくは泣きました。

 

 それ以外の5作は、それなりに面白くは読めるものの、表題作と比べると作者の熱量が低く、登場人物も設定もストーリーもとってつけたような感じで、感心しなかった。ただし、犬に対する作者のまなざしは愛情に満ちていて素晴らしい。

 

「人の心を理解し、人に寄り添ってくれる。こんな動物は他にはいない」

 

 連作短編のひとつ「老人と犬」にある一節だが、そのとおりだと思う。

 

 

ぼくらの頭脳の鍛え方 必読の教養書400冊 (文春新書)

 

 現代日本の「知性」を代表する人物としてぼくが尊敬している人物のうちのふたり、立花隆と佐藤優が、現代の日本人が必要としている「教養」を身につける方法について論じた本。対談形式なので、それぞれが一方的に自分の言い分を言いつのるのではなく、共感したり反発したり、丁々発止のやり取りをしているのがよい。おふたりが推薦する400冊のブックリストも掲載されている(※)。

 ※発行年が2009年といささか古いのが難。

 

 ふたりの対談はきわめて刺激的で面白い。例えば、共産主義やファシズムなど誤った政治思想の根っこにあるのはユートピア思想であるとしたうえで、ふたりはこう発言する。

 

 立花「政治の基本は、ユートピアなんてものはないし、作ろうとすれば逆ユートピアを生むだけだったという歴史の現実を直視するレアリズムの認識から出発すべきです」

 佐藤「私もユートピア思想には反対なんです。日本ではこの思想がヒューマニズムという形で甦ってくる可能性がある。実はヒューマニズムというのは危険な思想なんですよ」

 

 昨今の日本の政治・社会状況を見ると、佐藤の発言に思い当たる点がある。佐藤の予言はすでに実現しかけているのではなかろうか。

 

 ふたりが口をそろえて言っているのが、官僚の能力低下、大学院のレベルの低さである。詳しくは書かない(興味のある方は本書を読んでください)が、ふたりの言っていることが真実ならば、まことに憂慮すべき事態である。

 

 ふたりの意見が対立する場面もある。例えば、乃木将軍の評価について。立花が乃木を「日本を誤らせた最初の人間だ」と断罪したうえで、「バカの一つ覚えのような決死隊の突撃をくり返させた乃木は部下の大量殺戮者ですよ。あの乃木を朝野をあげてほめたたえたところから、日本人の戦争観は狂ったものになってしまった。(中略)乃木は自分の過ちを知っていて、天皇の赤子を殺して申し訳ないという気持ちで、明治天皇崩御の直後に自決したんです」と口を極めて罵るのに対して、佐藤はこう激しく反論する。

 

「(私は)逆に、乃木は名将だったと思っています。彼が天皇に対して申し訳ないと思ったのは、西南戦争で薩摩軍に軍旗を奪われたことだと遺書に書いてあります。だいたい部下を殺したことに責任を感じて自決するような情緒的な人に、軍の司令官なんてやってられないですよ」

 

 さすがの立花もたじたじとしたのではなかろうか。もっともぼくの意見は立花に近い。

 

 ほかにも、カントの『純粋理性批判』の評価や、神についての考えなど、ふたりの意見が分かれる場面がいくつかあって、それが本書の読みどころにもなっている。

 

 ところで、佐藤は鈴木宗男事件で逮捕され、獄中生活を送っている。その経験を通して、冤罪が作られるメカニズムをこう説明する。

 

「結局、取調室という隔絶された環境の中で、優等生になっちゃうんです。相手の言うことに迎合したくなる、という心理が人間の中にあるんです。私も検事の取り調べを受けているうちに、その検事の人間性がいいことや、ほかの検事と競争していることがわかると、助けてやりたくなってくるんです」


 経験者の発言だけに重みがある(笑)。

 

 ふたりが推薦する400冊の図書はぼくにはいささかレベルが高すぎるが、これくらいの本を読めるようにならなくてはという気にもさせられた。今からでも遅くない、勉強し直さなければと、大いに触発された。特に、歴史、哲学、数学などの分野、それも読み物ではなくて基礎的なものを勉強し直す必要がある。

 

 そういうわけで、本書にあげられている本を含めて何冊かをアマゾンやブックオフに注文したところ。

 

 

 

やめてみた。 本当に必要なものが見えてくる、暮らし方・考え方 (幻冬舎文庫)

