等々力渓谷 | 「ゆるりと仏教」いも掘り坊主の与太話
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「ゆるりと仏教」いも掘り坊主の与太話

「念死念仏 常途用心」
仏さまの御教えを、拙僧のエッセイとともに紹介しています。
ほとんど与太話(^_^;)ですが、法話らしきものも書いています。
つたない文章ですが、笑ってもらえたり、うなずいてもらえたりしたら嬉しいです。
毎週水曜日に更新しています。

世田谷の等々力渓谷に行った。

 

仕事の帰りに立ち寄ったのだ。

 

このところ人と接する機会が多かった。

 

普段、一掃除二勤行の範囲で暮らしている。

 

だから、世間さまの中にいる時間が長いと疲労してしまう。

 

木々が生い茂り、水辺があり、人けのない所へ身を置きたくなる。

 

まずは、等々力不動尊をお参りした。

 

渓谷の谷の上にお堂が建っている。

 

夕方だったので参拝者は少なかった。

 

それから、お堂に向かって左側の崖を降りる。

 

(おおっ)

 

結構な急勾配である。

 

深さ20メートルくらいだろうか。

 

様々な経過の中、水が10万年くらいかけて台地を削って出来た谷らしい。

 

あまりの時間の長さに実感がわかない。

 

谷底では川が流れている。

 

底から上を見上げると、うっそうとしている。

 

お陰で辺りは薄暗い。

 

水の流れの音をききながら上流へ向かう。

 

予想よりも多くの人がいた。

 

しかも若い女の子の割合が高い。

 

意外だった。

 

(おっ)

 

歩いているとヒグラシの声がきこえてきた。

 

カナカナカナカナ……。

 

(ん~)

 

これをきけただけでも渓谷に来たかいがあった。

 

さらに進むとお墓があった。

 

等々力渓谷3号横穴となっていた。

 

崖面に彫られた横穴の墓である。

 

古墳時代の墓らしい。

 

長さは13メートルもあるそうだ。

 

室内には3人以上が埋葬されていた。

 

副葬品には静岡や奈良の産の土器やイヤリングもあった。

 

(1400年程前の人たちはこの辺りでも暮らしていたのか)

 

ノスタルジーである。

 

更に上流へと水辺を進んで行く。

 

すると、2人の若い女の子が前を歩いていた。

 

2人はゆっくりと歩いている。

 

こちらのペースはそれより速い。

 

側を追い抜く。

 

「あたしさ~、渋谷なんかにいるよりもこういうところの方が好きなんだよね~」

 

「それ、わかる~」

 

若い子の抑揚で交わされる会話が聞こえてきた。

 

カラフルに染められた髪、ヒラヒラとした服、短いスカート、厚底のサンダル。

 

都会のお洒落な街に似合いそうな子達である。

 

(それなのに……)

 

想定外の言葉に驚いてしまった。

 

(人事の世界にいると、若い子でも疲れるのかな)

 

思わぬ同朋を得たようで微笑んでしまった。

 

 

お釈迦さまのお弟子様のお言葉です。

 

『(修行者が)一人でおれば、梵天のごとくである。二人でおれば、二人の神のごとくである。三人でおれば、村のごとくである。それ以上おれば、雑踏のごとくである』

 

【岩波文庫 仏弟子の告白 中村元先生訳P71】

 

ありがとうございました。