15年程前、今の寺に勤め始めた。
そのころは、境内に野良猫が数匹出入りしていた。
山門の上や墓地のベンチで年中昼寝をしていた。
それを眺めているとても可愛かった。
だが……。
寺の周りは舗装路ばかりである。
土が少ない。
砂利道もない。
だから、猫が始終落とし物をしていく。
(まただ)
においがするのでわかる。
ただ、このごろは落とし物がなくなった。
猫たちもみかけない。
落とし物がないのはよい。
しかし、心配になる。
そのかわり……。
墓地を掃除していると、とても大きな落とし物があった。
(ええっ)
猫とは比べものにならない。
しかも、お墓の水受けにあった。
もちろん、早速、掃除した。
それなのに……。
数日するとまたあった。
しかも同じお墓にだ。
(綺麗にしたのに)
修行が足りていないから腹が立つ。
調べてみるとハクビシンだった。
さらに、そんな事態が何度も続く。
さすがに、このままではお墓の持ち主さんに申し訳ない。
ご先祖さま方にも気が引ける。
調べてみると、ハクビシンは同じところへ落とすらしい。
(それならば)
水受けに障害物をおいてみることにした。
「石を置いてみてよいですか」
持ち主さまに理由を説明した。
今のところ成功している。
東京のお盆は、七月である。
その頃になると、境内のヤマザクラに毛虫がつきはじめる。
(きたな)
落とし物でわかる。
小豆の半分くらいの粒が転々としている。
ヤマザクラの枝木の下にはお墓が建っている。
とうぜん、その上にも落とされる。
それだけでも困ってしまうのだが……。
毛虫の落とし物は水に濡れると周りを赤く染めてしまう。
お墓も赤くなってしまう。
さいわい染みつくことはない。
強い雨が降り続く、あるいはスポンジを使って洗えば落ちる。
とはいえ……。
お墓が濡れている状態で雨が上がる。
そこへ毛虫が落とす。
お盆はお参りの方も多いい。
(急がないと)
慌てて掃除をすることとなる。
自然と共に生きる。
理論としては理解できる。
(でもねぇ)
実際は思い通りにならないことが色々と出てきて難儀する。
落とし物の話ばかりですみません。
お釈迦様の御教えです。
『心が不浄で汚れ、動揺していて、あるいは怒り猛っているならば、道理をはっきりと知ることはできない。しかし心に怒りと不浄を制し、害心を除いて、よく説かれた教を明らかに知る人は、― 心が敵意でかたまり、怒り猛っていて、汚れているならば、よく説かれた教を識(し)りわけることは容易ではない』
【岩波文庫 ブッダの真理のことは・感興のことば 中村元先生訳P279】
ありがとうございました。