 

 今まで便利に使っていたものを、いったん立ち止まって、「待てよ、これ本当に必要なのか?」と見つめ直し、「やめてみたらどうなるか?」と試してみるコミックエッセイ。ひとことで言えば、当今流行りの「断捨離」を実践する本。

 

 著者が「やめてみた」ものを具体的に書くのは、これから読む楽しみを奪うことにもなるのでやめておこう。少しぼかして言えば、家電品から日用品といった具体的な物から、生活習慣、さらには心の中にまで及ぶ。

 

「これは自分もやってみたいな」というのもあれば、「これは無理」というものもある。すでに自ら実践しているものもあって「そうだ、そうだ、こんなのやめた方がすっきりする」と共感したりもする。

 

 漫画なのですらすら読めるし、著者の態度が一貫して「こうしてみたらこうだった」というものであって、「これはこうすべき」と上から目線で押し付けるものではないところも好感が持てる。続編も出ているようなので、そちらも読みたくなった。

 

ヤバい経済学〔増補改訂版〕―悪ガキ教授が世の裏側を探検する

 

《2006年7月20日にFC2ブログに書いた記事の再録》

 

いやあ、実に痛快で面白い本だった。

ほらよくあるでしょ。いわゆる「識者」ってやつが、テレビや新聞で、自分の「常識」だけでもって勝手な論評をすることが。いわく、「昔に比べて世の中悪くなった」とか「若者の凶悪犯罪が増えている」とか「キレル子供は食生活がよくない」とか。

そんなのを聞いていると、「お前らエラソーに言ってるけど、どこに根拠があるんだ。言ってみろ!」って言いたくなる。テレビだったりすると、実際テレビに向かって毒づいたりしている。

彼らの言い分には何のデータも科学的根拠もないことが多い(※1)。にもかかわらず(データや根拠なんてことにまったく思いを馳せずに)「自分だけがわかってる」てなしたり顔で得々と持論を述べている「識者」とかマスコミ関係者を常日頃苦々しく思っていました。

※1:「じゃあ、お前がそういう根拠はなんだ?」と突っ込まれそうだけど、詳しく説明している紙幅がないので、根拠を知りたい方は以下の本を読んでください。いずれもめっちゃ面白い本で、特に『「社会調査」のウソ』はもはや名著です。

 

リサーチ・リテラシーのすすめ 「社会調査」のウソ (文春新書)

 

日本人のしつけは衰退したか 「教育する家族」のゆくえ (講談社現代新書)

 

この本("Freakonomics"または『ヤバい経済学』)ではそうした「識者」(もちろん日本のではなくてアメリカのだけど)の論評のあり方を強烈に皮肉りながら、データに基づき、科学的分析(主として統計分析)を駆使して、それら識者の意見を次々とくつがえしていきます。それだけでも痛快で面白いのに、さらにはその裏にある驚くべき真相が明らかになるってんだからこたえられません。「これのどこが経済学なの?」とは思っちゃいます(※2)が、そんなことに関係のない痛快面白本としておススメします。

※2:それでも経済学らしいです。詳しくは本を読んでください。実際、著者はこの本に書いていることを経済学の論文として発表してるそうな。

って、ここまで書いて、興奮のあまり自分の感想だけをしゃべって本の内容にほとんど触れてないことに気づきました。以下ネタバレにならない程度に(※3)本の内容を紹介しましょう。

※3:新聞やインターネットの書評には注意! 本書のキモとなる議論をすべてばらしているものがあり、せっかくの楽しみを奪われる場合があります。

●内容紹介●
☆Amazonに掲載されている「出版社の紹介文」をベースにしています☆

経済学なんて知らなくても楽しめる、全米100万部超のベストセラー。アメリカに経済学ブームを巻き起こした新しい経済学の書、待望の翻訳。

1990年代米国では若者による凶悪犯罪が激増するとの識者の予測に反して、米国内のあらゆる場所で犯罪が激減した。識者は自治体の防犯対策、取締りの強化、警察力の増強、高齢化、銃規制、経済の好転等をあげたが、著者はそのどれも間違いと言う。犯罪激減の陰にある本当の要因は?

