寺に勤めている。
坊主である。
今の寺には20年近く居る。
坊主の仕事は、一掃除、二勤行である。
掃除は日常の大部分をしめる。
その中で、墓掃除はなかなかしんどい。
小さな町寺だが、1人で掃除をするとなれば広い。
とはいうものの、墓掃除では自然をかんじることができる。
四季の移り変わりが肌でわかる。
今の都会は、コンクリートとアスファルトで囲まれている。
どこでも冷暖房が完備されている。
自然は少ない。
だから、その部分では味わいのある仕事と言える。
例えば春はどうか。
墓場の片隅に石の椅子が置いてある。
その前にヤマザクラがある。
お彼岸頃になると、つぼみがふくらみはじめる。
(そろそろ暖かくなってくるな)
やがて白い花が咲く。
同時に葉も茂ってくる。
緑と白のコントラストが綺麗である。
ヤマザクラが花開く少し前、墓所のあちこちでムラサキハナナが咲き乱れる。
背丈は30センチ程だ。
紫色の小さな花を咲かせる。
同じ頃、カタバミも可愛らしい姿をみせる。
やはり花は小さい。
ただし、こちらは黄色の花である。
シャガも美しい。
背丈は50センチくらいである。
白地の花に青い斑点と黄色の線模様が入っている。
墓の間にある落ち葉を竹の細い棒でかきだす。
するとその隙間に芋虫がはっていることがある。
(蝶になるのだろうか、それとも蛾だろうか)
緑色のものもいれば、茶色や黒色のものもいる。
夕方になれば、ブヨがでてくる。
うっかり短パンなどで掃除をしていると刺されてしまう。
どういうわけか、足下のみを刺してくる。
刺されたところには急いで薬を塗る。
刺された部分から少し血を抜き、そこへ薬を染みこませる。
これを怠ると夜は痒くて仕方がない。
(あと何度桜をみることができるだろうか)
50代になり、花を眺めてはそんなことを考えるようになった。
(掃除が面倒だから木を切っちゃいたいよ)
若い頃に思っていたことである。
年を重ね、花や虫の見え方がかわってきた。
自然の営みは毎年同じはずである。
ならば、かわったのは自分となる。
(さて来年は何を感じるだろうか)
それは今考えてもみてもわかるまい。
お釈迦様のお言葉です。
『汚れた見解をあらかじめ設け、つくりなし、偏重して、自分のうちにのみ勝れた実りがあると見る人は、ゆらぐものにたよる不安に執着しているのである』
【岩波文庫 ブッダのことば 中村元先生訳P177】
ありがとうございました。