他にも、不動産屋は自宅を本当に高く売ってくれるのか? 銃は本当に危険か? 相撲に八百長は存在するか? 学校の先生もインチキをするか? 出会い系サイトの自己紹介の真実度は? など興味深いテーマを提起。ジョン・ベイツ・クラーク・メダルを受賞した若手経済学者のホープが、経済学の理論と手法を使ってこれらのテーマに潜む真実をあぶり出し、我々の通念をひっくり返しつつ、経済学の基礎となるインセンティブの概念を明らかにする。
--------------------(内容紹介終わり)--------------------

ところで、じっちゃんはこの本を原書(原題:Freakonomics: A Rogue Economist Explores the Hidden Side of Everything)で読みました。単語はちょっと難しいので辞書が必要でしたが、構文はそれほど難しくないので、中級の上クラスの人なら読みこなすのにそれほど苦労はいらないのではないでしょうか。

【じっちゃんの評価:★★★★☆】

 

どこでもいいからどこかへ行きたい (幻冬舎文庫)

 

あまり期待しないで読んだら、とても面白く、とても触発された。

 

著者のphaさんのことは知らなかったが、京大卒で「日本一有名なニート」と称された人らしい。そう聞いただけでユニークな人柄が想像されるが、その想像のとおり、書かれている内容(というか、その背景にある人生哲学)もとてもユニークだった。

 

この本には、旅やライフスタイルに関するphaさんのポリシーが書かれている。ぼくが関心のあったのは旅に関する部分で、正直なところ、それ以外のところは読み飛ばしたり、読んでもいなかったりする。

 

ぼくは歩き旅を趣味にしていることもあって、旅の記録や、旅に関するエッセーを読むのが好きだ。特に好きなのは何らかのポリシーを持って旅している人の文章だ。共感できるポリシーもあれば、共感できないポリシーもあるが、どちらであっても読んでいて刺激を受けるし、啓発されもする。もっとも、上から目線で「こうあるべきだ」「こんなのはだめだ」と自分のポリシーを押しつけてくるのだけは苦手だが。

 

phaさんの旅のポリシーは、無計画、無目的、行きたくなったら、行きたくなったところに行く、下調べはろくにしないというものだ。何カ月も前に、行く場所、行く時期を決め、念入りに下調べをし、綿密に計画を立てる私の旅のスタイルとは対極にある。しかし、phaさんのような旅もあってもいいと思うし、それどころか憧れたりもする。

 

しかし、こういう旅のあり方なら、すごく珍しいというほどではない。phaさんの旅がユニークなのは、旅先に行っても何も特別なことをしないということだ。旅先でも、普段家でしていること(ネットを見たり、本を読んだり)をそのままするだけで、観光名所に行ったりなどはしない。食事も、土地の名物なんかに目もくれず、吉野家とかマクドナルドとかコンビニとかですましてしまう。彼が旅に求めているのは、普段住んでいるところから距離を取る、それだけなのだ。ぼくは観光名所にも行くし、土地の名物も好んで食べるので、これには全面同意とはいかないが、「観光客が行くような場所よりも、地元の人たちが普通に使っているような場所に行くのが好き」というphaさんの考えには共感するところもある。

 

移動の方法も他の人とは違う。たいていの人は目的地にできるだけ早く到達しようとするけれど、phaさんは、移動している時間こそが旅の醍醐味なのだからと、できるだけ時間をかける。だから飛行機や新幹線などは使わず、もっぱら高速バスや在来線で移動する。これは大いに共感するところがある。phaさんほど極端ではないにしろ、ぼくも新幹線で行けるところを在来線で行ったり、飛行機で行くべきところを新幹線で行ったりする。ビールとおつまみと本を手に列車の座席に着いて、これから目的地に着くまでには6時間もあるんだと思うと、ゆったりするような、わくわくするような気がする。

 

旅の話だけでなく、ライフスタイルについても示唆に富む話が多い。たとえば、食事。栄養バランスの取れた食事をこころがけるというのが世間一般の常識になっているが、それに対してphaさんはこう言う。

「誰もが認めるような正しい食事をしようとすると、あまりにも気にすることが多すぎて普通の人間には不可能じゃないだろうか」

 

要するに、phaさんは世間一般の常識から自由なのだ。「こうあるべき」などという考えに引きずられたりせずに、自分のしたいようにし、生きたいように生きているのだ。

 

100%真似することはできないし、真似しようとも思わないが、phaさんを見習って、ぼくもできるだけ常識にとらわれない自由な考えを持つようにしたいと思う。

 

そうそう。この本の中に、サウナ押しの一文があって、詳しくは紹介しないが、大変触発されるところがあった。この本に書かれていることのなかで、少なくともサウナについては実際に試してみようかと思う。

 

乱鴉の島

《2006年7月20日にFC2ブログに書いた記事の再録》

 

途中まで読んで「これは傑作になる!」とほとんど確信しました。
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☆以下ネタバレはしてませんが、作品のプロットについて若干触れています。ご注意ください☆

火村シリーズ初の孤島もので、シリーズ探偵の火村とワトソン役の有栖がちょっとした手違いから間違ってその島に来てしまったという設定です。いわば彼らは招かれざる客なわけです。

その島には数人の男女が集っていて、その中には高名な作家や医者も混じっているのですが、烏が多い不気味な島でとても保養地とは言えない島になぜ彼らは集まっているのか? その理由がわかりません。彼らが観光ではなく何か特別な目的をもって集まっているのは、二人の招かざる客を追い返そうとすることからも想像がつきます。しかし、その目的について参加者に聞いてもなぜか口を濁すばかり。この「なぜこの人々はこの島に集まっているか」が物語全体を覆う強烈な謎のひとつになっています。この謎が魅力的で、それが「傑作の予感」の一つ目の理由になります。

その島へホリエモンを髣髴とさせるベンチャー企業家ハッシーこと初芝社長がやはり招かざる客としてやってきます。そこから物語が動き始めます。初芝社長が島を訪ねて来た目的は驚くべきもので、それによって不思議な集会の目的も明らかになったかと思われたのですが...。

有栖川さんの作品では火村ものよりもうひとつの江神もの方が好きなのですが、その理由として江神ものの方が本格としての完成度が高いことに加え、火村ものが火村と有栖の掛け合い漫才みたいなやりとりを始めとしていささか騒々しいのに比べ、江神ものはより静謐な上品さが感じられることがあげられます。しかし、この作品では、舞台設定が暗鬱なこともあっていつもの火村ものの騒々しさは抑えられ、江神もののような静謐さ・上品さを湛えています。これが傑作の予感の理由二つ目にして最大の理由。

またホリエモンならぬハッシーが語る企業家としての夢がなかなか面白く、それについての火村と有栖の議論も興味深いものがありました。また、ホリエモン(のような人物)がこれから起きるであろう殺人事件に絡むとすれば、それは面白い展開になりそうです。これが傑作の予感三つ目の理由。

そして、殺人が起きます。殺人そのものの不可能興味はさほど大きくありませんが、なぜその人は殺されなくてはならなかったか、つまりは殺人の動機と、そしてそもそも犯人がなぜ殺人の事実を隠そうとしなかったかが読者を惹きつける謎となります。

孤島ものですので、ある事情で警察はその島に来れない設定になっており、そのためその殺人の謎は、謎の集会の目的とともに火村が解明していくことになります。

そして、待ってました! 登場人物全員を前にしての謎解きとなります。「傑作の予感」が現実になる瞬間です。期待はいやが上にも高まります。

犯人を特定する方法・ロジックは納得のいく鮮やかなものです。ますます期待が高まります。続いて犯行の動機が明らかにされていきます。

ここから、残念なことに、「傑作の予感」がもろくも崩れ去っていってしまいます。

魅力のひとつであったはずの殺人の動機が納得いかないのです。動機が弱いとはいいませんが、なぜこの時期に大きな犠牲を払ってまで殺人を犯さなければならなかったのか。それが全くわかりません。動機に関しては他にも疑問がありますが、これ以上言うとネタばれになるので控えておきます。

もうひとつのというか最大の謎であった集会の目的も明かにされますが、それがなんともはやという代物で。こういう理由付けが平気な人も少なくはないと思いますが、僕はダメです。目的そのものにも、それをめざす動機にも納得がいきませんでした。

もうひとつ、火村だけではなくいつものごとく有栖(=ワトソン)も集会の目的をあれこれと探るのですが、それがデリカシーのないちょっといかがなものかと思われるようなやり方で、それも気になりました。単なる憶測に過ぎないのにそれが事実であるかのように決め付けて参加者たちにぶつけ、それを否定する参加者を非難するのですから、やられる方はたまったものではありません。読んでいて不快になりました。

で、結局評価はこうなりました。

【じっちゃんの評価:★★】